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古代ギリシア年表(BC1399-1300)

Create:2025.11.3, Update:2025.11.3

BC1395年、CnossusのAsteriusが跡継ぎを残さずに死に、Doriansは、MinosをCnossusに呼び寄せた。[Apo.3.1.3, Diod.4.60.3]
BC1393年、Aeolusの娘Canaceは、ArneからSicyonのSisyphusの子Aloeusへ嫁いだ。[Apo.1.7.4, Paus.2.1.1]
BC1392年、第6代Athens王Erechtheusは、Praxitheaと結婚した。[Apo.3.15.1, Tzetzes.1.170]
** Praxitheaの母Diogeniaの父Cephisusは、Cadmusと共にTanagra周辺に渡来したPhoeniciansの首領と思われる。
** Praxitheaと共へ移住したPhoenicians(Gephyraeans)がPhoenician lettersをAthensにもたらした。
** Gephyraeansは、Mesopotamiaで作られた星座の知識もAthensにもたらしたと思われる。
** ギリシア人が独自に追加した星座のOrionは、Gephyraeansが住んでいたTanagraに縁があった。
BC1392年、Amphictyonの子Itonusは、LocrisからThessalyのPagasetic Gulf西岸へ移住してItonusを創建した。[Paus.9.1.1]
** Hellenの子Aeolusの子Athamas。Hellenの子Dorusの子Deucalionの子Amphictyonの子Itonus
** つまり、Itonusは、Halusを創建した彼の祖父の従兄弟Athamasを頼って、Halusの近くへ移住したと思われる。
BC1391年、Itonusは、Arneに住むAeolusの娘Melanippeを妻に迎えた。[Paus.9.1.1]
BC1391年、Cadmusの娘Autonoeの子Actaeonは、飼い犬に噛まれて死んだ。[Apo.3.4.4, Diod.4.81.3, Paus.10.30.5]
** Actaeonは、Cithaeron山で狩りをしていて死んだ。[Apo.3.4.4, Tzetzes.6.560]
** EuropeのlionはAchelousとNestus両川の間に生息していた。[Herod.7.126, Pliny.8.45]
** Europeのlionは、AfricaやSyriaのlionより強い。[Arist.HA.8.28.5, Pliny.8.45]
BC1391年、Cadmusの娘Autonoeは、息子Actaeonの死を悲しみ、Megaraへ移住した。[Paus.1.44.5]
BC1390年、----- 2回目のAegean Seaの大津波 ------
BC1390年、Pelasgiansは、ThessalyからDeucalionの息子たちに追われて各地へ移住した。[Antiq.1.17.3, Antiq.1.28.3, Diod.5.61.1, FGrH.4.4]
** Deucalionの息子たちにRhodosの子Triopasが加勢し、Dotiumを分け前として与えられた。[Diod.5.61.1]
** Triopasが住んだのは、Scotussaと思われる。[Strabo.7.8.F1]
** Scotussaから神託所はDodonaへ移されたが、聖域は残っていたと思われる。[Strabo.7.8.F1]
BC1390年、Thessalyを追われたPelasgiansの大部分は、Dodona周辺に逃げ込んだ。[Antiq.1.18.2]
BC1390年、Pelasgiansの一部は、Chios島へ移住した。[Strabo.13.3.3]
BC1390年、Pelasgiansの一部は、Italy半島のPadus川河口の南にSpinaを創建した。[Antiq.1.18.3, Just.20.1]
BC1390年、EgyptのCanopusも津波で被災し、Macerisの子Sardusは、Sardinia島への移民団を率いた。[Paus.10.17.2]
BC1390年、PelasgianのDiusは、ThessalyからItonusの妻Melanippeと共にItaly半島南部のMetapontiumへ移住した。[Strabo.6.1.15]
BC1390年、Aeolusの子Athamasは、Pagasetic Gulf西岸のHalusを津波で失い、Boeotiaへ移住した。[Apo.1.9.3, Paus.9.34.7, Strabo.9.5.8]
** Athamasは、Mt. Ptous近くのAcraephniumとCopais湖の間にあるthe Athamantian Plainに住んでいた。[Paus.9.24.1]
** Athamasは、Acraephnium(or Acraephium)を創建し、Athamasの子Ptousは、近くの山に名を残した。[StephByz.A63.10]
BC1390年、Copais湖付近に住んでいたEncheleansは、Illyriaへ移住した。[FGrH.Nr4.F50]
** Encheleansの移住は、内紛が原因で、Cadmusは、Encheleansと共にIllyriaへ移住したと思われる。
** CadmusとEncheleansの定住地は、Epidamnosから北北西へ陸路で3日行程のRizous川の近くであった。[PsScylax.25]
BC1390年、Cadmusは、IllyriaのEncheleansから要請を受けて移住した。[Apo.3.5.4, Apollo.4.507, Paus.9.5.3, Strabo.7.7.8]
** Cadmus 終焉の地は、IllyriaのButoe(or Buthoe, now Budva)であった。[FGrH.Nr790.F32]
** Cadmusの娘AgaveがEchionとの間に産んだ娘Epirusも同行した。[Parthe.32]
BC1390年、Cadmusの子Polydorusは、Thebes王に即位した。[Apo.3.5.5]
BC1390年、Hyrieusの息子たち、NycteusとLycusは、Phlegyasを殺害して、EuboeaからHyriaへ逃亡した。[Apo.3.5.5]
** Euboeaは、Aulis近くのHyriaの古名と思われる。HyriaはCithaeron山麓のHysiaeと思われる。[Strabo.9.2.12]
** つまり、NycteusとLycusは、Aulis近くのHyriaから、Cithaeron山麓へ移住して、Hysiaeを創建した。[FGrH.Nr333.F5]
BC1390年、PolydoreとIphthimeの息子との間の息子Dryopsは、Peneius川近くからSpercheius川近くへ移住した。[FGrH.Nr333.F8]
** Iphthimeには3人の息子たち、Pherespondos、Lycos、Pronomosがいた。[Nonnus.14.105]
** Aristotleは、DryopiansがSpercheius川近くからAsine へ出て来たと述べている。[Strabo.8.6.13]
** Danausの娘Polydoreの子Dryopsは、Dryopiansの始祖であった。[FGrH.Nr333.F8]
** Dryopsの娘DryopeがDorusの後裔Andraemonと結婚していることから、Iphthimeの夫は、Dorianと思われる。
BC1390年、Aeolusの3人の息子たち、Macareus、PerieresとAethliusは、ThessalyのArneからPeloponnesusへ移住した。[Diod.5.81.2-4]
** AeolisはLocrisから西へ居住地域を広げ、さらに、海峡を越えてPeloponnesusへ渡った。
** Aetoliaには、Cadmusに追われたHyantesの一部が既に居住していたため、海峡を渡ったと思われる。[Strabo.10.3.4]
BC1390年、Aeolusの子Macareusは、Olenusの娘と結婚した。[Diod.5.81.4から推定]
BC1390年、Aeolusの子Perieresは、Olenusの娘と結婚した。[Perieresの子PisusとPharaeのPharisの娘Telegoneの結婚から推定]
** PerieresはOlenusの婿となり、彼の息子PisusはOlenusで生まれた。その後、PisusはOlenusから移住してPisaを創建したと思われる。
BC1390年、Aeolusの子Aethlius、ThessalyのArneからEleiaへ移住して、Elisを創建した。[Paus.5.1.3]
** Elisを流れるPeneius川の名前は、Aethliusと共へ移住した人々が名付けたと思われる。[Strabo. 8.3.2]
BC1390年、Sisyphusの子Aeetesは、Ephyraea(後のCorinth)をBunusに預け新天地を求めてColchisへ移住した。[Paus.2.3.10]
** Aeetesは、Cytaという名前であった。[CalliAetia.F7c.5, StephByz.K398.14]
** Medeia(or Medea)は、Cytaeの出身であった。[TzeAdLyco.174]
** Bunusは、Corinthにthe temple of Heraを創建した。[Paus.2.4.7]
** したがって、Bunusの母Alcidameaは、ArgosのHera神殿の巫女であったと思われる。
** (理由) Sisyphusの家系はThessalyのDeucalionの後裔で、Hera信仰に縁が薄いと思われるため。
** SicyonとArgosの戦いの後、Gelanorの子Lamedonの娘と思われるAlcidameaは、Sisyphusの子Almusに嫁がされたと思われる
BC1390年、Archanderの子Belusは、EgyptからCyzicus手前のAesepus川河口付近へ移住した。[Apo.2.1.4, Herod.7.61, Strabo.1.3.21]
** Belusの入植地は、Ethiopiaと呼ばれるようになった。
BC1390年、Lelexの娘Therapneの子Teleboasは、Acarnania西部へ移住した。[Paus.3.19.9]
** Aristotleによれば、Acarnania西部には、LelegesとTeleboansが住んでいた。[Strabo.7.7.2]
BC1390年、Aristaeusは、Ceos島へ移住した。[Apollo.2.528, Diod.4.82.1]
** 移住参加者には、Lycaonの後裔のParrhasians(Arcadia創建時からの主要な部族)がいた。[Apollo.2.528]
** Cyreneの子Aristaeusは、Arcadia王であったという伝承がある。[Just.13.7]
BC1390年、Kupanta-Kuruntaは、 Tudhaliya I(BC1410?-1390)やArnuwanda I(BC1390-80)に敗れた。[wiki: Kupanta-Kurunta]
BC1390年、Kupanta-Kuruntaは、 Madduwattaの本拠地を占領して略奪した。[Yakubovich.98]
BC1390年、Tuthaliya Iは、将軍Piseniを派遣してMadduwattaを復帰させた。[Yakubovich.98]
BC1390年、Thessaly地方のEphyra (後のCrannon)の創建者Crannonの後裔であるLycaonの子Thesprotusは、Dodonaの南西へ移住して、Ephyraを創建した。[StephByz.A84.22から推定]
BC1390年、Messapusは、BoeotiaのHyriaからItaly半島東南部へ移住した。[Pliny.3.99, Strabo.9.2.13, StephByz.M447.12]
** Messapusの名前からMessapiaと呼ばれた。[Pliny.3.99]
** Messapiaの名祖Messapusは、Greek。[Solinus.2.12]
** AD1世紀の博物学者Plinyは、Messapusは、Greek。[Pliny.3.16.1]
** AD3世紀の著述家Antoninus Liberalisは、MessapusをIllyriansにしているが、作り話と思われる。[Antoninus.31]
** MessapiaのHyria と、BoeotiaのHyria近くのMessapius山の名から、MessapusはHyriaのHyrieusの息子と推定される。[Paus.9.22.5]
BC1390年、大津波に襲われたAthensから、Boreasが移民団を率いて、Samothrace島向かいの本土の内陸へ移住した。[Apo.3.15.1, Apollo.1.221, FGrH.Nr2.F30, Paus.1.19.5]
** Boreasは、Hebrus川を遡上し、支流のRheginia川を遡って、移住の適地を見つけた。Rheginia川は、古くは、Erigon川と呼ばれ、Haemon山の麓にあり、Sarpedon岩が近くにあった。[Apollo.1.221, FGrH.Nr333.F145, Strabo.断片.48]

