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序文

Create:2025.10.30, Update:2026.2.16

1 執筆の動機

古代ギリシアの伝承に登場する人名をもとに、夫婦関係や親子関係を繋いで、人物相関図を作成した。相関図を作成していると、疑問が生まれ、それを解消するために、より詳しく調べることになった。

アミュントルの子ポイニクスは、何故、亡命先にペレウスを選んだのか。[1]

クレタ島のミノスは、何故、遠く離れた黒海近くに住むパシパエと結婚できたのか。[2]

ヘラクレイダイに追放されたメラントスは、何故、移住先をアテナイにしたのか。[3]

多くの疑問について調べ、考察し、その疑問が解消したとき、それらを書き留めて置こうとして、執筆を始めた。

 

2 人物相関図の作成動機

青銅器時代の人物相関図の作成を始める前、アレクサンドロス大王を中心としたヘレニズム世界の人物相関図を作成した。その時、テバイの始祖カドモスや、アレクサンドロス大王の父方の先祖ヘラクレス、母方の先祖アイアコスについては、神話の中の登場人物であろうと考えていた。実際、伝承には父の名前として、ギリシア神話の神々やギリシア各地の母なる川の河神の名前が多く登場する。

人物相関図の作成に着手したのは、アレクサンドロス大王の先祖ヘラクレスが、実際は、いつ頃の人物で、実在したのかどうかを知りたいと思ったからであった。

 

3 人物相関図作成中の感想

古代の伝承には、「ある人物から何世代前」とか、「トロイ占領から60年後」などという表現が出てくるが、相関図を作成していて、それらが正確なのに驚かされた。

私が作成に着手する前、伝承に登場する系譜は、出鱈目で、繋がることはないと思っていた。

しかし、最終的には、3,000人以上の人物が、矛盾なく繋がった。

作成開始当初は、関係が不明で、推測でしかなかったものが、徐々に確信になったものも少なくない。また、推測が外れて予想外の人物に繋がったものも多い。

例えば、ピサの町のオイノマオスは、多くの伝承に登場するが、その出自については、深い霧の中であった。当初、オイノマオスは、テッサリア地方から勢力を伸ばして来たアイオリス人で、ピサの町を創建したペリエレスの子ピソスの親族であろうと推測していた。しかし、登場人物を矛盾しないように繋げていくと、オイノマオスの祖父と思われる同名のオイノマオスがいることが分かった。オイノマオスは、アルゴスの町からアルカディア地方を経て、ピサの町に居を定めたペラスゴイ人であったことが判明した。

また、古代ギリシア人の系図に登場する殆どの支配階級の男性は、支配階級の娘を妻に迎えている。逆に見れば、伝承に登場する人物は、系図中のいずれかの人物に結び付くことが多い。

 

4 人物相関図の作成にあたっての留意点

4.1 同一人物であるかを判断

古代ギリシアに関する著書、例えば、AD2世紀の地理学者パウサニアスが著した『ギリシア案内記』には多くの人名が登場するが、神の名前になっていることもある。また、名前に父の名前が付けられている場合は、ある程度の異同識別が可能である。しかし、同一人物かを判断するためには、その人の出身地や事績などを比較する必要がある。

年代が異なる人物が、名前が同じという理由で、混同されている場合がある。

 

4.1.1 同じ種族で同名のための混同

トロイ戦争より前に、4人の有名なアイオロスがいて、混同されて伝えられている。

1) アイオリスの始祖になったヘレンの子アイオロス [4]

2) アルネの町に住み、多くの子供たちを各地に送り出したヒッポテスの子アイオロス [5]

3) リパラ島へ移住したメラニッペの子アイオロス [6]

4) テッサリア地方のオルメニオンの町を創建したオルメノスの祖父アイオロス [7]

 

4.1.2 同じ家系で同名のための混同

1) ダフネ伝説に登場するレウキッポスの父オイノマオス [8]

2) ピサの町に住み、ペロプスと同時代のオイノマオス [9]

前者は、後者の祖父であり、アルカディア地方に住んでいた。

 

4.1.3 父の名前も同名のための混同

本人だけでなく、父の名前も同じために混同されている場合がある。

デウカリオーンの子アンピクテュオンがその例である。

1) アテナイ王クラナオスの娘婿となったデウカリオーンの子アンピクテュオン [10]

2) テッサリア地方からペラスゴイ人を追い出したデウカリオーンの子アンピクテュオン [11]

また、ペラスゴスの子リュカオンの例もある。

1) ペラスゴイ人の始祖ペラスゴスの息子リュカオン [12]

2) アルゴスの町からアルカディア地方へ移住したペラスゴスの息子リュカオン [13]

