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第41章 イオニア人の系譜

Create:2025.10.30, Update:2026.2.16

1 はじめに

BC1750年、パルナッソス山の北を流れるケピソス川の上流で大洪水が発生した。

オギュゴスに率いられたエクテネスは、ケピソス川の下流へ移住して、コパイス湖の南東に定住した。[1]

BC1580年、ヘレンの父デウカリオーンの祖父に率いられたエクテネスの一部は、ヒュアンテスなどの他の部族によって圧迫されて、ボイオティア地方からテッサリア地方へ移住した。デウカリオーンは、テッサリア地方北部を流れるペネイオス川に南から流れ込むエニペウス川の上流に、ピュラ (後のメリタイア)の町を創建した。[2]

デウカリオーンには、2人の息子たち、アンピクテュオンとヘレンがいた。[3]

ヘレンはプティオティス地方を治め、その地方に住む人々はヘレネス (または、ヘラス)と呼ばれた。[4]

 

2 ヘレンの子クストス

ヘレンには、3人の息子たち、アイオロス、クストス、ドロスがいた。[5]

ヘレンの後裔たちは、勢力を伸ばして、アイオロスはアイオリス人、ドロスはドーリス人の始祖になった。

クストスには、2人の息子たち、アカイオスとイオンがいた。アカイオスはアカイア人、イオンはイオニア人の始祖になった。[6]

 

2.1 クストスの移住

BC1470年、ヘレンが死ぬと、アイオロスとドロスは、クストスをメリタイアの町から追放した。[7]

クストスは、叔父アンピクテュオンが、かつて王として統治したアテナイの町へ行き、第4代アテナイ王エリクトニオスの娘クレウサと結婚した。クストスは、アッティカ地方の北東部に周辺から住人を集めて、テトラポリス (オイノエ、マラトン、プロバリントス、トリコリュントス)を建設した。[8]

BC1442年、クストスは、ペロポネソス北東部のアイギアロス (後のアカイアの一部)地方へ移住した。[9]

 

2.2 クストスの定住地

アイギアロスは、地方名であり、クストスの定住地の正確な場所は不明である。

クストスがアッティカ地方からアイギアロス地方へ移住したとき、ペロポネソス北東部には、アイギアレイアの町とヒュペレシア (後のアイゲイラ)の町があった。

アイギアレイアの町は、BC1750年に、イナコスの子アイギアレオス (または、アイゼイオス)によって創建された。[10]

ヒュペレシアの町は、BC1450年に、リュカオンの子ヒュペレトスによって創建された。[11]

クストスの定住地は、アイギアレイアの町とヒュペレシアの町の間であったと推定される。[12]

そこには、クストスが定住してから約160年後、第6代アテナイ王エレクテウスの娘の娘ゴヌッサの名前に因んだ町が創建された。[13]

ゴヌッサの時代、クストスと共にアッティカ地方から移住した人々の子孫が、その地で暮らしていたものと思われる。

 

3 始祖イオン

イオンは、ヘレンの子クストスと第4代アテナイ王エリクトニオスの娘クレウサの息子として生まれた。[14]

BC1442年、イオンは、父クストスと共に、アッティカ地方から、ペロポネソス北部のアイギアロス地方へ移住した。[15]

BC1440年、イオンは、アイギアリア人の王セリノスの娘ヘリケと結婚した。[16]

セリノスは、ヒュペレシアの町の創建者ヒュペレトスの息子と推定される。

イオンは、セリノスの跡を継いで、ヒュペレシアの町に住み、アイギアリア人の王になった。[17]

BC1430年、イオンは、ヒュペレシアの町の西北西にヘリケの町を創建した。[18]

イオンが治める地方に住む人々は、イオニア人と呼ばれるようになった。[19]

 

3.1 イオンの兄弟アカイオス

BC1435年、イオンの兄弟アカイオスは、かつて、父クストスが追放されたテッサリア地方のメリタイアの町へ移住した。[20]

BC1420年、アカイオスは、テッサリア地方からアイギアロス地方へ帰還した。[21]

BC1408年、アカイオスの2人の息子たち、アルカンドロスとアルキテレスは、アルゴスの町からダナオスの娘たちを娶り、その後、彼らはアルゴスの町へ移住した。[22]

 

