top of page
  • Grey Twitter Icon
  • Grey LinkedIn Icon
  • Grey Facebook Icon
  • Grey Pinterest Icon
  • Grey Instagram Icon

第1章 オギュゴス時代の大洪水(BC1750)

Create:2025.10.30, Update:2026.2.16

1 はじめに

石器時代のギリシア各地に人々が暮らしていた痕跡が残されているが、その人々がギリシア語を話していたかどうかは不明である。

古代ギリシア人の祖先は、パルナッソス山の北側を西から東へ流れるケピソス川の上流に長い間住んでいた。ケピソス川は、古代ギリシア人にとって聖なる川と形容され、彼らの居住地の広がりとともに各地を流れる川にも同じ名前が付けられた。シキュオン、アルゴス、アテナイ、エレウシスの町、さらに、サラミス、スキュロス島にもケピソス川がある。[1]

古代ギリシア人の系譜から、彼らの動きを追跡できるのは、BC1750年にケピソス川で大洪水が発生する少し前の時代からである。確認される最古のギリシア人 の名前は、クレオポンポスとその妻クレオドラである。クレオポンポスの子パルナッソスは、それまで散らばって住んでいた人々を一か所に集めて住まわせて町をつくった。パルナッソスは、鳥の飛び方による占いを発明したと伝えられている。これは、ドドナの巫女が鳩の飛び方を見て予言していたことと関連があるのかもしれない。[2]

パルナッソスの名前はデルポイの背後に聳える山の名前になった。パルナッソスが創建した町の名前や詳しい位置については不明である。

 

2 オギュゴス時代の大洪水

パウサニアスは、パルナッソスが創建した町が、デウカリオーン時代の洪水に襲われ、町の住人はパルナッソス山へ逃れて、新たにリュコレイアの町を創建したと記している。[3]

しかし、この洪水は、デウカリオーン時代ではなく、オギュゴス時代であった。

 

2.1 オギュゴス時代の洪水の年代

BC2世紀の年代記作者ロドス島のカストールは、オギュゴス時代の洪水から初代アテナイ王ケクロプスまで、190年だと伝えている。[4]

ケクロプスの即位年は、カストールが記す歴代のアテナイ王の在位年数から逆算すると、BC1561年であり、オギュゴス時代の洪水は、BC1750年頃と推定される。[5]

また、AD5世紀の神学者ヒエロニムスの年代記は、オギュゴス時代の洪水は、BC1757年だと記している。[6]

BC6世紀の神話学者アクシラオスは、オギュゴスが最初のオリュンピアードから、1020年前だと伝えており、カストールやヒエロニムスと、概ね合致する。[7]

 

2.2 デウカリオーン時代の洪水の年代

青銅器時代、偶然にも2人の異なるデウカリオーンの時代に大洪水が発生していた。

1)|ヘレンの父デウカリオーンの時代

BC1511年、ヘレンの父デウカリオーンがテッサリア地方に住んでいた頃に大地震があり、川が堰き止められて大洪水が発生した。[8]

2)|アンピクテュオンの父デウカリオーンの時代

BC1390年、テッサリア地方に攻め込んでペラスゴイ人を追い出したアンピクテュオンの父デウカリオーンの時代に、エーゲ海で大津波が発生した。[9]

最初のデウカリオーンにもアンピクテュオンという名前の息子がいて、2人目のデウカリオーンと混同して、伝承に登場している。[10]

 

3 各地への移住

洪水が発生したケピソス川から多くの人々が、新天地を求めて、各地へ移住した。

デルポイ人はパルナッソス山へ、オギュゴスはコパイス湖の近くへ、イナコスの息子たちはペロポネソス半島へ移住した。

 

3.1 デルポイ人の移住

ケピソス川の近くから、パルナッソス山へ逃れた人々は町を作った。指導者の名前は不詳であるが、妻の名前は、コリュキアであった。息子の名前はリュコロスで、町は、リュコロスの名に因んでリュコレイア と呼ばれた。リュコロスには息子ピュアモスが生まれ、ピュアモスには娘ケライノが生まれ、ケライノには息子デルポスが生まれた。その後、荘厳な地に町がつくられ、この息子の名に因んでデルポイと名付けられた。[11]

デルポスには息子ピュテスが生まれ、息子の名に因んでデルポイは、ピュトとも呼ばれた。[12]

デルポイの創建は、大洪水の時代から5世代目のときであり、BC1650年と推定される。

 

