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第55章 ギリシアの河神

Create:2025.10.30, Update:2026.2.16

1 アケロイオス川

古代ギリシア世界に、アソポスと呼ばれた川が少なくとも2つあった。

1) アカルナニアのアケロイオス川

アカルナニア地方のアケロイオス川は、ピンドス山脈に発し、イオニア海のエキナデス諸島近くへ注いでいる。[1]

このアケロイオス川は、アカルナニア地方とアイトリア地方の境界になっていた。[2]

2) テッサリアのアケロイオス川

テッサリア地方のアケロイオス川は、ラミアの町の近くのパラケロイタイと呼ばれる土地を流れて、スペルケイオス川に合流する。[3]

 

1.1 アケロイオス河神の娘ペイレネ

コリントスの町の外港の名前は、レケスとケンクリアスに因んで名付けられた。彼らはポセイドンとアケロイオス河神の娘ペイレネとの息子たちであった。[4]

ペイレネの父はオイバロスであり、アケロイオス河神は、オイバロスであった。[5]

そのオイバロスは、スパルタの町のオイバロスとも思われるが、スパルタの町の近くにアケロイオス川は流れていない。

スパルタの町のオイバロスの他に、ヘラクレス率いるエピュラ遠征隊に追われて、アカルナニア地方からイタリア半島のネアポリス 近くのカプレアイへ移住したテロンの子オイバロスがいる。[6]

エピュラ遠征には、コリントスの町のイアソンも同行した。[7]

イアソンは、シシュッポスにコリントスの町を継承させるとともに、彼の娘コルキュラを妻に娶った。[8]

イアソンは、さらに、シシュッポスの子オルニュティオンを遠征に参加させたものと推定される。[9]

オルニュティオンは、その遠征で、オイバロスの娘ペイレネを得て、妻にした。[10]

テロンの子オイバロスは、アカルナニア地方のタポス島に住んでいたが、その地方の代表的な川は、アケロイオス川であった。[10-1]

 

1.2 アケロイオス河神の娘エウリュメドーサ

ミュルミドンの母は、アケロイオス河神の娘エウリュメドーサであったと伝えられている。[11]

別な伝承によると、ミュルミドンの母エウリュメドーサは、クレトール (または、クリトール)の娘であった。[12]

したがって、エウリュメドーサの父アケロイオス河神は、クレトール (または、クリトール)であった。

 

2 アルペイオス川

アルペイオス川は、アルカディア地方に発し、ラドン川やエリュマントス川を受け入れて、エレイア地方のピサの町やオリュンピアの近くを流れて、イオニア海へ注いでいる。[13]

 

2.1 アルペイオス河神の子オルティロコス

ディオクレスの父オルティロコスの父は、アルペイオス河神であった。[14]

オルティロコスは、祖父パリスが創建したメッセニア地方のパライの町に住んでいた。[15]

オルティロコスは、メッセニア地方に住んでいたが、その地方にアルペイオス川はなかった。

 

2.1.1 オルティロコスの母

オルティロコスの母は、パリスの娘テレゴネであった。パリスは、ダナオスの娘ピュロダメイアの息子で、メッセニア地方にパライの町を建設した。[16]

パリスの兄弟パレスは、アカイア地方にパライの町を創建した。[17]

系図を作成すると、ピュロダメイアの夫は、パライの町の近くにあるアロエ (後のパトライ)の町に住んでいたアイギュプトスの子エウメロスと推定される。[18]

オルティロコスの母テレゴネは、アカイア地方の出身であったが、その地方にアルペイオス川はなかった。

 

2.1.2 アルペイオス川近くの有力者

オルティロコスの父が、アルペイオス河神と呼ばれたのは、オルティロコスが生まれた頃、彼の父がアルペイオス川の近くに住んでいて、その地方の有力者であったからと思われる。

オルティロコスが生まれた頃、アルペイオス川の近くには、オリュンピアとピサ、それにハルピナの町があった。

エリスの町のエンデュミオンがカルデュスの子クリュメノスを追い出した後、オリュンピアの町に有力者は住んでいなかった。[19]

ピサの町には、ペリエレスの子ピソスが住み、ハルピナの町には、アルクシオンの子オイノマオスが住んでいた。[20]