 

4.1.4 その他の混同

1) テクタモスの子アステリオスと再婚したエウロパの息子ミノス [14]

2) アテナイ王アイゲウスと同時代のクレタ島のミノス [15]

後者は、前者の子孫であるが、エウロパの子ミノスとして、多くの伝承に登場する。

 

4.2 複数の候補から最も妥当なものを選択

妻や母の名前に関しては、複数の伝承に異なる名前で伝えられていることがある。

 

4.2.1 別名がある場合

同じ人物が違う名前で呼ばれている例として、ヒッポテスの子アイオロスの娘で、ボイオトスの母の場合がある。

1) アイオロスの娘メラニッペ [16]

2) アイオロスの娘アルネ [17]

3) アイオロスの娘アンティオパ [18]

 

4.2.2 誤っている場合

しかし、誤った伝承をもとにしているか、作者の勘違いが原因で、他と異なる場合も多い。

例えば、クレテウスの子ネレウスの妻クロリスの父アンピオンについては、2通りの伝承がある。

1) テバイの町のアンティオペの息子 [19]

2) オルコメノスの町のイアシオスの息子 [20]

テバイの町のアンピオンについては、多くの伝承が残っている有名人であるが、イアシオスの子アンピオンについては系譜だけしか伝えられていない。間違って伝えられても不思議ではない。

両方の説を検討すると、ネレウスの妻の父はオルコメノスの町のアンピオンであることが分かる。

 

5 人物相関図の描き方

夫と妻は、横に並べて、二重線で結び、その子供たちを一段下に配置する。

つまり、縦軸の上は時代が古く、下に行くにつれて時代が新しくなる。

したがって、同じ高さにある者同士は、原則として同時代人である。

 

5.1 相関図の縦軸(年代)の基準

5.1.1 アテナイ王の在位期間一覧

AD4世紀初頭の歴史家エウセビオスが、その著「年代記」の中で、BC2世紀のロドス島の年代記作者カストールの著書からアテナイ人の王たちの名前や在位年数を引用している。

その中で年代の特定可能なものは、29番目のアガメストールの子アイスキュロスである。彼の治世の第12年目に最初のオリュンピアードが開催された。第1回オリュンピアードは、BC776年とされているので、在位23年のアイスキュロスの在位期間は、BC787年からBC764年であった。[21]

このアイスキュロスの在位期間を基準にして、アテナイの最初の王ケクロプスまでの在位期間一覧が完成する。

 

5.1.2 統治期間合計の21年の差

カストールは、初代ケクロプスに始まり、第15代のオクシュンテスの子テュモイテスまでの統治期間の合計は、450年間であったと伝えている。[22]

しかし、ケクロプスからテュモイテスまでの在位年数の合計は429年であり、21年少ない。この差は、テュモイテスの在位年数が8年ではなく、29年であったからであろうと推定される。

つまり、第16代アテナイ王メラントスの即位は、BC1132年ではなく、21年遅くて、BC1111年のことであったとすれば、納得が可能である。

BC1111年、メラントスは、ヘラクレイダイ率いるドーリス人に追われて、メッセニア地方からアテナイの町へ移住した。[23]

カストールやBC2世紀の文法学者アポロドロスやBC5世紀の歴史家トゥキュディデスは、ヘラクレイダイの最終的な帰還を、トロイ陥落から80年後であったと伝えている。[24]

人物相関図を作成して得られるトロイ陥落年、BC1186年から計算すれば、「トロイ陥落から80年後」は、BC1106年となり、5年の差はあるが、概ね合致する。

恐らく、BC1132年は、メラントスが初めて王となった年であり、それは、メッセニア人の王になった年であり、アテナイ人の王になった年は、BC1111年と推定される。

また、5年の誤差は、「トロイ陥落から80年後」のヘラクレイダイの帰還年の決定の仕方で生じたと思われる。

ヘラクレイダイがペロポネソスへ渡ったのは、BC1112年であった。[25]

オレステスの子ティサメノスがスパルタの町からアカイア地方へ移住したのは、BC1104年であった。[26]

帰還年を、いずれにするかで、誤差が生じたと思われる。

 

5.2 相関図の縦軸(年代)の決め方

5.2.1 1世代の年数

ヘロドトスは、3世代を100年で計算しているが、私は、1世代を男性25年、女性20年にした。[27]

 

5.2.2 父と子の年齢差

概ね、17歳から70歳とした。

高齢で父となった例では、アレクサンドロス大王の武将リュシマコス、ヘラクレスと戦って負けたオルコメノス王エルギヌス、トロアス地方からシシリー島へ移住したカピュスの子アンキセスがある。[28]

