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古代ギリシア年表(BC1750-1400)

Create:2025.11.3, Update:2025.11.3

BC1750年、Ogygus時代の大洪水[Paus.10.6.2, JeromeChro.1757]
** Ogygus時代の大洪水から初代Athens王Cecropsの即位(BC1561)まで、190年であった。[Euseb.Chron.181, JeromeChro.1757]
** Ogygus時代の大洪水は、Argos王Phoroneusの時代であった。[AugustCity.18.8, FGrH.Nr2.F23b]
BC1750年、Coryciaの子Lycorusは、Cephisus川の上流からParnassus山へ移住して、Lycoreiaを創建した。[Paus.10.6.3]
BC1750年、Ogygus率いるEctenesは、Thebesの北側に定住した。[Paus.9.5.1, Paus.9.19.6, Paus.9.33.5]
** BoeotiansはEctenesの名前で呼ばれた。[Suda.epsilon.647] Ectenesの王は、Ogygusであった。[Paus.9.5.1]
** Boeotiaは、Ogygiaと呼ばれた。[Strabo.9.2.18]
** Ogygusは、Atheniansの最初の王であり、OgygusはAtheniansの先祖であった。[Euseb.Chron.181]
BC1750年、Ogygusの子Eleusisは、Eleusisを創建した。[Paus.1.38.7, JeromeChro.1777]
** Ogygusが創建した。[Euseb.Chro.177]
BC1750年、Inachusの子Aegialeus (or Aezeius)は、Aegialeia(後のSicyon)を創建した。[Paus.7.1.1, StephByz.A40.13]
BC1750年、Inachusの子Phoroneusは、Phoroneus (後のArgos)を創建した。[Paus.2.15.5]
** Phoroneusが創建した町の名前。Phoronicum [Newton.173] Asty Phoronicum [LeakeN.2.400]
BC1750年、Inachusの娘Myceneの夫は、Mycenaeを創建した。[Paus.2.16.3-4, StephByz.M460.9から推定]
** Mycenaeの名前は、Inachusの娘Myceneに因む。SicyonとArgosを結ぶ交通の要衝に位置し、ほぼ同時に創建されたと思われる。
BC1725年、Phoroneusの子Carは、ArgosからMegaraへ移住した。[Paus.1.39.5]
** Carの墓は、MegaraからCorinthへ向かう街道沿いにあった。[Paus.1.44.6]
BC1708年、Aegialeusが死に、ArgosのPhoroneusの子Europsが第2代Sicyon王になった。[EuriSchoOr.932.02とPaus.2.34.4から推定]
BC1702年、Sicyonの有力者Telchin (or Telchis)は、Europsから王位を簒奪して、第3代Sicyon王になった。[PhoroneusとTelchinesとの戦いから推定]
BC1702年、Phoroneusは、Sicyonを攻めて、Telchin率いるTelchinesと戦うが撃退された。[Orosius.1.7]
BC1700年、Phoroneusが死に、彼の息子Apisが跡を継いだ。[Apo.2.1.1]
BC1700年、Phoroneusの子Europsの子Hermionは、Argosの南東の海岸にHermioneを創建した。[Paus.2.34.4]
BC1690年、Lycorusの子Hyamusの娘Celaenoの子Delphusは、Lycoreiaから移住して、Delphiを創建した。[Paus.10.6.3]
BC1690年、Phoroneusの子Apisは、Aegialeiaを支配下に置いた。[Euseb.Chron.173, Orosius.1.7]
BC1690年、AegialeiaのTelchinの子Cresは、ArgosのApisとの戦いに敗れてCreteへ移住した。[Paus.8.53.5, Cleme.Str.1.21, Orosius.1.7, Newton.107から推定]
** Telchines とArgos王Phoroneusの戦いがあった。[JeromeChro.1792, Newton.107, Orosius.1.7]
** 敗れたTelchines は、Rhodes島へ行った。[Newton.107, Orosius.1.7]
** Cresが最初にCreteを統治した。[JeromeChro.1962] Cresに因んで、Crete島と呼ばれるようになった。[JeromeChro.1957]
** Cresは、Crete島のEteocretansの王[Diod.5.64.1]
** Cresには、息子Talosがいた。[Paus.8.53.5]
** Creteは、Telchinia とも呼ばれ、Cretans は Telchines と呼ばれていた。[StephByz.T614.4]
** Corybantes, Cabeiri, Idaean Dactyli, Telchines, Curetesは、おなじ氏族。