 

2.1.3 推定

以上のことから、つぎのように推定される。

 

2.1.3.1 テレゴネの結婚

エリスの町の創建者アイトリオスの兄弟ペリエレスの息子ピソスは、さらに南のアルペイオス河畔にピサの町を創建した。[21]

ピソスは、メッセニア地方のパライの町からパリスの娘テレゴネを妻に迎えたと推定される。[22]

ピソスの父ペリエレスは、テッサリア地方のアルネの町からペロポネソス北西部へ移住して、オレノスの町に住んでいた。[23]

ピソスは、ピサの町を創建する前、アカイア地方のオレノスの町に住んでいた。

一方、テレゴネは、彼女の父パリスがメッセニア地方へ移住する前、アカイア地方のアロエの町に住んでいた。

オレノスの町は、アロエの町から約13kmの距離にあり、ピソスとテレゴネは、ピソスがピサの町を創建する前から縁があったと推定される。

 

2.1.3.2 メッセニアへの移住

ピサの町に住むピソスとテレゴネには、息子オルティロコスが生まれた。[24]

その後、ピサの町からアルペイオス川を少し遡った所にあるハルピナの町のオイノマオスは、ピサの町を攻めた。ピソスは死に、テレゴネはオルティロコスを連れて、彼女の父パリスが住むメッセニア地方のパライの町へ移住した。[25]

以上のことから、オルティロコスの父アルペイオス河神は、ペリエレスの子ピソスと推定される。

 

3 アソポス川

古代ギリシア世界に、アソポスと呼ばれた川が少なくとも5つあった。

1) シキュオンのアソポス川

プリウス地方のカルネアテス山に源を発して、アイギアレア (後のシキュオン)の東側を南から北へ流れて、コリントス湾へ注いでいる。[26]

2) ボイオティアのアソポス川

ボイオティア地方のアソポス川は、テバイの町やプラタイアの町の近くを流れ、タナグラの近くで海へ注いでいる。[27]

3) ロクリスのアソポス川

ロクリス地方のアソポス川は、トラキスの町の南を流れ、ピュライの外側にある海へ注いでいる。[28]

4) アイギナのアソポス川

アイギナ島に、アソポスの水がある。[29]

5) パロスのアソポス川

パロス島内にアソポス川がある。[30]

 

3.1 シキュオンのアソポス河神

3.1.1 アソポス河神の娘イスメネ

アソポス河神の娘イスメネ は、アルゴスとの間に、息子イアソスを産んだ。[31]

系図上、アルゴスの町のポルバスの子アルゴスの妻イスメネは、BC1615年頃の生まれである。

その頃、アソポス川の流れるアイギアレア (後のシキュオン)を支配していた、イスメネの父に見合う人物は、アイギュドロス (または、アイギュロス)の子トゥリマコスである。トゥリマコスは、伝承に残るシキュオンの最古のアソポス河神であった。[32]

 

3.1.2 アソポス河神の娘ハルピネ

アソポス河神の娘ハルピネは、オイノマオスの母であった。[33]

オイノマオスの娘ヒッポダメイアは、ペロプスの妻であることから、ハルピネの父は、ペロプスの祖父と同時代であった。[34]

オイノマオスの父アルクシオンは、アルカディア地方西部に創建したヘライアの町に住んでいた。ヘライアの町は、アルクシオンの父オイノマオスの父ヘライイオスによって創建された。ヘライイオスは、ペラスゴスの子リュカオンの息子であった。[35]

ハルピネの夫オイノマオスが住むヘライアの町から一番近いアソポス川は、シキュオンの町を流れるアソポス川である。当時、シキュオンの町を治めていたのは、エポペウスであった。

したがって、ハルピネの父アソポス河神は、エポペウスであったと推定される。

エポペウスの妻メトペの父は、テバイの町のすぐ東側を流れる川に名前を与えたラドンであったと思われる。[36]

ハルピネが嫁いだヘライアの町の近くを流れるラドン川は、ハルピネの母メトペの父の名前に因んで名付けられたと推定される。[37]

 