BC1389年、Janus率いるPelasgiansは、ThessalyのPerrhaebiaからReateの東のVelia(Cutilia)へ移住した。[Antiq.1.20.2, Plut.Mor.269a]
BC1389年、Aeolusの子Macareusは、IoniansやPelasgiansを含む移民団を率いてPelasgia(Lesbos)へ移住した。[Antiq.1.18.1, Diod.5.81.2 - 4]
BC1389年、夏、Greece全体に疫病が発生した。[Diod.4.82.2]
BC1389年、Autonoeは、Megaraで死んだ。[Paus.1.44.5]
BC1389年、Cercaphusの3人の息子たち、Lindus、Ialysus、Cameirusは、Rhodesに彼らの名前に因んだ3つの町を創建した。[Diod.5.57.8, Strabo.14.2.8]
BC1388年、Aeolusの娘Melanippeは、MetapontiumでBoeotusを出産した。[Paus.9.1.1, 7.4, Diod.4.67.4, Diod.19.53]
BC1388年、Triopasは、Demeterの聖地で伐採した木を使って宮殿を建て、先住民によってThessalyから追放された。[Diod.5.61.2]
BC1388年、Erysichthonの子Triopasは、Rhodes島からThessalyを経由して、CariaにTriopium (or Triopia)を創建した。[Diod.5.61.2, FGrH.Nr4.F122, Newton.107, StephByz.T636.1]
** Triopiumは、後のCnidusの外れの岬にあった。[Thucy.8.35]

BC1387年、Deucalionの娘Thyiaは、LocrisからThessalyのArneに住むHippotesの子Aeolusへ嫁いだ。[Apo.1.7.3, Hesiod.CW.F3]
BC1387年、Abasは、Argosで死んだ。[Euseb.157から推定]
** Abasは、23年間統治した。[Euseb.157]
BC1387年、Abasの子Proetusは、Acrisiusを追放し、17年間Argosを支配した。[Euseb.157]
BC1387年、Abasの子Acrisiusは、ArgosからEgyptのChemmisへ亡命した。
** Acrisiusは、亡命中に結婚して、娘Danaeが生まれた。Danaeは、ChemmisでPerseusを産んだ。
** Acrisiusは父Abasの後見人であったArchanderのもとへ亡命したと推定される。
BC1387年、AeolusとStilbeとの間に、息子Lapithesが生まれた。[Diod.5.81.6]

BC1385年、Madduwattaは、AhhiyawaのAttarsiyaと共にAlasiya(Cyprus)を攻撃した。[wiki: Madduwatta]
BC1385年、Sandocusの子Cinyrasは、CiliciaのCelenderisからCyprusの南西海岸へ移住して、Palaepaphosを創建した。[Apo.3.14.3]
BC1385年、Peneiusの娘Triccaの夫は、ThessalyにTriccaを創建した。[Steph.T635.1から推定]
BC1385年、Cauconは、EleusisからMesseniaのAndaniaを訪問し、Messeneに大女神の密儀を伝えた。[Paus.4.26.8]
** Cauconは、Messeneの姉Celaenoの孫であった。
BC1385年、Sancusは、Testrunaへ移住した。[Antiq.1.16.1, Antiq.2.49.2]
BC1385年、Thesprotusの子Ambraxは、EphyraからAmbracia湾の北側へ移住して、Ambraciaを創建した。[StephByz.A84.22]
BC1384年、Aethliusは、Olympiaで競技会を開催した。[Euseb.Chron.191]

BC1381年、Acrisiusは、Aganippeと結婚した。[Hyginus.63]
BC1381年、Dardanusの娘Idaeaは、Aesepus川河口近くに住むBelusの子Phineusへ嫁いだ。[Apo.3.15.3, Dios.4.43.4]
BC1380年、Belusの子Phineusは、Aesepus川河口近くから黒海南西岸へ移住して、Salmydessusを創建した。[Apo.1.9.21, Apo.2.1.4, Herod.7.61]
BC1380年、Athamasの子Schoeneusは、Thebesの北東にSchoenusを創建した。[Apo.1.9.2, Paus.8.35.10, Strabo.9.2.22]
** Schoenusの創建者をAthamasの子Schoeneusと明示している伝承はない。次のことから、推定される。
** Schoenusの中をSchoenus川が流れていた。[Strabo.9.2.22]
** Schoenus川は、Athamasの子Schoeneusに因んで名付けられた。[StephByz.S596.10]
BC1380年、Aeolusの子Andreusは、ArneからBoeotiaへ移住してAndreis(後のOrchomenus)を創建した。[Paus.9.34.7]
** Aeolusの子Athamasは、Aeolusの子AndreusにOrchomenus付近の土地を割譲した。[Paus.9.34.7]
** << Pausanias説は、逆と思われる >>
** BC1390年、津波で土地を失ったAthamasが、当時移住先として適地であったBoeotiaに定住した。
** 同族のAndreusがAthamasを頼ってArneから移住した。その後、Orchomenusが発展したので、逆の説話が流布されたと思われる。
** Andreusは、Hellenの子Aeolusの子Mimasの子Hippotesの子Aeolusの息子。
** Athamasは、Hellenの子Aeolusの息子。つまり、Athamasは、Andreusの曾祖父Mimasの兄弟。
BC1380年、Danaeは、Acrisiusの娘として誕生した。[Herod.6.54, Hyginus.63]
BC1380年、Danausの娘Phylodameiaの子Pharesは、AchaiaのPeirus川中流域にPharaeを創建した。[Paus.7.22.5]
BC1380年、Amphianaxの子Oetylusは、ArcadiaのPtolisからTaenarum岬の北へ移住し、Oetylusを創建した。[Paus.3.25.10]
** LaconiaのOetylosは、英雄Oetylusに因む。[StephByz.O487.15]
BC1380年、IalysusとDotisの娘Symeの子Chthoniusは、Triopasから援助を受けて、Metapontis(後のSyme)島に入植した。[Diod.5.53.1, StephByz.S591.17]
BC1380年、Cadmusの子Polydorusは、成人した息子たちと共にIllyria地方からCadmeiaへ帰還した。[Diod.19.53から推定]
BC1378年、Athamasは、彼の孫娘EuippeをAndreusに妻として与えた。[Paus.9.34.9]
BC1377年、Cadmusの子Polydorusは、Chthoniusの子Nycteusの娘Nycteisと結婚した。[Apo.3.5.5]
BC1375年、Labdacusは、PolydorusとNycteisとの間の息子として誕生した。[Apo.3.5.5]
BC1375年、Proetusは、Sicyonの海岸近くにHera神殿を創建した。[Paus.2.12.2]
BC1375年、Aloeusの子Epopeusは、ThessalyのArneに住んでいた母方の祖父Aeolusの養子になった。[Paus.2.6.1から推定]
BC1375年、Thasusの子Galepsusは、Thasus島対岸にGalepsusを創建した。[FGrH.Nr1.F152, StephByz.G197.11, Suda.gam.38]
BC1375年、Minosの子Asteriosは、ColchisからAeetesの娘Chalciope (or Iophossa, Euenia)の娘を妻に迎えた。[Nonnus.13.222とAeetesの血筋から推定]
** Asteriosの結婚は、Hellespontosを通過する交易を通じて、成立したと思われる。
BC1372年、Aristaeusは、Ceos島からEgyptへ帰り、移民団を率いてSardiniaへ移住した。[Diod.4.82.4, Paus.10.17.3]
BC1372年、AthamasとThemistoとの間の息子Leuconは、病死した。[Paus.9.34.7]
BC1371年、Thersanderの2人の息子たち、CoronusとHaliartusは、Athamasの養子になった。[Paus.9.34.7]
** Athamasは、Thersanderの父Sisyphusの兄弟であった。
BC1370年、Thersanderの子Coronusは、BoeotiaのCopais湖の南西にCoroneiaを創建した。[Paus.9.34.8]
BC1370年、Thersanderの子Haliartusは、CoroneiaからThebes寄りの地にHaliartusを創建した。[Paus.9.34.8]
BC1370年、Cadmusに追われてOnchestus付近にいたHyantesは、Copais湖の北西へ移住した。[Apollo.3.1240, Paus.9.5.1, Paus.10.35.5]
** Hyantesは、CoronusとHaliartusに追われて、移住したと思われる。
BC1370年、Europaの子Minosの子Asteriosは、Colchisへ移住した。[Nonnus.13.222]
** Aeetesの孫たちと周辺部族との戦いに、AsteriosがTroadから義兄弟を助けるために駆け付け、そのままColchisに定住したと思われる。
** AsteriosがChalciopeの息子たちを追放したのであれば、MinosとPasiphaeの結婚やMedeaのCorinth継承はないと思われる。
BC1370年、Phrixusの子Cytissorusは、ColchisからPontus海南岸へ移住してCytorusを創建した。[Strabo.12.3.10, StephByz.K399.12]
** Cytissorusは、Sinopeと結婚する前に、Cytorusを創建したと思われる。
** Cytissorusの移住には、AsteriosのColchis移住が関係するかもしれない。[Nonnus.13.222]
BC1370年、Phrixusの子Presbonは、兄弟Melasと共にColchisから祖父Athamasが住むBoeotiaへ移住した。[Paus.9.34.8]
** Athamasはまだ存命していた。[Paus.9.34.8]
** Presbonは、Athamasが養子であるHaliartusとCoronusに与えた土地以外のAthamasの領地を相続することになった。[Paus.9.34.8]
** Presbon帰還後もColchisとの交流はあったと思われる。
** Colchisへの航海の港は、Sisyphusの子Aloeusの子Aloeusが移住したAnthedonと思われる。[Paus.9.22.6から推定]
BC1370年、Acrisiusは、Proetusを追放し、31年間Argosを支配した。[Euseb.Chron.157]
** Acrisiusは、妻Aganippeと娘DanaeをEgyptに残して、Argosへ帰還したと思われる
BC1370年、Proetusは、ArcadiaのPtolisのAmphianaxのもとへ亡命した。[Apo.2.2.1]
** Amphianaxの父Antimachusの父Aegyptusは、Proetusの父Abasの父Lynceusの父であった。
** つまり、Proetusは、父Abasの従兄弟Amphianaxを頼って亡命した。
BC1370年、Proetusは、Amphianaxの娘Stheneboeaと結婚した。[Apo.2.2.1]
** Homerは、Proetusの妻をAnteiaにしている。[Home.Il.6.144]
** Homerは、CorinthのSisyphusの子Thersanderの子Proetusと混同している。[FGrH.Nr333.F170]
** Amphianaxの2人の娘たち、StheneboeaとAnteiaは、Abasの息子、Thersanderの息子、いずれも同名のProetusと結婚している。
BC1370年、Aeolusの娘Melanippeの子Boeotusは、ItalyからThessalyのArneへ帰還して、祖父Aeolusの跡を継いだ。[Diod.4.67.6]
BC1370年、Aloeusの子Epopeusは、ThessalyのArneからSicyonへ帰還した。[Paus.2.6.1]
BC1370年、Polydorusは、Cadmusの娘Agaveの子Pentheusに殺された。[Nonnus.5.190]
** Labdacusは、当時5歳と推定される。
BC1370年、Pentheusは、Semeleの子Dionysusに殺された。[Tzetzes.6.580]
** 恐らく、Labdacusの後見人Nycteusも関与していたと思われる。
BC1370年、Polydorusの子Labdacusが年少のため、Nycteusが後見人になった。[Paus.2.6.2, Paus.9.5.4]
BC1370年、Macareusの長男は、LesbosからChios島へ入植した。[Diod.5.81.7]
** Macareusの長男は、先住民の娘と結婚して、息子Chiosが生まれた。[Paus.7.4.8から推定]
BC1370年、Aethusaの子Eleutherは、HyriaからCithaeron山を南に越えて移住して、Eleutheraeを創建した。[StephByz.E265.10]
BC1370年、Boreasの娘Cleopatraは、Phineusに嫁いだ。[Apo.1.9.21, Apo.3.15.3, GrAntho.3.4]
BC1370年、Rodosの子Triopasが死ぬとTriopium (後Cnidus)で内紛が起きて、各地への移住が発生した。[Athen.6.262e]
** Triopasの子Phorbasは、Rhodes島のIalysus、Triopasの子Periergusは、Cameirusを占領した。[Athen.6.262e]
BC1370年、Boreasの娘Chioneは、Thraciaに住むEumolpusの子Ceryxのもとへ嫁いだ。[Apo.3.15.4とFGrH.10.13から推定]
BC1370年、Amphictyonの子Aetolusの子Physciusは、LocrisにPhyscusを創建した。[StephByz.Ph675.7]
BC1370年、Danausの娘Phylodameiaの子Pharisは、Messenia湾に流れ込むNedon川の河口近くにPharaeを創建した。[Paus.4.30.2]
** Pharisは、兄弟PharesがAchaiaのPeirus川中流域に創建した町と同じ名前を付けた。[Paus.7.22.5]