[Strabo.10.3.7]
** AD2世紀の神学者Clemens of Alexandriaは、Sicyonの統治は、Aegialeusに始まり、Europs、Telchisに続き、Crete島ではCresが統治したと記している。[Cleme.Str.1.21] Eusebiusは、Clemensを引用[Euseb.Pra.10.12]
** PhoroneusとParrhasiansは、TelchinesとCaryatiiと戦った。[JeromeChro.1792, Orosius.1.7]
** つまり、Phoroneusは、Parrhasiansに属していなかった。
** Parrhasiansは、Lycaonの系譜であった。[Apollo.2.500]
** Parrhasiansは、Romeへ移住したEvanderの部族であった。[Ovid.Fasti.1.475]
BC1690年、Phoroneusの子ApisはSicyonを併合し、Peloponnesusは、Apisに因んでApiaと呼ばれるようになった。[Apo.2.1.1, Paus.2.5.7]
** PeloponnesusがApiaと呼ばれたのは『梨の里』であったからだ。[Athen.14.650c]
** PausaniasはApisをTelchisの息子だと記している。Sicyon王の誤った系譜(Euseb.Chron.173)を参考にしていたと思われる。[Paus.2.5.6]
** Peloponnesus, 21,549.6 km2。The Great Chersonesus (Crimea) 27,000 km²。[Strabo.7.4.5]
BC1665年、Apisは、ThelxionとTelchisに謀殺された。[Paus.10.6.3, TzeAdLyco.177]
** Apisは、Sicyonを25年間支配した。[Euseb.Chron.173]
BC1665年、Apisの跡を、Niobeの子Argusが継いだ。[Euseb.Chron.177]
** Niobeの子Argusの名前に因んで、Argosと呼ばれるようになった。[Apo.2.1.2, Hyginus.145]
BC1635年、Niobeの子Argusの子Tirynsは、Tirynsを創建した。[Paus.2.25.8]
BC1635年、Niobeの子Argusの子Epidaurusは、Epidaurusを創建した。[Paus.2.26.2]
** TirynsとEpidaurusの創建は、Phoroneusが所属していた部族とParrhasiansによるArgosの内紛が原因と思われる。
BC1635年、Lycaonの子Oenotrusは、Italy半島西南部へ移住して、Pandosiaを創建した。[Antiq.1.11.3, Strabo.6.1.5]
** Pausaniasは、他国への移住者は、Oenotrusが最初だと記している。[Paus.8.3.5]
BC1635年、Lycaonの子Peucetiusは、Italy半島東南部へ移住した。[Antiq.1.11.3]
** Italy半島東南部は、Peucetiusに因んでPeucetiaと呼ばれた。[Plin.3.16.1]
** OenotrusとPeucetiusの移住も、Argosの内紛が原因であり、彼らの出発地は、Sicyonではなく、Argosと思われる。
BC1625年、Criasusの子Ereuthalionは、Argosの近くにEreuthaliaを創建した。[FGrH.333.F66]
BC1620年、Niobeの子Argusの子Peirasusは、ArgosのHera神殿を創建した。[Euseb.Pra.3.8]
** Argusが梨の樹でHera神像を作った。[Cleme.Exho.4]
** Hera神殿の創始者Peirasは、自分の娘CallithyiaをHeraの巫女に任命し、Tirynsの梨の樹でHera神像を作った。[Plut.Mor.Fr]
** Peirasは彼の娘Callithyiaを最初の巫女にした。[Euseb.Pra.3.8]
** Pirantosの子Callithiasが最初の神職になった。[JeromeChro.1637] Peirasの娘Callithyiaの間違いと思われる。
BC1601年、Argusの子Criasusの子Phorbasは、Argusの子Peirasusの子TriopsからArgosの王位を簒奪した。
BC1601年、Agenorの子Argusは、後にMycenaeが建設される土地に町を建設して、Argionと名付けた。[PsPlut.NRM.18]
** Argusは、many-eyed、あるいは、All-seeingと称された。[Apo.2.1.2, PsPlut.NRM.18]
** 同じ頃、Argusは、SicyonのThurimachusの娘Ismeneと結婚している。
** Apisの時代以降、SicyonとArgosは敵対していた。ArgusとIsmeneの結婚や、Argionの創建は、戦いの結果であったと思われる。
BC1601年、Argusは、第7代Sicyon王Thurimachusの娘Ismeneを妻に迎えた。[Apo.2.1.3から推定]

BC1595年、Hittite王Mursili Iは、Babylon まで遠征して略奪した。[wiki : Mursili I]