3.1.3 アソポス河神の娘シノペ

3.1.3.1 伝承

アソポス河神の娘について、次の伝承がある。

1) アポロの子シュロスとアソポス河神の娘シノペとの後裔は、黒海南岸のシノペの町の住人だった。[38]

2) シキュオンのアソポス河神の娘シノペは、アポロにさらわれてシノペの町に連れて来られて、息子シュロスが生まれた。[39]

3) アソポス河神の娘シノペは、不本意ながらも祖国から送り出されて、彼女の名前を付けた町に住んだ。[40]

 

3.1.3.2 シノペの創建

シノペの町の名前は、アマゾン族の一人の名に因んで名付けられたとの説もある。[41]

しかし、アマゾン族が住んでいたテルモドン川の近くにアソポス河神の娘シノペに因んで名づけられたとする説の方が妥当と思われる。[42]

シノペの町の創建者はテッサリア地方のトリッカの町のデイマコスの子アウトリュコスだと伝えられている。[43]

アウトリュコスが町を作る以前の住人は、アソポス河神の娘シノペの子孫であったと伝えられる。したがって、アソポス河神の娘シノペは、アウトリュコスより前の時代の人物である。[44]

 

3.1.3.3 シノペに関係したアソポス川

シシュッポスの子アイイテスは、コリントスの町から黒海東岸のコルキス地方へ入植した。[45]

シシュッポスの子アロエウスの子エポペウスは、シキュオンの町に住んで、コリントスの町をも支配していた。[46]

シキュオンの町の近くをアソポス川が流れており、シノペの町は、コリントスの町からコルキス地方へ行く途中にあった。

 

3.1.3.4 シノペの夫

アイイテスの娘カルキオペ (または、イオポッサ, エウエニア)は、アタマスの子プリクソスと結婚し、息子キュティッソロス (または、キュリンドロス, キュティソロス, キュトロス)が生まれた。[47]

キュティッソロスの兄弟プレスボンは、コルキスからボイオティア地方へ移住して、彼の祖父アタマスの跡を継いだ。プレスボンの子クリュメノスは、オルコメノス王になった。[48]

キュティッソロスは、コルキスから黒海南岸の中ほどにキュトロスの町を創建した。[49]

キュトロスの町とシノペの町とは関係が深かった。[50]

キュティッソロスは、コリントスの町とシノペの町の両方に関係が深く、彼はシノペの夫であったと思われる。

 

3.1.3.5 シノペの父アソポス河神

キュティッソロスは、コリントスの町の創建者シシュッポスの曾孫であり、彼の妻シノペの父と同世代のシキュオンの町の支配者はエポペウスであった。

つまり、シノペの父アソポス河神はエポペウスであり、シノペとキュティッソロスは、シシュッポスを共通の曽祖父とする又従兄妹同士であった。

 

3.1.4 アソポス河神の娘アイギナ

ゼウスがアソポス河神の娘アイギナをプリウスの町からオイノネと呼ばれる無人島へ連れてきて、その島は、娘に因んでアイギナ島と呼ばれるようになった。[51]

アイギナの夫は、ミュルミドンの子アクトールであり、彼女に息子アイアコスが生まれた。[52]

アイギナの子アイアコスの2人の息子たち、ペレウスとテラモンは、アルゴ船の物語に登場する。[53]

プリウス地方に発するアソポス川が流れ込むシキュオンの町のポリュボスの娘リュシアナッサの夫タラオスもアルゴ船の物語に登場する。[54]

つまり、ポリュボスの母クトノピュレは、アイギナと同世代になる。[55]

したがって、アイギナの父アソポス河神は、クトノピュレの父シキュオンと推定される。

 

3.1.5 アソポス河神の娘サラミス

サラミスは、アソポス河神の12人の娘の一人であった。[56]

キュクレウスが、自分の母でアソポス河神の娘サラミスに因んで、この島にはじめて名を定め、後にテラモンに同行したアイギナ人が入植した。[57]

アソポス河神の娘サラミスの子キュクレウスは、サラミス島を娘グラウケの婿テラモンに与えた。[58]

テラモンは、妻グラウケが死ぬと、ペロプスの子アルカトオスの娘エリボイアと結婚した。[59]