BC1368年、ProetusはArcadiaから帰還して、Tirynsを占拠した。[Apo.2.2.1]
BC1368年、Proetusは、Argosの東でAcrisiusと戦い、戦死者を出すが勝敗は付かなかった。[Paus.2.25.7]
BC1368年、Proetusは、Acrisiusと和解して、Tiryns、Heraeum、Mideia、およびArgolisの沿海地方を領することになった。[Paus.2.16.2]
** Proetusは、Tirynsに住んでいた。[Paus.2.16.2]
BC1366年、Aetolusの子Physciusは、Corinthに住むProetusの娘Maeraを妻に迎えた。[FGrH.333.170, Paus.10.30.5, Plut.QuestGr.15]
BC1365年、Sisyphusの子Almusは、Orchomenus王Andreusの子Eteoclesから土地を割譲されてAlmonesを創建した。[Paus.9.34.10]
** EteoclesはHellenの子Aeolusの子Mimasの子Hippotesの子Aeolusの子Andreusの息子。
** Almusは、Hellenの子Aeolusの子Sisyphusの息子。
** Almusは、Eteoclesの曾祖父Hippotesの従兄弟であった。
** 恐らく、Almusに土地を分け与えたのは、Athamasであったと思われる。Athamasは、Almusの叔父であった。

BC1365年、Melanippeの子Aeolusは、Sicily島の北東に浮かぶLipara島へ移住して、Liparusの娘Cyaneと結婚した。[Diod.5.7.5-6]
BC1365年、AmphionとZethusは、Hyrieus(or Chthonius)の子Nycteusの娘Antiopeの息子として誕生した。[Apo.3.5.5, Home.Od.11.260]
** Lycusの後見期間と、結婚の年から逆算して推定した。
BC1365年、NycteusがEpopeusとの戦いで負傷して死んだ。[Paus.2.6.2]
BC1365年、Nycteusの弟LycusがLabdacusの後見役を継承した。[Paus.9.5.5]
BC1365年、Macareusの子Cydrolausは、LesbosからSamos島へ移住した。[Diod.5.81.7-8]
BC1365年、Lapithsの始祖、Aeolusの子Lapithesは、ArneからPeneius川北側へ移住した。[Diod.4.69.2]
BC1365年、Boreasの息子たち、ZetesとCalaisは、Peuce島(Hyperboreansの地)へ移住した。[Diod.2.47.6, Hesiod.CW.F40]
** Hyperboreansの王たちや聖域の管理者たちは、Boreadae(Boreasの子孫)であった。[Diod.2.47.6]
** HyperboreansとAtheniansとDeliansには、友好関係があった。[Diod.2.47.2-4]
BC1365年、Teleboansは、Acarnania西部のLeucas半島に入植した。[Strabo.7.7.2]
BC1365年、Hippotesの子Aeolusの子Deion(or Deione or Deioneus)は、Arneから、Phocisへ移住した。[Apo.1.9.4]
BC1364年、Liparusは、Aeolusの援助を得て、Crater湾 (現在のナポリ湾)のAthenaeum岬へ移住した。[Diod.5.7.6]

BC1362年、Danaeは、Pilumnusと結婚した。[ComAugCity.18.13]
** Danaeの夫は、Archanderの子Metanastesの息子と思われる。
** PerseusはChemmisで生まれたことから、Danaeの夫は、Chemmisに住んでいたと思われる。[Diod.4.9.1, Diod.1.24.8, Herod.2.91]
** Metanastesの母Scaeaは、父DanausがEgyptから移住する前に、Chemmisで幼少期を過ごした。[Herod.2.91]
** Perseusの妻Andromedaは、Ethiopiaで生まれた。[Apo.2.4.3, Plin.6.182]
** Ethiopiaの創建者は、Egyptからの移民で、Archanderの子Belusと思われる。[Apo.2.1.4, Herod.7.61, Strabo.1.3.21]
BC1362年、Andreusの子Eteoclesの時代に、Orchomenusに複数の隕石が落下した。[Paus.9.38.1]
BC1362年、Dryopsの娘Dryopeは、Amphissaに住むPhytius (or Oxylus)の子Andraemonへ嫁いだ。[Antoninus.32, Ovid.Meta.9.362]
BC1361年、Lapithesの子Phorbasは、Thessaly地方北部を流れるPeneius川中流域で生まれた。[Diod.4.69.2]

BC1360年、Arcasの子Elatusは、Cyprusの南西部のPalaepaphosに住むCinyrasとMetharmeの間の娘Laogoreと結婚した。[Apo.3.9.1]
BC1360年、Sisyphusの子Aloeusの子Aloeusは、SicyonからAnthedonへ移住した。[Paus.9.22.6]
** AnthedonからThebesへ半分くらいのSchoenusは、Athamasの子Schoenusが創建した町。Schoenusは、Aloeusの父の従兄弟であった。
** Aloeusの父の兄弟であるSisyphusの子AeetesはColchisへ移住した。Anthedonは、Colchisへ向けての航海に適した位置にあった。
BC1360年、Almusの娘Chryseの子Phlegyasは、Phlegyasを創建した。彼は、Phlegyansと呼ばれる戦士をその町に集めた。[Paus.9.36.2]
** Phlegyasは、near the Cephisian lakeに住んでいた。[Hymns.3.277]
** PhlegyesはThebesの近くに住んでいた。[FGrH.Nr333.F41]
BC1360年、Perseusは、DanaeとPilumnusの息子として、EgyptのChemmisで生まれた。[Diod.4.9.1, Diod.1.24.8, Herod.2.91]
BC1360年、Erechtheusの子Pandorusは、Euboeaへ渡って、Chalcisを創建した。[Ps-Scym.566]