3.2 オギュゴスの移住

3.2.1 ボイオティアへの定住

オギュゴスは、エクテネスを率いて、ケピソス川に沿って下り、コパイス湖の南東に定住した。エクテネスは、東はアウリスの町から、西はアラルコメナイの町までの範囲に居住した。[13]

テバイの町の北の一番古い門には、オギュゴスの名を残している。[14]

オギュゴスの子エレウシスは、さらに南へ移住し、サロニコス湾に注ぐ川の河口付近にエレウシスの町を創建した。その川は、ケピソスと名付けられた。[15]

 

3.2.2 ボイオティアからの大移動

BC1580年、エクテネスは、ヒュアンテスなどの他種族から圧迫を受けて、コパイス湖の近くから各地へ移住した。[16]

それまで、エクテネスと呼ばれていた、ボイオティア地方の住人はヒュアンテスと呼ばれるようになった。[17]

 

3.2.2.1 アッティカへの移住

アッティカ地方に移住したエクテネスは、アッティカ地方北東部に散らばって居住した。

この移住から約115年後に、第4代アテナイ王エリクトニオスの娘クレウサの夫クストスは、周辺から人々を集めて、オイノエ、マラトン、プロバリントス、そしてトリコリュントスという4つの町を建設した。[18]

 

3.2.2.2 テッサリアへの移住

ヘレンの父デウカリオーンの祖父に率いられた集団は、テッサリア地方へ移住した。[19]

後に、ヘレンの兄弟アンピクテュオンや、ヘレンの子クストスは、アテナイ王の娘と結婚した。

デウカリオーンの祖父と第2代アテナイ王クラナオスの祖父とは兄弟であったと推定される。[20]

デウカリオーンは、テッサリア地方の北部を流れるペネイオス川に南から流れ込むエニペウス川の源流付近に住んでいた。彼は、ピュラ (後のメリタイア)の町を創建した。[21]

BC1560年、デウカリオーンの父の時代に、ペロポネソス半島のアルゴスの町からラリッサ一家がテッサリア地方に移住して来た。ラリッサの子ペラスゴスの子ハイモンの時代には、テッサリア地方はハイモニアと呼ばれ、デウカリオーンの子ヘレンが住む地方は、ヘラスと呼ばれていた。[22]

デウカリオーンの子ヘレンは、父から独立してエニペウス川の対岸にヘラスという町を作ったが、大洪水に襲われた。[23]

この大洪水は、「デウカリオーン時代の洪水」として知られるものであった。テッサリア地方北部を震源とする大地震による山塊の崩落や土地の隆起が起こった。広大な沼の水がペネイオス川に流れ込んで、上流まで洪水が発生した。[24]

この洪水は、初代アテナイ王ケクロプスから第2代アテナイ王クラナオスに代わった年に起こったもので、BC1511年であった。[25]

 

3.2.2.3 エジプトへの移住

クラナオスの祖父であり、恐らく、初代アテナイ王ケクロプスの父であった人物は、エジプトのナイルデルタへ移住してサイスの町を創建した。[26]

ケクロプスは、移住したとき、16歳であったと推定される。

ケクロプスはギリシア語の他にもう一つの言語を話すことから、「two-formed」という意味を持つディファイエスという呼び名があった。「2つの言葉を話す」という意味であった。[27]

ケクロプスは、ボイオティア地方のトリトン川のほとりにエレウシスとアテナイの町を創建したと伝えられており、彼は、ボイオティア地方に縁があったと思われる。[28]

また、ケクロプスの父には、オギュゴスという名前の兄弟がいて、エジプトにテバイの町を創建した。[29]

そのテバイの町は、後にカドモスが生まれる町で、ナイルデルタにあったと推定される。[30]

 

3.3 イナコスの息子たちの移住

イナコスの2人の息子たち、アイギアレオスとポロネオスに率いられた人々は、ペロポネソス半島へ移住した。[31]

いくつかの伝承は、イナコスの子ポロネオスの時代に、オギュゴス時代の大洪水が発生したと伝えている。[32]

アイギアレオスは、ペロポネソス半島に入ってすぐの海岸地帯を定住して、アイギアレイア (後のシキュオン)の町を創建した。[33]

ポロネオスは、さらに南下して平野の端に定住した。ポロネオスは散らばって住んでいた人々を一箇所に集めて、ポロネオス (後のアルゴス)の町を創建した。[34]

また、イナコスの娘の名前に因んで名付けられたミュケナイの町も、ポロネオスの町と同じ頃に創建されたと思われる。[35]

ミュケナイの町は、シキュオンの町とアルゴスの町を結ぶ交通の要衝に位置していた。

 

おわり

bottom of page