つまり、グラウケの父キュクレウスの母サラミスは、エリボイアの父アルカトオスの父ペロプスと同世代であった。

ペロプスは、テバイの町のオイディプスの父ライオスと同世代であった。[60]

オイディプスは、ポリュボスの養子であったことから、ポリュボスは、ライオスやペロプスと同世代であった。[61]

したがって、サラミスの父は、ポリュボスの母クトノピュレと同世代であった。サラミスが結婚した頃のアソポス川の流れるシキュオンの支配者は、クトノピュレの父シキュオンであり、マラトンの子シキュオンがアソポス河神であったと推定される。[62]

 

3.1.6 アソポス河神の娘コルキュラ

アソポス河神の娘コルキュラは、ポセイドンによって、後に彼女の名に因んで名づけられたコルキュラ島へ連れ去られ、パイアクスを産んだ。[63]

アソポス河神の娘コルキュラは、スケリアと呼ばれていた島の名前をコルキュラ島に変えた。[64]

イアソンは、コルキュラ島へ移住した。[65]

以上のことから、コルキュラの夫で、パイアクスの父は、イアソンと推定される。コルキュラの父は、イアソンがコリントスを託したアイオロスの子シシュッポスで、コルキュラの父アソポス河神はシシュッポスと推定される。アソポス川は、コリントスの町を流れてはいないが、パウサニアスのコリントスの町の記述には、アソポス川しか登場せず、その地方で一番有名な川であった。[66]

 

3.1.7 アソポス河神の娘ネメア

アソポス河神の娘ネメアは、プリウスの町とミュケナイの町の間にある町に、名前を与えた。[67]

ネメアの町の支配者として、史料に最初に登場するのは、リュクルゴスである。[68]

しかし、彼の父プロナクスがアルゴスの町からその地へ移住して来て、ネメアの町を創建したと推定される。[69]

プロナクスの移住は、彼の兄弟アドラストスがシキュオンの町へ亡命した時期が同じであり、アルゴスの町の内紛が原因と推定される。[70]

そして、プロナクスの妻であり、彼の兄弟アドラストスの妻アンピュテアの母は、プロナクスが創建した町に名前を与えたネメアであったと思われる。[71]

系図を作成すると、年代的にネメアの父に最も相応しいのは、コルキュラと同じくコリントスの町の、アイオロスの子シシュッポスであった。

したがって、ネメアの父アソポス河神は、シシュッポスと推定される。

 

3.1.8 その他

この他、シキュオンのアソポス河神の娘と伝えられるのは、クレオネ、ペイレネ、アソピス、オルニア、カルキスがいるが、彼女たちの系譜については不明である。[72]

 

3.2 ボイオティアのアソポス河神

3.2.1 アソポス河神の娘アンティオペ

アソポス河神の娘アンティオペには、2人の息子たち、アンピオンとゼトスがいた。[73]

しかし、アンピオンとゼトスは、ニュクテウスの娘アンティオペの息子たちであったと伝えられている。[74]

したがって、アンティオペの父アソポス河神は、ヒュリエウス(または、クトニオス)の子ニュクテウスであった。[75]

 

3.2.2 アソポス河神の娘タナグラ

タナグラは、アソポス河神の娘であった。[76]

タナグラの夫はポイマンドロスであり、タナグラの父はアイオロスであった。[77]

ポイマンドロスは、アイトーサの子エレウテルの子イアシオスの子カイレシラオスの息子であった。[78]

アイトーサは、アンピオン の母アンティオペの父ニュクテウスの父ヒュリエウスの兄弟であった。[79]

つまり、ポイマンドロスの妻タナグラは、アンピオンの娘クロリスと同時代であった。

したがって、タナグラの父アイオロスは、クロリスの母ニオベの弟ペロプスと同時代の人物である。

コリントスの町を去るイアソンが後継者にしたシシュッポスの父もアイオロスであった。[80]

このシシュッポスの父アイオロスは、年代から見て、タナグラの父アイオロスと同一人物と思われる。

それでは、このアイオロスの父は誰であろうか。

彼の息子シシュッポスがコリントスの町の支配者となっていることから、アイオロスはコリントスの創建者シシュッポスの子孫と思われる。

タナグラの夫ポイマンドロスは、エレウテライの町に住んでいた。[81]