BC1357年、Acrisiusは、Lacedaemonの娘Eurydiceと結婚した。[Apo.3.10.3, Paus.3.13.8]
BC1357年、Labdacusは成人して、Lycusの後見は解除された。[Paus.9.5.5]
BC1356年、Ozolian LocrisのAmphissaに住むPhytiusの子Oineusは、Lesbos島からMacarの娘Amphissaを妻に迎えた。[Athen.35b, Diod.5.81.4, Paus.10.38.4]
** Oineusの祖父Orestheusは、Amphissaの祖母Protogeniaの兄弟であった。つまり、Oineusは、Amphissaの又従兄であった。
** Amphissaの名前は、Aeolusの子Macarの娘Amphissaに因む。[Paus.10.38.4]
** タコが陸と海の両方に住んでいるので、Amphissaと名付けた。[TzeAdLyco.1073]
** 周りを丘に囲まれた場所にあったため、Amphissaと名付けた。[Suda.al.1761]
BC1355年、Danaeは、息子Daunusを産んだ。[Dic: Daunus]
BC1355年、Azanの子Cleitorは、Arcadia北部にCleitorを創建した。[Paus.8.4.5]
BC1354年、Epopeusの娘Harpina (or Harpine)は、ArcadiaのHeraeaに住むAlxionに嫁いだ。[Diod.4.73.1, Paus.5.1.6]
BC1352年、Eumolpusの子Immaradusは、AthensのErechtheusと戦い、両者とも戦死した。[Paus.1.38.3]
** Eleusisの祭儀は、EumolpusとCeleusの娘たちが継承し、その後、Chioneの子Eumolpusが継承した。[Paus.1.38.3]
BC1352年、Scirusは、DodonaからEleusisの応援に駆け付けて戦死した。[Paus.1.36.4]
BC1352年、Chioneの子Eumolpusは、ThraciaからEleusisの応援に駆け付けた。[Paus.1.27.4とPaus.1.38.2から推定]
** Thracian EumolpusがAtticaを侵略した。[IsoPane.1, IsoPana.193, FGrH.Nr10.F13]
** Chioneの子EumolpusがThraciansを率いて、Atticaに駆け付けた。[Apo.3.15.4, LycLeok.98]
** Athens側には、Hellenの子Xuthusの子Ionの息子たちの後裔からの求めで、同族のSicyonやCorinthから応援に駆け付けたと思われる
** SicyonとCorinthからは、Hellenの子Aeolusの子Sisyphusの子Aloeusの子Epopeusの子Marathonが参加したと思われる。[Paus.2.1.1]
** Marathonは、この戦いへの応援で、Erechtheusの娘との結婚が成立したと思われる。[Newton.173]
BC1352年、Erechtheusの子Cecropsが第7代Athens王に即位した。[Paus.1.5.3]
BC1351年、Lacedaemonの子Amyclasは、Spartaから南へ約4km離れた、Eurotas川の右岸へ移住して、Amyclaeを創建した。[Paus.3.1.3]
BC1351年、Lacedaemonの子Amyclasは、Lapithesの娘Diomedeと結婚した。[Apo.3.10.3]
** Amyclasの姉妹Eurydiceは、ArgosのAcrisiusの妻であり、AmyclasとAcrisiusは義兄弟であった。[Apo.3.10.3, Paus.3.13.8]
** Acrisiusが隣保同盟を組織化したときに、ThessalyのLapithesと知合い、義理の弟の縁組みを仲介したものと思われる。[Strabo.9.3.7]
** Diomedeと共にThessalyから移住したAeolisが初めてLacedaemonに居住した。
BC1351年、Itonusの娘Cromiaは、ThessalyのItonusからEleiaのElisに住むAethliusの子Endymionのもとへ嫁いだ。[Paus.5.1.4]
BC1350年、Immaradusの父Eumolpusが死に、Immaradusの兄弟CeryxがThraciaからEleusisへ移住して祭儀を継承した。[Paus.1.38.3]
BC1350年、Epopeusの子Marathonは、父の横暴に耐えかねてSicyonからAtticaの海沿いの町へ移住した。[Paus.2.1.1]
BC1350年、Epopeusの子Marathonは、第6代Athens王Erechtheusの娘と結婚した。[Newton.Chro.173]
BC1350年、Orchomenusの子Aspledonは、BoeotiaのCopais湖の北西にAspledonを創建した。[Paus.9.38.9, Strabo.9.2.41]
BC1350年、Chrysogeneiaの子Chrysesは、Copais湖西側のAcontius山の近くに新しい町(後のOrchomenus)を建設した。[Strabo.9.2.42]
BC1350年、Boeotiaに住むPhlegyansがDelpiを荒らした。[Paus.9.36.2]
BC1350年、AcrisiusはAmphictyonsを組織化した。[Strabo.9.3.7]
** Achaiansが多く住むようになったArgosのAcrisiusは、LocrisやPhocisからの求めで、Phlegyansと戦うために組織化したと思われる。
** Dorusの子Deucalionの子Amphictyon が最初に結集した種族 - Ionians, Dolopes, Thessalians, Aenianians, Magnesians, Malians, Phthiotians, Dorians, Phocians, Locrians who border on Phocis, living at the bottom of Mount Cnemis. [Paus.10.8.2]
** Ionians, Dolopes, Aenianians, Magnesians, Molians, Phthiotians, Dorians, Phocians, Perrhaiboi, Boiotians, Achaians, Delphians [Suda.Alpha.1736]
** Thessalians, Boeotians, Dorians, Ionians, Perrhaebi, Magnetes, Dolopians, Locrians, Oitaeans, Phthiotians, Malians, Phocians [Aeschines.116]
BC1350年、ArgosのPhilammonは、Delhpiを荒らしたPhlegyansとの戦いで戦死した。[Paus.9.36.2]
** Philammonは、Argosの精鋭を率いていたことから、Acrisiusの息子と思われる。[Paus.9.36.2]
BC1350年、Arcasの子Elatusは、Arcadiansを率いてPhlegyansを撃退した。[Paus.8.4.4, Paus.10.34.2]
BC1350年、Arcasの子Elatusは、PhocisにElateiaを創建した。[Paus.8.4.4]
BC1350年、Aeolusの子Macedonは、ArneからOlympus山近くへ移住した。[Hesiod.CW.F3, Strabo.7.8.2]
BC1350年、Haliartusの子Hippomenesは、HaliartusからThebes寄りへ移住して、Oncestusを創建した。[Paus.9.26.5]
BC1350年、Aeolusの子Magnesは、兄弟Macedonと共に、ArneからOlympus山近くへ移住した。[Apo.1.7.3, Paus.6.21.11, Hesiod.Women.3]
BC1350年、Aeolusの子Cretheusは、ArneからPagasetic Gulf北岸へ移住して、Iolcusを創建した。[Apo.1.9.11]
BC1350年、Phineusの子Bithynusは、SalmydessusからBithyniaへ移住した。[FGrH.156.77a]
BC1350年、Phineusの子Thynusは、SalmydessusからPhrygiaへ移住した。[Strabo.7.3.2]
BC1350年、Phineusの子Mariandynusは、Salmydessusから後のHeracleiaへ移住した。[Strabo.7.3.2]
BC1350年、Phineusの子Paphlagon(or Paphlagonus)は、SalmydessusからPaphlagoniaのCytorumへ移住した。[Eustath.ad.Hom.Il.2.851, StephByz.P513.5]
BC1350年、Cytissorusは、Cytorusの東側にSinopeを創建した。[Strabo.12.3.10から推定]
BC1350年、Sinopeは、Cytissorusと結婚して、黒海南岸のSinopeへ移住した。[Diod.4.72.2, DionyGuide.77, Plut.Lucu.23から推定]
** Cytissorusは、Sinopeと一緒に移住希望者を連れて、町を建設したと思われる。
BC1350年、Arasが町(後のPhlius)を創建した。[Paus.2.14.1]
BC1349年、Acrisiusは、後継者がいなくなったため、Egyptに住むDanaeの子PerseusをArgosへ連れ帰った。[Plut.Mor.106aから推定]
BC1348年、Proetusは、LyciaからCyclopesを招きTirynsの城壁を強化した。[Apo.2.2.1, Paus.2.16.5, Paus.2.25.8, Strabo.8.6.11]
** Cyclopesは7人で、Nauplia近くの洞窟を住んでいた。[Strabo.8.6.2, Strabo.8.6.11]
BC1345年、AmphionとZethusは、Thespiae近くへ移住して、Eutresisを創建した。[Strabo.9.2.28]
BC1345年、Perieresの子Pisusは、OlenusからAlpheius川の近くへ移住してPisaを創建した。[Paus.6.22.2]
BC1345年、Cardysの子Clymenusは、CreteのCydoniaからOlympiaへ移住した。[Paus.5.8.1, Strabo.8.3.30]
** Deucalionの時代の大洪水から、約50年後であった。[Paus.5.8.1]
BC1345年、Phineusの息子たち、Clytius、Polymedes (or Plexippus, Pandion)は、SalmydessusからTauric Chersoneseへ移住した。[Diod.4.44.7]
BC1345年、Ancaeusの孫Anaxは、Maeander川の近く(後のMiletus)へ移住して、Anactoriaを創建した。[Paus.7.2.5, Pliny.5.31.1]

BC1344年、Cardysの子Clymenusは、Olympiaで競技会を開催した。[Paus.5.8.1]
BC1344年、Aethliusの子Endymionは、Cardysの子ClymenusをOlympiaから追放した。[Paus.5.8.1]
** Clymenusは、Idaean Heraclesの孫であった。[Newton.156]
** Clymenusの移住先は、Troad地方のIda山近くと思われる。[Strabo.12.8.21などから推定]
BC1344年、Arzawa王Anzapahhaduは、Tuthaliya IIIの将Himuili率いるHittite軍を破った。[wiki: Anzapahhadu]
BC1344年、Arzawa王Anzapahhaduは、Suppiluliuma I率いるHittite軍と戦って、全滅した。[wiki: Anzapahhadu]

BC1343年、Perseusは、祖父の兄弟Proetusを殺した。[Hyginus.244]
BC1343年、Perseusは、Seriphus島へ逃れて、Dictysと妻Clymeneの庇護を受けた。[Apo.2.4.1, Hyginus.63]
** Dictysと妻Clymeneは、Perseusの救済者で、Athensに両者の祭壇がある。ClymeneはAthensに縁があると思われる。[Paus.2.18.1]
** PolydectesとDictysをMagnesの息子たちとする説。[Apo.1.9.6, Hesiod.CW.F3]
 Hellenの子Aeolusの子Mimasの子Hippotesの子Aeolusの子Magnesの子Dictys。
 Hellenの子Xuthusの子Achaeusの子Archanderの子Metanastesの子Pilumnusの子Perseus。
** PolydectesとDictysをPeristhenesの息子たちとする説。[FGrH.Nr333.F4]
 Danausの娘Amymoneの子Naupliusの子Damastorの子Peristhenesの子Dictys。
 Danausの娘Hypermnestraの子Abasの子Acrisiusの娘Danaeの子Perseus。
** 両説とも、PolydectesとDictys兄弟の名前はあるが、Seriphusとの関係は明記されていない。
** 前者の説では、Perseusとの関係が薄く、ThessalyのMagnesiaからSeriphus島までの距離も遠い。
** 後者の説では、Abasと従兄弟のNaupliusは、住んでいる町も近く、親戚付き合いがあったと思われる。NaupliaからSeriphusまでも近い。
** したがって、Seriphus島のPolydectesとDictys兄弟は、Danausの娘Amymoneの子Naupliusの曾孫と思われる
** Seriphus島は、ArgosとCrete、Egyptを結ぶ航路の補給基地であったと思われる
** Seriphus島は、Dictys兄弟が入植する前から、Danausの娘Amymoneの子Naupliusが創建した、Tiryns近くのNaupliaの住人が漁や交易で利用していたと思われる。Naupliusの父は、Danausと共に渡来した者であった。[Paus.4.35.2]
BC1342年、Perseusは、EthiopiaのCepheusの娘Andromedaと結婚した。[Apo.2.4.3]
** Adrasteiaに住んでいたTantalusと、Ethiopia(Adrasteiaの一部)に住んでいたPerseusとは面識があったと思われる。
** 後の、Perseusの息子たちとTantalusの子Pelopsの娘たちとの結婚は、この当時の縁であったと思われる。
BC1341年、Danaeは、Egyptから植民団を率いてSardinia島へ向かう途中、強風に流され、Italy半島西部海岸に漂着した。[Virg.Aene.7.409]
** Sardinia島へは、(BC1390年)Macerisの子Sardusに、(BC1372年)Archanderの子Aristaeusが、Egyptから植民団を率いている。
** 第18王朝の第10代pharaoh Akhenaten [c. 1353–1336 or 1351–1334 BC]の治世12年目に疫病が蔓延した。[wiki: Akhenaten]
BC1341年、Danaeは、Romeの南東30kmの所にArdeaを創建した。[Pliny.3.56, Virg.Aene.7.409, Solinus.2.5]
** Danaeの植民団には、ArgosからEgyptへ移住したAchaeansやPelasgiansが含まれていたものと思われる。
BC1341年、Tantalusは、TroyのTrosの娘Eurythemisteと結婚した。[FGrH.Nr333.F40, Euri.Scho.Or.11.1から推定]
** Euripidesの「Orestes」の古註は、Pelopsの母Eurythemisteの父はXanthusだと記している。
** Xanthusは、Ilium近くを流れるScamanderの古名であり、河神の意味で、当時のTroy王Trosであったと思われる。
BC1341年、Persesは、PerseusとAndromedaの長男として誕生した。