3.2 エウモルポスとの戦い

BC1415年、エウモルポス率いる大集団がアッティカ地方に侵入して来た。[23]

アテナイ人は、カドモスと共に移住してきたゲピュライオイ (フェニキア人の支族)が居住するボイオティア地方東部のタナグラ近くへ避難した。[24]

第5代アテナイ王パンディオンは、彼の姉妹クレウサの息子イオンに協力を求めた。イオンは、アテナイ人から推挙されてポレマルコスとなってエウモルポスと戦って、休戦に持ち込んだ。[25]

 

3.3 アッティカへの移住

イオンは、アッティカ地方の東部のポタモイの町に住み、アテナイ人の政治にも関与した。イオンは、住民を4つに分けて部族名に自分の4人の息子たちの名を付けた。イオンは、職業によって、アテナイ人を4つに分け、農民、職人、神職、衛兵とした。[26]

イオンは、アッティカ地方で死去し、ポタモイの町に埋葬された。[27]

 

4 アカイアのイオニア人

4.1 イオンの子供たち

イオンには4人の息子たち、ゲレオン、アイギコレス、アルガデス、ホプレスがいた。[28]

アテナイ人は、イオンの4人の息子たちに因んだ、4つの部族に分けられ、その部族名は、BC6世紀に変更されるまで900年間使用された。[29]

また、イオンには娘ブラがいて、ヘリケの町の少し東に彼女の名前が付けられたブラの町があった。[30]

 

4.2 アイギアロスに残ったイオンの後裔

イオンには、アッティカ地方に住んだ4人の息子たちの他にも息子たちがいて、アイギアロス地方の領地を継承したと思われる。

その息子たちの領地は、つぎの土地であったと思われる。

1) クストスが定住し、彼の息子アカイオスが継承した、シキュオンの町の西側の土地。

2) イオンがセリノスから継承したヒュペレシアの町。

3) イオンが創建したヘリケの町。

 

4.3 レスボスへの移住

BC1389年、アイギアロス地方のイオニア人は、オレノスの町のヒッポテスの子アイオロスの子マカレウス率いる移民団に参加して、ペラスギア (後のレスボス)島へ移住した。マカレウスの移民団には、イオニア人の他に、アイオリスやペラスゴイ人も参加した。[31]

 

4.4 アテナイへの移住

BC1104年、ヘラクレイダイにスパルタの町を明け渡したオレステスの子ティサメノスは、ペロポネソス北部へアカイア人を率いて移住した。ティサメノスは、先住していたイオニア人に対して、共住を申し出るが、彼らに拒否されて戦いになった。イオニア人は、アカイア人によって追い詰められて、ヘリケの町で包囲された。[32]

BC1102年、イオニア人は、アカイア人と休戦条約を結んで、アテナイの町へ亡命した。アテナイ王メラントスは、イオニア人を受け入れた。メラントスは、同族への好意というよりも、イオニア人をドーリス人に対する戦力として受け入れた。[33]

 

5 アッティカとメガラのイオニア人

5.1 アッティカからアイギナへの移住

BC1415年のエウモルポスの侵入時、アッティカ地方北東部のテトラポリスの一つ、オイノエの町の住人は、エピダウロスの町の近くのサロニコス湾に浮かぶ島へ移住した。[34]

その島は、オイノエ (後のアイギナ)と呼ばれるようになった。[35]

アッティカ地方のオイノエの町の住人は、ヘレンの子クストスに率いられて、テッサリア地方から移住した人々であった。[36]

 

5.1.1 アイギナからエピダウロスへの移住

BC1287年、アクトールの子アイアコスは、テッサリア地方のディアの町からオイノエ島へ移住し、島はアイギナ島と呼ばれるようになった。[37]

アイギナ島に先住していたイオニア人は、クストスの子イオンの後裔に率いられて、エピダウロスの町へ移住した。[38]

 

5.2 アッティカからエピダウロスへの移住

ヘラクレイダイの遠征には、アッティカ地方のテトラポリスのイオニア人も参加した。

BC1102年、アンティマコスの子デイポンテスは、アルゴスの町からドーリス人を率いて、エピダウロスの町を占領した。[39]

デイポンテスは、テトラポリスから遠征に参加していたイオニア人をエピダウロスの町に定住させた。[40]

 