エレウテライの町は、ボイオティア地方のアソポス川から南にキタイロン山を越えた所にある。

タナグラの父アイオロスを推定するのに、次の手掛かりがある。

1) アイオロスは、テッサリア地方のアイオリスに多い名前である。

2) アイオロスは、ペロプスと同時代にボイオティア地方に住んでいた。

3) アイオロスは、コリントスの町のシシュッポスの後裔である。

以上のことを考慮すると、タナグラの父アイオロスは、シシュッポスの子アロエウスの子アロエウスの子オトス兄弟と共にアスクラの町を創建したアスクラの子オイオクロスの息子と推定される。[82]

アスクラの町を創建後、町には、アスクラの子オイオクロスが住み、町の近くからアソポス川は東へ流れ出ていた。[83]

以上のことから、タナグラの父アソポス河神は、オイオクロスの子アイオロスと推定される。

 

3.2.3 アソポス河神の娘プラタイア

プラタイアは、アソポス河神の娘であった。[84]

プラタイアの姉妹タナグラの夫ポイマンドロスの父カイレシラオスの父イアシオスの父エレウテルは、アンティオペの夫と推定される。[85]

アンティオペの姉妹ニュクテイスの子ラブダコスの子ライオスは、プラタイアの町のダマシストラトスと同時代人であった。[86]

ダマシストラトスは、プラタイアの町の最初の住人として登場するが、恐らく、彼はプラタイアの町の創建者であったと思われる。

ダマシストラトスとライオスとは関係があり、ライオスの父ラブダコスは、プラタイアの町の近くのエウトレシスの町に住むアンピオンとゼトスの従兄弟であった。

ダマシストラトスは、エレウテルの子イアシオスの息子であったと思われる。[87]

ダマシストラトスの兄弟アンピオンとゼトスは、エレウテライの町からキタイロン山を北に越えて、テバイの町の西南西約14kmの所にエウトレシスの町を創建した。[88]

ダマシストラトスは、エレウテライの町からエウトレシスの町へ半分くらいの所へ移住して、彼の妻プラタイアの名前に因んだ町を創建したと思われる。[89]

したがって、プラタイアの父アソポス河神は、タナグラと同じオイオクロスの子アイオロスと推定される。

 

3.2.4 アソポス河神の娘テスピア (または、テスペイア)

アソポス河神の娘テスピアは、ボイオティア地方のテスピアイの町に彼女の名前を与えた。

また、その町の名前はアテナイの町から移住したエレクテウスの後裔テスピウスに因むとも伝えられている。[90]

エレクテウスは、アテナイ王パンディオンの別名であり、テスピウスは、パンディオンの子テウトラスの息子であった。[91]

これまでの推定により、テスピアの姉妹プラタイアの夫ダマシストラトスは、テバイの町のライオスの同時代人であった。

ライオスの子オイディプスは、ヘラクレスと同時代のテスピウスの同時代人であった。

つまり、テスピウスの父テウトラスは、ライオスと同時代のテスピアの同時代人であった。

したがって、テウトラスは、テスピアの夫と推定される。

以上のことから、テスピアの父アソポス河神は、タナグラと同じオイオクロスの子アイオロスと推定される。

 

3.2.5 その他

オイロイもボイオティア地方のアソポス河神の娘と伝えられているが、彼女の系譜については不明である。[92]

 

3.3 ロクリスのアソポス河神

3.3.1 アソポス河神の娘テーベ

テバイの町のアンピオンの兄弟ゼトスの妻テーベは、アソポス河神の娘であった。[93]

ゼトスの妻テーベの人間としての父の名前を伝えている史料は、見つからない。

しかし、つぎのことから、テルモピュライ近くのアンテイアの町に住むアンピクテュオンの子ピュスキウスと推定される。

1) ピュスキウスの子ロクルスは、アンピオンとゼトスに協力した。

ロクルスは、アンティオペの2人の息子たち、アンピオンとゼトスと共にテバイの町を築いたと伝えられる。[94]