BC1340年、Electryonは、PerseusとAndromedaの息子として誕生した。
BC1340年、Aethexの子Faunusは、Aboriginesと共にTrasimene湖北のCrotonからUmbriansを追い払った。[Antiq.1.20.4, Ita.5.1]
** Faunusの子ArnusはThessalyから移住したPelasgiansの後裔であった。[Herod.1.57]
BC1340年、Orchomenusの子Aspledonは、Orchomenusから南西へ約10kmの所に母の名前に因んだMideiaを創建した。[Paus.9.39.1]
** Aspledonの再移住は、Hyantesとの戦いが原因と推定される。
BC1340年、Lapithesの子Lesbosは、Thessalyから植民団を率いてLesbosへ移住し、Macareusの娘Methymaと結婚した。[Diod.5.81.6]
BC1340年、LesbosのMacareusは、彼の息子NeandrusをCos島へ移住させた。[Diod.5.81.8]
BC1340年、LesbosのMacareusは、彼の息子LeucippusをRhodesへ移住させた。[Diod.5.81.8]
BC1340年、Hippocoonは、Crannonの近くにPylus (Phyllus[Strabo.9.5.14])を創建した。[Apo.1.9.11から推定]
** Hippocoonは、Deucalionの子Pronousの子Hellenの子と思われる。
BC1340年、Melanippeの子Aeolusの子Iocastus (or Jocastus)は、Rhegiumを創建した。[TzeAdLyco.46, Heraclides.55]
BC1340年、Melanippeの子Aeolusの子Agathyrnusは、Sicily島北部にAgathyrnusを創建した。[Diod.5.8.2]
BC1340年、Peristhenesの2人の息子たち、DictysとPolydectesは、NaupliaからSeriphus島へ移住した。[FGrH.Nr333.F4から推定]
BC1340年、Andraemonの子Amphissusは、AmphissaからOeta山近くへ移住して、Oetaを創建した。[Antoninus.32]
** Oetaの建設には、Spercheius川近くに住んでいたDryopiansが参加した。

BC1339年、Acrisiusは、Argosで死去して、ArgosのAcropolisであるLarisaに埋葬された。[Cleme.Exho.3]
** Larisaの中で、最も古いのがArgosのLarisaで、これはAcropolisにほかならない。[FGrH.Nr4.F91]
BC1339年、Proetusの子Megapenthesは、TirynsからArgosに居を変えた。[推定]
** Megapenthesは、Abasの直系であり、傍系のPerseusよりもArgosの住民は歓迎したものと思われる。
** Megapenthesと共に、Tirynsなどの住民もArgosへ移住したと思われる。
BC1338年、Laiusは、Labdacusの息子としてThebesで生まれた。[Apo.3.5.5]
BC1338年、Salmoneusの娘Tyroは、ThessalyのArneの近くのPylusに住むHippocoonに嫁いだ。[Apo.1.9.11, Hyginus.10]
** Salmoneusは、Enipeus川を挟んでPylusの対岸に住んでいたと思われる。
** TyroはEnipeus河神(Hippocoon)に恋した。[Apo.1.9.8, Home.Od.11.235, Strabo.8.3.32]
BC1337年、Labdacusは、Thebesで死んだ。[Apo.3.5.5]
** Labdacusは、父方の従兄弟Pentheusと同じような考えを持っていたので狂乱女たちに殺された。[Apo.3.5.5]
BC1337年、Labdacusの子Laiusは、1歳であったので、祖父Nycteusの兄弟Lycusが2度目の後見になった。[Apo.3.5.5、Paus.9.5.6]
BC1336年、Asteriosの娘Perseisは、Tauric Chersoneseに住むPhineusの息子と結婚した。[Apo.3.1.2, Diod.4.44.7]
BC1335年、Salmoneusは、ThessalyからEleiaへ移住して、Salmoneを創建した。[Strabo.8.3.32, Apo.1.9.7]
** Salmoneusは、異母兄弟Aethliusが創建したElisの近くへ移住した。
BC1335年、Andraemonの子Amphissusは、Oeta山近くに、Oetaを創建した。[Antoninus.32]
BC1335年、Anaxは、Maeander川の河口近くに、Anactoriaを創建した。[Paus.7.2.5]
** Anaxは、Lelegesの王Ancaeusの息子の息子と思われる。[Miletusにいたことから推定]
BC1335年、Cytissorusは、Cytorusの東側にSinopeを創建した。[Strabo.12.3.10から推定]
BC1335年、Harpinaの子Oenomausは、Acrisiusの娘Evareteと結婚した。[Hyginus.84]
BC1335年、Pandorusの子Diusは、EuboeaのChalcisから北西へ移住して、Dion(Dium, Dios)を創建した。[wiki:Dius, SchoOnHomeIl.2.538]
BC1335年、Antiopeの子Zethusは、LocrisからPhysciusの娘Thebeを妻に迎えた。[Apo.3.5.6]