5.2.1 エピダウロスからアテナイへの移住

BC1102年、デイポンテスが占領したエピダウロスの町に住んでいたイオニア人は、クストスの子イオンの後裔ピテュレウスに率いられて、アテナイの町へ移住した。[41]

BC1095年、ピテュレウスの子プロクレスは、エピダウロスの町からアテナイの町へ移住したイオニア人を率いて、サモス島へ移住した。[42]

 

5.3 アッティカからエウボイアへの移住

ドーリス人によって土地を奪われたイオニア人を受け入れて、人口が増え過ぎたアッティカ地方の町は、エウボイア島へ移民団を送った。

BC1085年、クストスの3人の息子たち、コトス、アイクロス、エロプスは、それぞれ、エウボイア島にカルキス、エレトリア、エロピアの町を創建した。エロプスは、さらに、周辺のヒスティアイアの町なども攻略した。[43]

イオニア人は、カルキディア人やエレトリア人に名前を変えた。

 

5.3.1 エウボイアからキオスへの移住

BC1075年、クストスの子エロプスの兄弟と思われるアンピクロスは、ヒスティアイアの町からキオス島へ移民団を率いて、移住した。[44]

クストスは、人種的にはフェニキアのであり、先祖は、カドモスと共にボイオティア地方へ移住して来て、タナグラの町周辺に居住していたゲピュライオイであった。

パウサニアスは、アンピクロスの後裔ヘクトールが、何故、イオニア同盟へ加盟できたのか分からないと記している。ヘクトールがイオニア同盟へ加盟できたのは、アンピクロスと共にキオス島へ移住したのがイオニア人であったからであった。[45]

 

5.4 メガラからアッティカへの移住

BC1074年、アテナイの町の人口増加に危機感を募らせたドーリス人は、アテナイの町に攻め込んだ。[46]

ドーリス人はアテナイの町の攻略に失敗したが、引き返す途中、当時、アテナイ領であったメガラ地方からイオニア人を追い出して、メガラの町を建設した。[47]

メガラ地方を追われたイオニア人は、アッティカ地方の東海岸のブラウロンの町へ移住した。

これより前に、アイアスの子ピライオスが、メガラの町からブラウロンの町へ移住していた。[48]

 

6 小アジアへの植民

BC1073年、コドロスの子ネイレウスは、移民団を率いて、アテナイの町から小アジアのミレトスの町へ移住した。[49]

それから、30年間、小アジアへの植民活動は続いて、多くの町が建設された。

それらの町に入植したのは、イオニア人だけではなく、アバンテス、ミニュアス人、カドメイア人がいた。[50]

また、ドリュオプス人、デルポイ人を除くポキス人、モロッソス人、アルカディア人、エピダウロスの町の新しい住人であるドーリス人も入植に参加した。[51]

それらの町の地方は、イオニアと呼ばれ、プリエネの町の近くのパンイオニオンで、共同の祭りを催した。[52]

 

7 イオニア人の居住地の広がり

BC1430年、イオニア人は、ペロポネソス北部のヘリケの町で誕生した。

BC1415年、ヘリケの町に住んでいたイオニア人は、イオンに率いられて、アッティカ地方へ移住した。

BC1389年、ペロポネソス北部に住んでいたイオニア人は、レスボス島へ移住した。

BC1102年、ペロポネソス北部に住んでいたイオニア人は、アカイア人に追われて、アテナイの町へ移住した。

BC1102年、アルゴス地方のエピダウロスの町に住んでいたイオニア人は、ドーリス人に追われて、アテナイの町へ移住した。

BC1102年、アッティカ地方に住んでいたイオニア人は、エピダウロスの町へ移住した。

BC1095年、アテナイの町に住んでいたイオニア人は、サモス島へ移住した。

BC1085年、アテナイの町に住んでいたイオニア人は、エウボイア島へ移住した。

BC1075年、エウボイア島に住んでいたイオニア人は、キオス島へ移住した。

BC1074年、メガラの町に住んでいたイオニア人は、アッティカ地方へ移住した。

BC1073年からBC1043年の間、イオニア人は、アテナイの町から小アジアのイオニア地方へ移住した。

 

8 ギリシア暗黒時代

イオニア人の大部分は、小アジアのイオニア地方に住んでいた。

また、イオニア人は、アッティカ地方、エピダウロスの町、エウボイア島にも住んでいた。

 

おわり

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