 

5.2.3 母と子の年齢差

概ね、16歳から45歳とした。

したがって、子供たちの間に30歳以上の年齢差がある場合は、母が異なると推定した。

例えば、テュンダレオスの双子の息子たち、ディオスクロイの母レダと、娘ヘレネの母は、異なる。

伝承では、ヘレネの母は、レダであると伝えられている。しかし、系図を作成すると、ディオスクロイとヘレネの年齢差は、30歳以上ある。

ディオスクロイの母は、レダであるが、ヘレネの母は、別な女性と思われる。[29]

 

5.2.4 夫婦間の年齢差

概ね、夫は、妻より年上にした。

しかし、まだ年少であったにもかかわらず相当年上の女性と結婚した例もある。

例えば、アンティパトロスの娘ピラと結婚したアンティゴノスの子デメトリオスの場合である。[30]

 

5.3 相関図の横軸(同時代の繋がり)の決め方

夫婦や兄弟以外では、つぎのように特定の出来事へ参加した者を同時代と認定した。

 

5.3.1 同一出来事への参加による同時代認定

多くの参加者があった次のような出来事への参加者は、同時代であると認定した。

1) アルゴ船の遠征 (BC1248)

2) カリュドンの猪狩り (BC1246)

3) 7将によるテバイ攻め (BC1215)

4) エピゴノイのテバイ攻め (BC1205)

5) アカイア人によるトロイ遠征 (BC1188~1186)

6) ヘラクレイダイのペロポネソスへの最終帰還 (BC1112~1104)

但し、詳しく精査すると、その出来事への参加が疑われる人物もある。

例えば、ポイアスの子ピロクテテスは、アルゴ船の遠征とトロイ遠征の物語に登場する。[31]

ピロクテテスが参加したトロイ遠征は、アガメムノン時代の遠征ではなく、BC1244年のトロイ遠征であった。

 

5.3.2 その他の出来事による同時代認定

「同時代であった」[32]とされる場合のほかに、「その治世にデウカリオーンの洪水があった」[33]、「追放された」[34]、「亡命した」[35]や「戦った」[36]などの出来事は、両者が同じ時代の人物であると認定した。

但し、つぎの例のように、伝承の誤りと思われるものもある。

1) アテナイの町のエリクトニオスの子パンディオンとテバイの町のラブダコスとが国境をめぐって戦った。[37]

系図を作成すると、第5代アテナイ王パンディオン(在位BC1442~1402)が死んだ後でラブダコス(BC1375~1337)が生まれている。パンディオンが正しく、ラブダコスが誤っているとすれば、カドモスの時代である。しかし、その頃、アテナイの町とテバイの町の間に境界の問題が存在したとは思えない。

2) シキュオンの町のラメドンとアカイオスの息子たちとが戦った。[38]

系図を作成すると、シキュオン王の系譜に登場するラメドンとアカイオスの息子たちとの生年差は70年以上ある。戦いが事実とすれば、ラメドンは別人と思われる。

 

6 相関図作成の参考にした主な著作

BC8世紀の吟遊詩人ホメロスの『イリアス』『オデュッセイア』

BC5世紀の歴史家ヘロドトスの『歴史』

BC1世紀の著述家ヒュギーヌスの『ファビュラ』

BC1世紀の歴史家ハリカルナッソスのディオニュソスの『ローマ古代史』

BC1世紀の歴史家ディオドロス・シクロスの『歴史叢書』

AD1世紀の地理学者ストラボンの『地理誌』

AD2世紀の地理学者パウサニアスの『ギリシア案内記』

AD2世紀の著述家偽アポロドロスの『ビブリオテーケー』

AD2世紀の文法家アテナイオスの『食卓の賢人たち』

AD2世紀の著述家プルタルコスの『対比列伝』『モラリア』

AD4世紀の歴史家エウセビオスの『年代記』

 

7 執筆を終えた感想

BC18世紀の中頃からBC12世紀の中頃まで、600年間、古代ギリシア人の指導者たちを中心にした3,000人以上の系譜が現在に伝えられている。そして、その系譜をもとに伝承に記された出来事を年単位で特定して、年表を作成することができる。

世界には、多くの古代文明があったが、このような系譜や年表を作成することができるのは、古代ギリシアだけである。

それを可能にしたのは、古代ギリシアの一人の天才、あるいは、系譜の収集に情熱を燃やした人物ではないかと思われる。

私は、その人物は、『系譜論』を書いたオルペウスだと思っている。

そして、彼が記録した系譜を多くの詩人たちが後世に語り継いだ結果だと思われる。

 

おわり

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