ロクルスがテーベの兄弟であったので、ロクルスは、アンピオンとゼトスに協力したと思われる。

2) テルモピュライ近くをアソポス川が流れていた。

テーベは、シキュオンのアソポス河神の娘たちと一緒に伝えられているが、ロクリス地方のアソポス河神の娘と思われる。[95]

3) テバイの町のプロイティデス門は、プロイトスの名前に因んで名付けられた。

ピュスキウスの妻マイラの父は、コリントスの創建者シシュッポスの子テルサンドロスの子プロイトスであった。[96]

つまり、プロイトスは、ゼトスの妻テーベの祖父であった。

以上のことから、テーベの父アソポス河神は、ピュスキウスと推定される。

 

4 アクシオス川

アクシオス川は、パイオニア地方に流れを発し、カラストラの町とテルマの町の間を流れて、テルマイオス湾に注いでいる。[97]

アクシオス川の河畔に、アミュドン (後のアビュドン)の町があったが、マケドニア人によって破壊された。[98]

 

4.1 アクシオス河神の子ペレゴン

アステロパイオスの父ペレゴンは、アクシオス河神とアケッサメノスの長女ペリボイアとの息子であった。[99]

ペレゴン (または、ペレゴノス)の子アステロパイオスは、パイオニア人を率いてトロイに遠征した。[100]

また、パイオニア人を率いてトロイに遠征したピュライクメスは、アクシオスの息子だと伝えられており、ペレゴンの父アクシオス河神の人間としての名前も、アクシオスであったと思われる。[101]

ピュライクメスは、アクシオス川近くのアミュドンの町を支配していた。[102]

アステロパイオスは、ピュライクメスの甥であった。

 

5 ケピソス川

古代ギリシア世界で、ケピソスと名付けられた川が一番多く、少なくとも8つあった。

最初のケピソス川は、ギリシア人発祥の地ポキス地方からボイオティア地方へ流れ込んでいる。

そこから移住した人々が名づけたケピソス川が、エレウシス、アテナイ、シキュオン、アルゴスにあった。さらに、アテナイの町からの移住者が名づけたケピソス川が、スキュロス島、サラミス島にあった。また、コリントスの町やコルキュラ島からの移住者が名づけたケピソス川が、イリュリア地方のアポロニアの町にあった。[103]

 

5.1 ケピソス河神の子エテオクレス

アンドレウスとアタマスの子レウコンの娘エウイッペ との間の息子エテオクレスは、ケピソス河神の息子であった。[104]

つまり、エテオクレスの父ケピソス河神は、オルコメノスの創建者アンドレウスであった。

 

5.2 ケピソス河神の娘リライア

ポキス地方西部のケピソス川源流付近の町に名前を与えたのは、ケピソス河神の娘リライアであった。[105]

リライアは、ケピソス河神の子エテオクレスの兄妹であり、アンドレウスの娘と推定される。

 

5.3 ケピソス河神の娘ダウリス

ポキス地方東部の町に名前を与えたのは、ケピソス河神の娘ダウリスであった。[106]

ダウリスは、ケピソス河神の子エテオクレスの兄妹であり、アンドレウスの娘と推定される。

 

6 エニペウス川

古代ギリシア世界に、エニペウスと呼ばれた川が少なくとも2つあった。

1) テッサリアのエニペウス川

テッサリア地方のエニペウス川はオトリュス山から発してパルサロスの町のそばを流れた後、向きを変えてアピダノス川へ合流する。アピダノス川はペネイオス川へ合流する。[107]

2) エレイアのエニペウス川

エレイア地方のエニペウス川は、サルモネの町にある泉に発し、オリュンピアの近くを流れるアルペイオス川へ合流する。[108]

 

6.1 エニペウス河神の妻テュロ

サルモネオスの娘テュロは、エニペウス河神に恋をした。[109]

テュロの最初の夫は、テッサリア地方のピュロスの町に住むヒッポコーンであった。[110]

サルモネオスは、エニペウス川を挟んでピュロスの町の対岸に住んでいたと思われ、テュロがヒッポコーンに嫁いだ後で、エレイア地方へ移住し、サルモネの町を創建した。[111]

つまり、テュロの夫エニペウス河神は、ピュロスの町のヒッポコーンであった。

エレイア地方のエニペウス川の名前は、サルモネオスと共に移住した人々が故郷の川の名を付けたものと思われる。[112]