BC1332年、Perseusは、Peloponnesusへ帰国し、Tirynsを占拠した。[推定]
BC1332年、Antiopeの子Amphionは、Tantalusの娘Niobeと結婚した。[Apo.3.5.6, Paus.9.5.7]
** 出会いの場は、Thebesの西約5kmのCabeiriの神域と思われる。そこから南西約7kmの所にAmphionが住むEutresisがあった。
** SamothraceからGreeceに伝播したCabeiriには、Niobeの父祖が信奉するCybele信仰も含まれていた。
** Tantalusの子Broteasは、神々の母の一番古い神像を作った。[Paus.3.22.4]
** Tantalusは、Paphlagoniaに住んでいた。[Diod.4.74.1]
BC1332年、EthiopiaのBenthesicymeの娘Daeiraは、Thraciaに住むChioneの子Eumolpusのもとへ嫁いだ。[Apo.3.15.4, Euseb.Pra.2.6]
BC1332年、Ascraの子Oeoclusは、OtusとEphialtesと共にBoeotiaのAsopus川源流付近にAscraを創建した。[Paus.9.29.1]
** Sicyonに住むAloeusの息子たち、OtusとEphialtesがAscra創建に協力したのは、両者の間につぎのような関係があったからと思われる。
** AscraはSisyphusの子Aloeusの娘で、夫はSisyphusの子Thersanderの子Haliartusで、従兄妹同士の結婚と思われる。
** Ascraの子OeoclusとAloeusの息子たちとは、Sisyphusの子Aloeusを共通の祖父とする従兄弟と思われる。
BC1332年、Physciusの娘Thebeは、Boeotia地方のEutresisに住むEleutherの子Zethusに嫁いだ。[Apo.3.5.6, Paus.9.8.4]
BC1331年、Lapithesの子Periphasは、Peneiusの子Hypseusの娘Astyaguiaと結婚して、8人の息子が生まれた。[Diod.4.69.3]
BC1330年、Ilusは、Wilusa王の娘と結婚した。[wiki: Kukunni(ウクライナ語、ロシア語)]
** Kukkunni(Ilusの義父)は、Alaksandu(Laomedon)の祖先であり、おそらく女系である。[wiki: Kukunni(ウクライナ語、ロシア語)]
BC1330年、Perieresの子Pisusは、Olenus近くのPharaeからPharisの娘Telegoneを妻に迎えた。[Greeceの河神に記述]
BC1330年、Alxionの子Oenomausは、ArcadiaのHeraeaからEleiaへ移住して、Harpinaを創建した。[Paus.6.21.8]
BC1330年、Lycaonの子Cauconの後裔、PhrixusとMakistus兄弟は、Eleia南部に、PhrixaとMakistosを創建した。[StephByz.M428.11]
BC1330年、Aeolusの子Magnesの子Glaphyrusは、ThessalyのBoebeis湖の近くにGlaphyraeを創建した。[StephByz.G209.3]
BC1330年、PerseusはMycenaeを創建して、堅固な城壁で囲んだ。[Paus.2.15.4, Paus.7.25.6]
** PerseusはMideaも創建した。[TzeAdLyco.838]
** PerseusはMideaも城壁で囲んだ。[Apo.2.4.5]
BC1330年、Naxos(Strongyle)島のThracians、Euboeaを襲撃したが撃退された。[Diod.5.50.4]
** Euboeaは島ではなく、Hyriaと思われる。その後、近くのAnthedonからAloeusの妻と娘が拉致されている。[Diod.5.50.6]
BC1330年、Naxos島のThraciansは、ThessayのDrius(位置不明)を襲撃した。[Diod.5.50.4]
BC1330年、BoeotiaのAnthedonのAloeusの妻Iphimedeiaと娘Pancratisは、Thraciansに拉致されてNaxos島へ連れ去られた。[Diod.5.50.6]
** Aloeusは、AitoliaにAlusを創建したという伝承もあるが、創作と思われる。[Hesiod.CW.F6]
** Aloeus の息子たち、OtusとEphialtes の墓がAnthedonにあった。[Paus.9.22.6]
BC1330年、OtusとEphialtesは、Naxos島のThraciansを打ち負かした。[Diod.5.50.6]
** Strongyleと呼ばれていた島の名前をDiaに変更した。[Diod.5.51.2, Pliny.4.67]
** PhliusやSicyonで大事に祀られているDia(Hebe ~ Argosで崇拝される女神Heraの娘)を島名にしたと思われる。[Strabo.8.6.24]
** Naxos島は、豊かなブドウ畑の故にDionysiasと呼ばれた。[Pliny.4.67]
BC1329年、Endymionは、Olympiaで競技会を開催した。[Paus.5.1.4]
BC1328年、OtusとEphialtesは、Muses女神を3柱 Melete (Practice), Mneme (Memory) and Aoede (Song)と見なした。[Paus.9.29.2]
BC1327年、Ilusは、Wilusaの王位を継承した。[wiki: Kukunni(ウクライナ語、ロシア語)]
** Ilusは、Hittiteの属国Wilusa王の娘を妻にしたと推定される。武力による王位簒奪であれば、Hittiteとの戦いになっていたと思われる。
** IlusのWilusa王継承は平和的なもので、Ilusは、Wilusaの住人と共住したと思われる。
** WilusaとHittiteとは、Hattusili I (BC1650-20)の時代から親交があった。[wiki: Alaksandu]
** WilusaのKukkunniは、Suppiluliuma I (BC1344-22)に対するArzawaの反抗に参加しなかった。
BC1326年、Endymionの子Aetolusは、Phorbas(Phorbus)の娘Pronoe (or Astynome)と結婚した。[Apo.1.7.7]
** PhorbasがThessalyに住んでいた頃で、Hippotesの子Aeolusを共通の先祖とする同族の結婚であった。
BC1326年、ZethusとAmphionは、Thebesを攻めたが、Lycusに撃退されて、Locrisに亡命した。[FGrH.Nr333.F170とPaus.9.5.6から推定]
** ZethusとAmphionは、Thespiae近くのEutresisに住んでいた。[Strabo.9.2.28]
** Locrisには、Zethusの妻Thebeの父Physciusがいた。[Apo.3.5.6]
BC1325年、ZethusとAmphionが軍勢を集めてThebesを攻めて、Lycusと交戦した。[Diod.19.53, Paus.9.5.6]
BC1325年、Lycusは、ZethusとAmphionによって殺害された。[Apo.3.5.5]
** Lycusは、後見20年目であった。1回目~8年(BC1365-57)、2回目~12年(BC1337-25)
** Thebeの兄弟Locrusは、義兄弟Zethusに加勢した。[FGrH.Nr333.F170]
** ThessalyのArneに住むBoeotusの子Itonusも加勢したと思われる。
** Itonusは、Locrusの父Physciusの父Aetolusの兄弟Itonusの妻Melanippeの子Boeotusの息子であり、Itonusは、Locrusのまたいとこであった。
** この戦いへの参加が端緒となって、Boeotusの子ItonusがBoeotiaへ移住したと思われる。[Diod.19.53, Strabo.7.7.2]
** Amphionは、LaiusをThebesから追放した。[Apo.3.5.5] Laiusは、密かにThebesから逃れた。[Paus.9.5.6]
** しかし、後にLaiusはPelopsのもとへ亡命しているので、Pelopsの姉妹Niobeの夫AmphionとLaiusの間には敵対関係はなかった。
** Laiusは、そのままThebesにいて、AmphionはLaiusの後見人になったと推定される。
** LaiusはAmphionの母Antiopeの姉Nycteisの息子Labdacusの息子であった。つまり、LaiusはAmphionの母方の従兄弟の息子であった。[Aelian.13.5, Athen.603a, Plut.Mor.313e]
** Amphionは、Laiusの父Labdacusの母Nycteisの妹Antiopeの息子であった。
BC1325年、ArneのBoeotusの子Itonusは、Boeotiaへ移住した。[Diod.19.53, Strabo.7.7.2]
** Itonusの居住地は、最初はLake Copaisに沈んだArne、そこから、近くのCoroneiaへ移り住んだと思われる。
** Itonian Athenaが、ThessalyのArneの近くと、BoeotiaのCoroneia周辺にあった。[Strabo.9.5.17, Paus.3.9.13, Paus.9.34.1, Paus.9.34.5, Strabo.9.2.29]
** LelegesもLocrisからBoeotiaへ移住した。[Strabo.7.7.2]
BC1325年、Meliaの子Tenerusは、Ptous山に神託所を開設した。[Paus.9.26.1, Strabo.9.2.34]
** Ptous山の神託所は、BC335年、Alexander the GreatがThebesを破壊するまで続いた。[LeakeN.2.279]
BC1325年、Deionの子Phylacusは、PhocisからThessalyへ移住し、Pagasetic Gulfの北西にPhylaceを創建した。[Apo.1.9.12]
BC1325年、Tantalusは、Ilusに追われてLydiaのSipylus山へ移住した。[Diod.4.74.4]
** Tantalusは、ElisのEndymionによってOlympiaから追放されたCardysの子Clymenusの息子と思われる。[Paus.5.8.1]
** Tantalusの領地は、Adrastusに与えられて、Adrasteiaと呼ばれるようになった。[Strabo.13.1.13]
** Adrastusは、Ilusの妻Eurydiceの父であった。[Apo.3.12.3, FGH.Nr4.F24c]
** TantalusはPhrygia地方のSangarius川の源流付近にあるPessinusへ逃れた。[Diod.10.Fr.Incerta.3]
** Pessinusは、Ida山付近から約370km。Tantalusが領土内の種蒔きをするのに10日の旅を必要だと言われていた。[Strabo.12.8.21]
** Tantalusは、Gordium近くのPessinusまで支配していたと思われる。
BC1325年、Perseusは、Mideaを創建した。[TzeAdLyco.838]
** PerseusはMideaも城壁で囲んだ。[Apo.2.4.5]
** 後に、Perseusの子Electryonが、妻Mideaの名前に因んで、Mideaと名付けた。[Apo.2.4.5]
BC1324年、AmphionとZethusは、Cadmeiaの下方に城壁を備えた市を創建した。[Home.Od.11.253, Paus.9.5.7]
** 城壁は、近くに住む横暴なPhlegyesから町を守るためであった。[FGrH.Nr333.F41]
** 7つの門の名前は、Amphionの娘たち、Thera, Cleodoxe, Astynome, Astycratia, Chias, Ogygia, Chlorisに因む。[Hyginus.69]
** 最初は、12の門があった。[MalaChro.2.49]
BC1324年、AmphionとZethusは、Cadmeiaの下方に創建した町の名前をThebesと定めた。[Paus.9.5.6]
** Cadmeiaは、Zethusの妻Thebeの名前に因んで、Thebesと呼ばれるようになった。[Paus.2.5.2]
** AmphionとZethusの父の名前に因んで、Thebesと名づけられた。[MalaChro.2.49]
BC1324年、Endymionの子Epeiusは、Olympiaで競技会を開催した。[Euseb.Chron.191]
BC1323年、Seha River Land王Muwa-Walwisが死に、Manapa-Tarhuntaが跡を継いだ。[CTH 61, II.2B iv: 14]
** Manapa-Tarhuntaは、Muwa-Walwisの息子であった。[CTH 61, II.2B iv: 14]
** Muwa-Walwisの息子たちは、Manapa-Tarhuntaを追放した。[CTH 61, II.2B iv: 14]
** Manapa-Tarhuntaは、Karkiya(Caria)へ逃れた。[CTH 61, II.2B iv: 14]
BC1322年、Mursili IIは、KarkiyaへManapa-Tarhuntaの亡命を受け入れるよう手紙を送った。[CTH 61, II.2B iv: 14]
** Mursili II(BC1321-1295)が即位する前と思われる。
BC1322年、Sehaの住人が反乱を起こして、Manapa-TarhuntaをKarkiyaから呼び戻した。[wiki: Manapa-Tarhunta]
BC1322年、Tantalus (Uhha-Ziti)は、Arzawa王Tarhuntaraduの跡を継いだMaskhuiluwaを追放した。[wiki: Maskhuiluwa]
** Maskhuiluwaは、Hittite王Suppiluliuma I[BC1344-22]のもとへ亡命し、彼の娘Muwattiと結婚した。[wiki : Maskhuiluwa]
** Suppiluliuma IもArnuwanda IIも疫病で死んでおり、すぐにArzawaへの軍を起こせなかったと思われる。
** Uhha-Zitiは、SehaのManapa-Tarhuntaにも反乱に参加するよう説得した。[wiki: Manapa-Tarhunta]
BC1322年、Zethusは、彼の息子NeisがThebeの過失で死に、悲嘆のあまり死んだ。[Paus.9.5.9]
BC1322年、Perseusは、Persesへ援軍として、息子ElectryonをEthiopiaへ派遣した。[推定]
** その後、Electryonは、PhrygianのMideiaを妻にして、多くの息子たちが生まれた。[Apo.2.4.5]
BC1321年、Epopeusが死去。Epopeusの子Marathonは、AtticaからSicyonへ帰還した。[Paus.2.1.1]
** Marathonは、SicyonにAsopia(後のSicyon)、CorinthusにEphyraea(後のCorinth)を分け与えた。[Paus.2.1.1]
BC1321年、Arnuwanda II(BC1322-21)が死に、Mursili II(BC1321-1295)が跡を継いだ。[wiki: Manapa-Tarhunta]
BC1320年、Trosの子Ilusは、Mysia of Olympeneに進出し、BebrycesのByzosと戦って、勢力を拡大した。[Photios.186.12, Strabo. 12.3.3, 14.5.23, Plin.5.127]
BC1320年、Lapithes (or Lapithus)の子Phorbasは、Rhodesの住民から招かれて、Thessalyから島へ移住した。[Diod.5.58.5]
** Rhodesへ招いたのは、Macareusの子Leucippusと思われる。彼とPhorbasは、Hippotesの子Aeolusを祖父とする従兄弟であった。
BC1320年、Salmoneusは、ElisのEndymionの子Aetolusを追放した。[Paus.5.1.8, Strabo.8.3.33]
BC1320年、Aetolusは、ElisからAetoliaへ移住した。[Apo.1.7.6]
** Aetolusの移住先は「Curetian country」、つまり、後のPleuronであった。[Apo.1.7.6, Strabo.10.2.5]
** Aetolusの移住先は、Achelous川とEuenus川の間の、Curium山麓の土地であった。
** Aetolusは、Aetoliaに住んだ最初のGreeksであった。AetolusがAetoliansの名祖となった。[Paus.5.1.8, Strabo.8.3.33, Strabo.10.3.4]
BC1320年、Endymionの子Paeonは、Paeoniaへ移住した。[Paus.5.1.5]
** PaeonもAetolusと同じく、Salmoneusによって、Elisから追い出されたと思われる。
BC1320年、Amphion一家が悪疫のために、死に絶えた。[Apo.3.5.6, Paus.9.5.9]
** Amphionの息子Amyclasと娘Meliboea(Chloris)は、助かった。[Apo.3.5.6]
** Chlorisには兄弟姉妹が多く、彼女は最年長であった。[Apo.3.5.6]
** Chlorisは、Pelopsの結婚当時も、未婚であった。[Paus.5.16.4]
BC1320年、Labdacusの子Laiusは、Thebes王に即位した。[Paus.9.5.10]
BC1320年、Erechtheusの子Cecropsは、Euboeaへ移住した。[Paus.1.5.3]
** 支配者が、突然「移住した」という場合、「追放された」であることが時々ある。
** Lynceusの子AbasによるArgosからPhocisへの移住。[Paus.10.35.1]
** Melampusの子AbasによるArgosからThessalyへの移住。[Strabo.9.5.5]
** BC1360年、Cecropsの兄弟Pandorusは、Euboeaへ渡って、Chalcisを創建していた。[Ps-Scym.566]
BC1320年、Pandionの兄弟と思われるCychreusとScyrius(or Sciron, Chiron, Scirus)もそれぞれ、Salamis島とScyros島へ移住した。[推定] 
** Pandionは、Scyrius(or Sciron, Chiron, Scirus)と共にScyros島へ移住した。[推定] 
BC1320年、Amyclasの子Acriasは、Laconia湾岸にAcriaeを創建した。[Paus.6.21.10]
BC1320年、Linusは、AmphimarusとOuraniaの息子として、Thebesで生まれた。[Diogenes.1.3, Suda.la.568]
BC1320年、ElectryonとMideiaに、息子Celaeneus (Piyama-Radu)が生まれた。[Apo.2.4.5]
BC1320年、Haliartusの子Hippomenesは、Haliartusから東南東へ移住して、Onchestusを創建した。[Hesiod.CW.F28]
BC1320年、Magnesの子Methonは、Olympus山近くからThermaic Gulf北西岸へ移住して、Methoneを創建した。[Plut.QuestGr.11]

BC1319年、Pandionは、Scyriusの子Aegeusを養子にした。[Apo.3.15.5]
BC1319年、Melampusは、AmythaonとAglaiaの間の息子として、ThessalyのPylusで生まれた。[Apo.1.9.11, Diod.4.68.3]
** Melampusの予言術と、兄弟すべてがBoeotiaから妻を迎えていることから推測して、Aglaiaは、BoeotiaのTenerusの娘と思われる。
BC1319年、Attarimma、Huwarsanassa、Surudaの軍がArzawaに逃れ、Mursili IIがUhha-Zitiに引き渡しを要求した。[CTH 61 I, B ii: 29]
BC1319年、Mursili IIは、Uhha-ZitiがいたApasasへ進軍して、Piyama-Kurundasと戦って勝利した。[CTH 61 I, A ii: 15]
** 戦いは、Astarpa River(Meander Riverと推定)近くのWalmaで行われた。[CTH 61 I, A ii: 15]
** Mursili IIの治世(BC1321-1295) 3年目[wiki:Astarpa River]
BC1319年、Mursili IIがApasasに接近すると、病気になっていたUhha-Zitiは戦わずに、島々へ渡った。[CTH 61 I, A ii: 15]
** 島へ渡らなかった人々は、捕虜となってHattusasへ送られた。15,500人であった。[CTH 61 I, A ii: 33]
** 彼らはArinnandas山へ立て籠もったが、Mursili IIは彼らを包囲して兵糧攻めにした。[CTH 61, II.2B iii: 27]
BC1319年、Mursili IIは、冬営のためAstarpa川近くへ撤退した。[CTH 61 I, A ii: 46, CTH 61, II.2A iii: 23]
BC1319年、TantalusはMiletusのAhhiuwa王と同盟を結んだ。[CTH 61 II, 2B i: 23]
BC1319年、Alector (or Alexinus)は、Olympiaで競技会を開催した。[Euseb.Chron.191]
** Alexinusは、ElisのSalmoneusの子Alectorと思われる。[Diod.4.69.2]

BC1318年、Cecropsの子Pandionは、Megaraへ移住して、Pylasの娘Pyliaと結婚した。[Apo.3.15.5, Paus.1.5.3]
BC1318年、Hittite王Mursili IIはMala-ZitiとGullaに、Uhha-Zitiに味方したMiletusを攻撃させた。[CTH 61 II, 2B i: 23]
** Miletusは占領され、牛や羊と共に住人は、Hattusasへ連行された。[CTH 61 II, 2B i: 23]
** Miletus王Anaxの子Asteriusは、Miletusの前に浮かぶLade島近くの島に埋葬された。[Paus.1.35.6]
** Cleochusの娘Ariaは、Crete島へ逃れ、Miletusが生まれた。[Apo.3.1.2から推定]
BC1318年、Uhha-Zitiの子Piyama-Kuruntaは、Impaに陣を置くMiraのMashuiluwasを攻撃するが、撃退された。[CTH 61 II, 2B i: 23]
BC1318年、Piyama-Kuruntaは、Apasas(Ephesus)からTantalusとPelopsが避難した島(Samos島と推定)へ渡った。[wiki: Piyama-Kurunta]
** 当時のSamos島には、約1000人の奴隷いた。[Apollo.1.185, Heraclides.30, Strabo.14.1.3]
BC1318年、Uhha-Zitiは病気がもとで死んだ。[CTH 61, II.2A iii: 23, CTH 61, I. A ii: 50]
BC1318年、Tapalazunauliは島から本土へ戻って、人々が立て籠もっているPurandasに入った。[CTH 61, I. A ii: 50]
BC1318年、Mursili IIは、Purandasへ行軍して、Purandasから出て来たTapalazunauliと戦って破った。[CTH 61, I. A ii: 57]
** IliumのIlusも攻撃に参加していた。[Paus.2.22.3]
** Hittiteの文書によれば、当時、HittiteとWilusa(Troy)は連携して、Arzawa(Maeonia)と戦っていた。[wiki: Wilusa, Arzawa]
** Tapalazunauliは、包囲されるとPurandasを脱出したが、妻と息子たちは捕虜になった。[CTH 61, I. A ii: 71]
** Purandasは陥落し、16,00人が捕虜になって、Hattusasへ送られた。[CTH 61, I. A ii: 79]
** 島にいたPiyama-KuruntaとAhhiuwa王は、島に逃れた人々と共に島から連れ出されて捕虜になって、Hattusaへ送られた。[CTH 61, I. A iii: 1]
** Ahhiuwa王は、Miletusから逃れたCleochusと思われる。
** Cleochusの遺骨は、後に、Miletus近くのDidymaeumに埋葬された。[Cleme.Exho.3]
BC1318年、Mursili IIは、SehaのManapa-Tarhundasのもとへ行き、彼の行動を許し、領地を安堵した。[CTH 61, I. A iii: 13]
** Sehaに逃げ込んでいた追放者4,000人は、Hattusasへ送られた。[CTH 61, I. A iii: 13]
** Mursili IIは、2年でArzawaを征服した。Hattusasへ送られた追放者は66,000人であった。[CTH 61, I. A iii: 26]
BC1318年、Mursili IIは、Mashuiluwas をMiraの支配者にした。[CTH 61, II.2B iv: 34]
BC1318年、Polemonの子Naxosは、Dia島へ移住して、島の名前をNaxosに変えた。[Diod.5.51.3]
BC1318年、Salmoneusの娘Tyroは、Iolcusに住む、叔父Cretheusと再婚した。[Hyginus.13]
BC1317年、Minyasの娘Clymeneは、ThessalyのPhylaceに住むPhylacusのもとへ嫁いだ。[Apollo.1.45, Hesiod.CW.F84, Hyginus.14]
BC1315年、Oenomausは、HarpinaからPisaへ移住した。[Paus.5.1.6]
** Harpinaに住むOenomausは、すぐ西側のPisaに住むPerieresの子Pisusを攻めた。Pisusは、殺されたと推定される。
** Pisusの妻Telegoneは、父Pharisが創建したMesseniaのPharaeへ移住したと推定される。
** 当時、Olympiaを領していたElisは、Perieresの兄弟Aethliusの後裔の町であり、Oenomausは、Olympiaをも奪った。[Paus.5.1.7]
BC1315年、2人目のMinosが生まれた。[Diod.4.60.3]
BC1315年、Pelopsは、Samos島からPeloponnesusへ移住した。[Paus.2.22.3]
** PelopsがGreeceに来る前に、息子Chrysippusがいたことから、戦いの後で、3年ほどAsia Minorにいたと思われる。[Hyginus.85, Plut.Mor.313e]
** Pelopsは、IliumのIlusに攻められ、LydiaからPeloponnesusへ移住した。[Paus.2.22.3]
** Hittiteの文書によれば、当時、HittiteとWilusa(Troy)は連携して、Arzawa(Maeonia)と戦っていた。[wiki:Wilusa, Arzawa]
** Pelopsの居住地もMaeonia内にあったと思われ、HittiteとWilusaの連合軍に攻められて、海外へ移住したと推定される。
** PelopsのPeloponnesus上陸地は、Laconia湾のEurotas川の河口近くと思われる。
** Eurotas川の河口近くのAcriaeの創建者AcriasがOenomausに殺された。[Paus.6.21.10]
** Acriasは、Spartaから南へ移住してAmyclaeを創建したAmyclasの息子と推定される。
** AcriaeにはPeloponnesus半島内で最古の神々の母の神像があった。[Paus.3.22.4]
** Pelopsの本当の名前は、Peloponnesusであった。[StephByz.P515.2]
** Pelopsは、Asiaから莫大な富を持って、貧しい人々の暮らすGreeceにやってきて、富によって勢力を広げた。[Thucy.1.9]
** TantalusとPelopsの子孫たちが持つ富はPrygiaやSipylus山一帯の鉱床から生れた。[Strabo.14.5.28]
BC1315年、Pelopsは、PisaのOenomausの娘Hippodamiaを妻にした。[Paus.5.16.4]
** Pelopsは、Oenomausを槍で殺した。[Eur. IT.826]
** PisaからCorinth地峡までの戦車競走の逸話があるが、馬が競走できる距離ではない。[Apo.E.2.5]
** PelopsとHippodamiaの婚礼の宴の徒競走でAmphionとNiobeの間の娘Chlorisが勝利した。[Paus.5.16.4]
BC1315年、Aeolusの子Macedonの子Emathionは、Emathiaを創建した。[Strabo.7.8.2]
BC1315年、Chioneの子Eumolpusは、祭儀を継承するため、ThraciaからEleusisへ移住した。[Eumolpusの子孫がEleusisの祭司であったとこから推定]
** EleusisにChioneの子Eumolpusの墓があった。[Paus.1.38.2]
BC1314年、Oenomausは、Olympiaで競技会を開催した。[Euseb.Chron.191]
** Oenomausは、Pelopsを婿として、Pisaに迎え入れたと思われる。
BC1312年、Pandionは、MegaraからAthensへ帰還し、Athens王に即位した。[Euseb.Chron.185から推定]
BC1312年、Mursili's eclipse (24 June 1312 BC) [wiki: Astarpa River]
** Mursili IIの治世10年目[wiki:Mursili's eclipse]
BC1312年、Perseusの子Persesは、Troyに圧迫されてMycenaeのPerseusに援軍派遣を要請した。[推定]
BC1310年、PisaのOenomausの子Dyspontusは、OlympiaからElisに向かう海に近い街道沿いに、Dyspontiumを創建した。[Paus.6.22.4]
BC1310年、Periphasの子Melaneusは、Triccaの近くにOechaliaを創建した。[Strabo.10.1.10から推定]
BC1310年、Aeolusの子Perieresは、後継者の絶えたMesseniaのAndaniaからの求めに応じて、ThessalyからAndaniaへ移住した。[Paus.4.2.2]
** ThessalyのAeolisの有力者の中から独身であったPerieresが選ばれたものと思われる。
** Perieresと共に、多くのLapithsがThessalyからAndaniaへ移住したと思われる。
BC1310年、Perseusは、Proetusの子Megapenthesに殺された。[Hyginus.244]
** この後、ArgosとMycenaeは絶縁状態になった。
** Thebes攻めでMycenaeは援軍を出すことを承諾したが、結局出さなかった。最初から援軍要請もしていなかったと思われる。
** Argos はTroy攻めに名を連ねているが、戦死者もなく、消極的参加だったと思われる。
BC1310年、Perseusの子Sthenelusが、Mycenaeを継承した。[Strabo.8.6.19]
BC1310年、Megapenthesは、PhocisのAbaeのLynceusを殺害した。[Hyginus.244]
BC1310年、PhocisのAbaeのLynceusの子Abasは、Megapenthesを殺害した。[Hyginus.244]
** Acrisiusの死後、MegapenthesがArgosを治め、植民市Abaeとの間で、紛争があったと思われる
BC1310年、Megapenthesの子Argeusは、Argos王に即位した。[Paus.2.18.4]
BC1310年、Lynceusの子Abasは、PhocisのAbaeからEuboeaのChalcisへ移住した。[Hyginus.244, Strabo.10.1.3]
BC1310年、Lynceusの息子と思われるOrnytusは、AbaeからPhocis北西部へ移住してNaubolenses(後のDrymaea)を創建した。[Paus.10.33.12]
BC1310年、Lynceusの息子と思われるCriusは、AbaeからEuboeaへ移住した。[Paus.10.6.6]
BC1310年、Hyantesは、PhocisのAbae近くへ移住して、Hyampolisを創建した。[Paus.10.35.5]
** Hyantesの移住は、Minyasとの戦いと思われる。
BC1310年、Aeolusの子Magnesの子Pierusは、Olympus山の北側にPieriaを創建した。[Tzetzes.6.930]
** Hemathion (or Emathion)の子Aeropusが最初にPieriaを統治した。[Tzetzes.6.930]
BC1310年、Chioneの子Eumolpusの子Ismarusは、ThraciaのHebrus川とNestus川の間の海の近くにIsmarusを創建した。[Ps-Scym.646から推定]