 

7 ラドン川

古代ギリシア世界に、ラドンと呼ばれた川が少なくとも3つあった。

1) ボイオティアのラドン川

プリウス地方のアソポス河神の息子イスメノスは、プリウス地方からボイオティア地方へ移住した。ラドン川は、彼の名前に因んで、イスメノスと呼ばれるようになった。[112-1]

ラドンは、イスメノスの母メトペ (または、メリア)の父の名前であった。[112-2]

イスメノスと名前を変えたラドン川は、テバイの町の近くを流れていた。[112-3]

2) エレイアのラドン川

エレイア地方のラドン川は、ヘラクレスに破壊されたピュロスの町を通って、ペネイオス川に注いでいる。[112-4]

その川に名前を付けたのは、ボイオティア地方からテッサリア地方を経由して、ピュロスの町へ移住したアミュタオンの妻アグライアであった。アグライアは、ラドンの娘メトペの子テネロスの娘であった。[112-5]

3) アルカディアのラドン川

アルカディア地方のラドン川は、アルカディア地方北部のクリトールにその流れを発し、ヘライアの町の近くでアルペイオス川に合流する。[112-6]

ヘライアの町に住むアルクシオンは、シキュオンの町からエポペウスの娘ハルピナ (または、ハルピネ)を妻に迎えた。[112-7]

ラドンは、ハルピナの母メトペの父の名前であった。[112-8]

 

7.1 ラドン河神の娘の子エウアンドロス

エウアンドロスは、アルカディア地方のパランティオンの町から移民団を率いて、イタリア半島中部のティベル川の近くへ移住した。[112-9]

エウアンドロスの母は、カルメンタであった。[112-10]

カルメンタが住んでいたパランティオンの町の近くから流れを発するアルペイオス川にエレイア地方とアルカディア地方の境界付近で、北から流れて来たラドン川が合流する。

カルメンタが結婚した当時、ラドン川近くのオンケイオン一帯は、オンコスが支配していた。[112-11]

オンコスは、エリスの町を攻めようとするヘラクレスに雄馬一頭を提供した人物であった。[112-12]

カルメンタは、ヘラクレスと同世代であり、オンコスは、カルメンタの父、つまり、ラドン河神と推定される。

 

7.2 ラドン河神の娘テルプサ

アルカディア地方西部のテルプサの町は、ラドン河神の娘テルプサの名前に因んで名付けられた。[112-13]

テルプサの町は、オンコスが住んでいたオンケイオンの町のすぐ近くにあった。[112-14]

テルプサも、オンコスの娘であり、カルメンタの姉妹であったと推定される。

 

8 ペネイオス (ペネオス)川

古代ギリシア世界に、ペネイオスと呼ばれた川が少なくとも2つあった。

1) テッサリアのペネイオス川

ペネイオス川はピンドス山脈にその流れを発し、東進してテンペ渓谷を通って、エーゲ海へ注いでいる。[113]

ペネイオス川に名前を与えたペネイオスはクレウサとの間にヒュプセウスとスティルベを生み、スティルベはアポロとの間にラピテスとケンタウロスを生んだと伝えられている。[114]

2) エレイアのペネイオス川

ペネイオス川はエリスの町を流れ、ケロナタス岬近くで海へ注いでいる。[115]

この川の近くに初めて町を作ったのは、テッサリア地方のアルネの町のアイオロスの子アイトリオスであった。[116]

アイトリオスと共に移住した人々が、新天地の川に故郷の川の名前を付けたものと思われる。

 

8.1 ペネオス河神の娘メニッペ

プラストールは、アルゴスの町からテッサリア地方へ移住したラリッサの子ペラスゴスとペネオス河神の娘メニッペの息子であった。BC5世紀の歴史家レスボスのヘッラニコスが、『ポロニス』の中で伝えている系譜である。[117]

ディオドロスが伝えているペネイオス川の名祖より前の時代の系譜であり、メニッペの系譜は不明である。

 

8.2 ペネイオス河神の子アンドレウス

ペネイオス河神の子アンドレウスは、アンドレイス (後のオルコメノス)の町を創建した。[118]