BC1308年、Labdacusの子Laiusは、Menoeceusの娘Jocastaと結婚した。[Paus.9.5.10]
BC1307年、Aeolusの子Perieresは、MycenaeのPerseusの娘Gorgophoneと結婚した。[Apo.1.9.5, Paus.4.2.4]
** AndaniaとMycenaeはAchaeansの町であることから、この婚姻が成立したと思われる。

BC1306年、Lapithesの子Phorbasは、Pelopsを恐れたElis王Alectorから招致されてOlenusを任せられた。[Diod.4.69.2]
** <<AlectorがSalmoneusの息子と思われる理由。>>
** Salmoneusは、ElisのEndymionの子Aetolusを追放した。[Paus.5.1.8, Strabo.8.3.33]
** Aetolusの跡を継いだのは、Aetolusの姉妹Eurycydaの子Eleiusであった。[Paus.5.1.8]
** Eleiusは、Salmoneusの異母兄弟Aethliusの孫娘の息子であった。[Apo.1.7.3]
** Pausaniasの系譜に登場しないElis王Alectorが、PhorbasにOlenusを任せた。[Diod.4.69.2]
** Phorbasは、Salmoneusの異母兄弟Lapithesの息子であった。[Diod.5.81.6]
** Oenomausの後にOlympic Gamesを開催したAlexinusは、Alectorと同一人物と思われる。[Euseb.Chron.191]
** 以上のことから、つぎのことが推定される。
** AlectorはSalmoneusの息子であり、Eurycydaの夫であり、Eleiusの父であった。
** Salmoneusは、Elis王Aetolusを追放して、孫EleiusはElis王となり、年少であったため父Alectorが後見人になった。
** その後、PisaのPelopsが勢力を増し、危機感を募らせたAlectorは、従兄弟Phorbasに当時Elis領であったOlenusを任せた。

BC1305年、Aeolusの息子と思われるMelaneusは、Andaniaの近くにOechaliaを創建した。[Paus.4.2.2]
** Melaneusは、兄弟のPerieresの求めでMesseniaへ移住したと思われる。
BC1305年、Aeolusの子Macedonの子Europusは、Pellaの少し北に、Europusを創建した。[StephByz.E287.14]
** Europusの母は、Cecropsの娘Oreithyiaであった。[StephByz.E287.14]
BC1305年、Macedonの子Beresは、Macedonia地方にBerisを創建した。[StephByz.B164.23]
BC1305年、Minyasの子Cyparissusは、Delphiの近くにCyparissusを創建した。[Paus.10.36.5]
BC1305年、Mashuiluwaは、義兄弟Mursili IIに反乱を起こして捕らえられた。[wiki: Mashuiluwa]
BC1305年、Mashuiluwaの養子Kupanta-KuruntaがMiraの王になった。[wiki: Mashuiluwa]
BC1305年、Cychreusの娘Charicloは、Salamis島からScyros島に住むCecropsの子Scyriusのもとへ嫁いだ。[Plut.These.10]
BC1305年、Tiryns王AlcaeusとHipponomeの間にAmphitryonが生まれた。[Apo.2.4.5, Paus.8.14.2, Paus.9.11.1]

BC1303年、PhliusのAraethyreaの子Phliasは、SicyonからSicyonの娘Chthonophyleを妻に迎えた。[Paus.2.12.6]
BC1303年、MesseniaのAndaniaのPerieresは、2人の息子たち、AphareusとLeucippusを残して死んだ。[推定]
** Perieresの妻Gorgophoneが、LacedaemonのOebalusと再婚して、Aphareusと結婚する娘Areneが生まれるので、この頃と思われる。
BC1303年、Aeolusの子Cretheusは、Iolcusで死んだ。[Diod.4.68.3]
BC1303年、Amythaonの娘Perimelaは、Periphasの子Antionと結婚した。[Diod.4.69.3]
BC1303年、Amythaonは、Neleus、Melampus、Biasを連れてEleiaへ移住して、Pylusを創建した。[Apo.1.9.9, Diod.4.68.3, Paus.4.36.1]
** Neleusの移住の原因は、兄弟Peliasとの争いと伝えられている。[Diod.4.68.3]
** しかし、次のことから、PeliasとNeleusは、良好な関係にあった。
** 1) PeliasやNeleusは共同でOlympia祭競技会を開催した。[Paus.5.8.2]
** 2) Neleusと共へ移住したBiasの娘がPeliasと結婚した。[Hyginus.14]
** Amythaonは、息子たちを同行させており、Eleiaへの移住を主導したのはNeleusではなく、Amythaonであった。[Diod.4.68.3]
** Pylusは、ElisからOlympiaへ行く山道にあった。Pylusの近くを流れるLadon川がPeneius川に合流する。[Paus.6.22.5]
** MegaraのClesonの子Pylasは、EleiaにPylusを創建したという伝承もある。[Paus.6.22.5]
** 史実であれば、Pylasは78歳以上である。Pylusの名前から考えられた創作と思われる。
** Pylusの名前は、Amythaonの生まれ故郷、ThessalyのPyllusをそのまま名付けものと思われる。[Apo.1.9.11]
BC1303年、Aeolusの子Perieresの妻Gorgophoneは、SpartaのOebalusと再婚した。[Apo.1.9.5, Paus.4.2.4]
BC1303年、Hippocoonの子Pheresは、PhyllusからIolcusの近くへ移住してPheraeを創建した。[Apo.1.9.14]

BC1302年、Paeonの娘Evippeは、Pieriaに住むMethoneの兄弟Pierusと結婚した。[Tzetzes.6.930]
** Pierusは、Evippeの祖父Endymionの従兄弟であった。
BC1302年、Amythaonの子Melampusは、ArgosのMegapenthesの娘Iphianeiraと結婚した。[Apo.2.2.2, Diod.4.68.5]
** Megapenthesの子Argeusは、Mycenaeを恐れて、当時、Eleiaの盟主であったAmythaonの息子に妹を嫁がせたものと思われる
BC1301年、Aetolusの子Calydonは、Amythaonの娘Aeoliaと結婚した。[Apo.1.7.7]
** Aetolusの父Endymionの父Aethliusは、Amythaonの母Tyroの父Salmoneusの兄弟であった。
** つまり、CalydonとAeoliaは、3いとこであった。
** Amythaonの祖父Salmoneusは、Calydonの父AetolusをElisから追い出した敵であった。
** Calydonの住人の多くは、Elis出身者の後裔であった。
** Calydonは、Curetesを味方にして勢力を増す彼の兄弟Pleuronに、婚姻を通して対抗しようとしたと思われる。
BC1301年、Methonの子Charopsは、MacedoniaのMethoneからThraciaのBisaltiaへ移住した。[Tzetzes.8.1から推定]
BC1301年、Minyasの娘Periclymeneは、Thessaly地方のPheraeに住むPheresのもとへ嫁いだ。[Hyginus.14, Tzetzes.2.280]

BC1300年、Hippocoonの子Aesonは、Pagasetic Gulf近くにAesonis (or Aeson)を創建した。[Apollo.1.411, StephByz.A54.16]
BC1300年、Perseusの子Cynurusは、MycenaeからLaconiaの近くへ移住してCynuriaを創建した。[Paus.3.2.2]
BC1300年、Eurymachus率いるPhlegyesは、Thebesに攻め入り、略奪して町を荒廃させた。[FGrH.Nr333.F41]
** Phlegyesには、Phorbasという指導者もいた。Phorbasは、Trojan Warの後でPanopeusに住んでいた。[Ovid.Meta.11.410, Philos.2.19]
BC1300年、CreonはMenoeceusの息子としてThebesで生まれた。[Hyginus.86]
BC1300年、Atysの子Tyrrhenus率いるMaeonians は、Italy西海岸へ移住した。[Antiq.1.27.2, Herod.1.94, Plut.Romu.2, Strabo.5.2.4]
** Hittite王Mursili IIがApasa(後のEphesus)を首都とするArzawaを攻略して住人を追放した。[wiki : Arzawa]
** 追放された住人の一部は、Samos島へ逃れ、Ephesusの人口は少なくなったと思われる。
** Samos島には、戦いで奴隷になった人々がいた。奴隷1,000人が、反乱を起こして和議を結んで、Ephesusへ渡った。[Athen.6.267a]
** Herodotusは移住の原因を飢饉のように伝えているが、Hittiteとの戦いが原因と思われる。[Herod.1.94]
** Tyrrheniansに名前を変えたMaeoniansは、Pelasgiansであった。[Antiq.1.28.3, Plut.Romu.2, Strabo.5.2.4]
** PelasgiansとTyrrheniansの言葉は、まったく似ていなかった。[Antiq.1.29.3]
** Etruriansは、Lydiaから来た。[Just.20.1]
BC1300年、Romisは、Latiumに侵入しようとしたPelasgiansを撃退した。[Plut.Romu.2]
BC1300年、Faunusの子Arnusは、TyrrhenusらのPelasgiansによって、Trasimene湖周辺から追い出された。[Ita.5.1]
BC1300年、PelasgiansのMaleosは、Tyrrhenusに追われてRome近くのRegis VillaからSicilyへ移住した。[Paus.1.28.3, Strabo.5.2.8]
** Pelasgiansは、Sicily、Acarnania、Boeotiaと住居を変えて、BC1126年頃にAthensへ移住した。[Paus.1.28.3, Diod.19.53, Strabo.9.2.3]
BC1300年、ThessalyからItalyへ移住したPelasgiansは、Tyrrhenus率いるMaeoniansに追い出された。[Pliny.3.50, Strabo.5.2.3]
BC1300年、Triopas(Abas)の子Phorbasの子Pellenは、ArgosからAchaiaへ移住して、Pelleneを創建した。[Paus.7.26.12]
BC1300年、Perseisの子Aeetesは、Tauric ChersoneseからColchis地方へ移住して、Colchis地方を継承した。[Apo.1.9.1]




 

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