BC3世紀の叙事詩人ロドス島のアポロニオスは、『アルゴナウティカ』の中で、オルコメノスの建設者をアイオロスの子ミニュアスと伝えている。[119]

アンドレウスの妻は、ヘレンの子アイオロスの子アタマスの子レウコンの娘エウイッペであった。

したがって、アンドレウスの父アイオロスは、ヘレンの子アイオロスの子ミマスの子ヒッポテスの息子と推定される。[120]

つまり、アンドレウスの父ペネイオス河神は、ヒッポテスの子アイオロスであった。

 

8.3 ペネイオス河神の子ドリュオプス

ドリュオプスは、ペネイオス河神とダナオスの娘ポリュドレとの間の子であり、彼らの子孫は、ドリュオプスと呼ばれ、スペルケイオス川の近くに住んだ。[121]

アリストテレスは、ドリュオプス人がスペルケイオス川の近くに住んでいたと伝えている。[122]

ダナオスの娘ポリュドラが適齢期になった頃、テッサリア地方のペネイオス川近くに住んでいたのは、ヘレンの子ドロスを始祖とするドーリス人であった。

ドーリス人の大部分は、カドモス率いる大集団の移動に圧迫されて、ドロスに率いられて、パルナッソス山とオイタ山の間の地方へ移住した。

しかし、ペネイオス川近くに残っていた人々もいた。彼らの中には、ドロスの娘イプチメ一家もいた。イプチメには、3人の息子たち、フェレスポンドス、リュコス、プロノモスがいたが、その中の一人がダナオスの娘ポリュドレの夫となり、息子ドリュオプスが生まれた。[123]

テッサリア地方の北部に住むイプチメの息子と、アルゴスの町に住むポリュドレの遠距離婚を可能にしたのは、ポリュドレの姉妹スカイアとアウトマテと、テッサリア地方からアルゴスの町に移住して来たアカイオスの息子たちとの結婚であったと推定される。[124]

BC1435年、クストスの子アカイオスは、アイギアロスの町からテッサリア地方のプティオティス地方のメリタイアの町へ帰還した。[125]

BC1420年、カドモス率いる大集団の移動に圧迫されて、アカイオスの2人の息子たち、アルカンドロスとアルキテレス はアイギアロスの町へ移住して、ダナオスの娘たちと結婚した。[126]

彼らの結婚が、ポリュドレとイプチメの息子を結び付けたものと思われる。

つまり、ドリュオプスの父ペネイオス河神は、イプチメの3人の息子たち、フェレスポンドス、リュコス、プロノモスのうちのいずれかと推定される。

 

9 スペルケイオス川

スペルケイオス川は、ドリュオピア地方のテュプレストス山に流れを発し、テルモピュライ近くでマリア湾に注いでいる。[127]

 

9.1 スペルケイオス河神の子メネスチオス

メネスチオスは、スペルケイオス河神の子だと伝えられている。[128]

メネスチオスの母は、ペレウスの娘ポリュドラであった。[129]

ポリュドラの夫は、ペリエレスの子ボロスであった。[130]

メネスチオスは、ペリエレスの子ボロスの息子であった。[131]

つまり、メネスチオスの父スペルケイオス河神は、ペリエレスの子ボロスであった。

 

10 ストリュモン川

ストリュモン川は、パイオニア地方に流れを発し、オドマンティスとビサルタイ族の居住地の中間を通って、ストリュモン湾に注いでいる。[132]

 

10.1 ストリュモン河神の子レソス

トロイへ遠征したレソスは、ストリュモン河神とエウテルペの息子であった。[133]

レソスは、ストリュモン川下流に住むオドマンティス、エドノイ、ビサルタイ族を支配していた。[134]

レソスの父ストリュモン河神の人間としての名前は、エイオン (または、エイオネオス)であった。[135]

エイオンは、ミュグドンの子ビサルテスの息子と推定される。[136]

ミュグドンは、トロイのラオメドンの時代に、アナトリア半島のミュシア・オリュンペネからストリュモン川近くへ移住した。[137]

ミュグドンが定住したミュグドニアは、後にエドノイが住んでいたが、マケドニア人によって居住地を追われた。[138]

 

おわり

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