** Thera島の火山の噴火による凶作が原因ではないかとの説がある。[wiki : Mursili I]

BC1580年、Boeotiaに悪疫発生した。[Paus.9.5.1]
BC1580年、BoeotiaのEctenesは、Attica、Thessaly、Egyptへと移住した。[Paus.9.5.1, Strabo.9.2.18]
** Ectenesの一部はBoeotiaに残留した。後にCadmusと戦って敗れている。[Nonnus.5.35]
** Boeotiansは、Ectenesと呼ばれていた。[Suda.epsilon.647]
BC1580年、Cecropsの父は、EgyptのNile Deltaへ移住してSaisを創建した。[Diod.1.28.4と Tzetzes.5.650から推定]
** Cecropsは、SaisからAthensへ来た。[TzeAdLyco.111, Tzetzes.5.650]
** OgygusはAtheniansの先祖であった。[Euseb.Chron.181]
** BC4世紀の歴史家Callisthenes of Olynthus やBC3世紀の歴史家Phanodemus of Athensは、AtheniansがSais人の先祖だと記している。[FGrH.Nr325.F7]
BC1576年、Argusの子Messapusは、第8代Sicyon王Leucippusの娘Calchiniaを妻に迎えた。[Euseb.Chron.175から推定]
BC1562年、Cecropsの娘Herseは、EgyptからAthensへの途中で、PhoeniciaのTyreに嫁いだ。[Apo.3.14.3とMarceReg.30から推定]
BC1562年、Cecropsは、EgyptからAtticaの東海岸のMirinousに上陸した。[Paus.1.31.5]
** Cecropsは、Egyptianであった。[FGrH.Nr328.F93, JeromeChro.1550, Suda.ka.1272, Suda.pi.2506]
BC1562年、Colaenusは、MirinousからMessenia湾入り口西側へ移住して、Colonidesを創建した。[Paus.1.31.5, Paus.4.34.8]
BC1561年、Cecropsは、Athens北東のAthmoneisのPorphyrionの次の王Actaeusの娘Agraulusと結婚した。[Apo.3.14.2, Paus.1.14.7]
BC1561年、CecropsはCecropia (後のAthens)を創建した。[Apo.3.14.2, Euseb.181, Paus.1.2.6, Paus.1.5.3, Paus.1.14.7, Pliny.7.194]
** Cecropsの添え名「Diphyes」は、2つの言語を使用する人。[FGrH.328.F93, JeromeChro.1550]
** a body compounded of man and serpent [Apo.3.14.1, Diod.1.28.7]
** 男は女を共有して、子供は母親しか知らなかったが、Cecropsは王になると夫婦の概念を定めた。[Suda.ka.1272, Tzetzes.5.650, TzeAdLyco.111]
** 7 世紀の年代記作家John of Antiochは、それまで、人々は獣のように交わって、一人の親(母)しかいなかったが、Cecropsが夫婦の概念を定めて、2人の親(父と母)を持つようにさせたと伝えている。[TzeAdLyco.111]
** Athenaが生まれたTritonis湖の近くに住む人々は、妻を共有していた。[Herod.4.180]
** Tritonis湖は、Cecropsが住んでいたSaisの近くにあったと思われる。
** AthenaはSaisと呼ばれていた。[TzeAdLyco.111]
** Cecropsは、Athena女神にちなんでその都市をAthensと名づけた。[FGrH.Nr328.F93, Jerome.1550]
** Saisは、海沿いにあったと思われる。[Diod.1.66.8]
** Cecropsは、大災害の後で、Atticaへ移住した。[Tzetzes.5.650]
BC1561年、密儀祭司Trochilusは、Triopasの子Agenorと争って、ArgosからEleusisに亡命した。[Paus.1.14.2]
** TrochilusはCallithyiaの息子であった。[SchoAratus.Pheno.161]
BC1560年、Argosの住人は、各地へ大移住した。[Antiq.1.17, Diod.5.60.4, Diod.5.81.2, Paus.2.16.1, Paus.8.1.6, Photios.186.19]
** BC1601年にNiobeの子Argusの子Ecbasusの子Agenorの子Argusは、Argionを創建している。[PsPlut.NRM.18]
** この大移動は、Argusの子Criasusの後裔と、Sicyonを味方につけたArgusの子Ecbasusの後裔との戦いの結果だと思われる。
BC1560年、Triopasの子Iasusは、彼の娘Ioを連れてEgyptへ移住した。[Paus.2.16.1]
** Ioは、the temple of Hera in Argosの巫女であった。[Apo.2.1.3, Palaepha.42]
** Ioは、Egyptでは、Isisと呼ばれた。[Suda.iota.636]
** Ioの父の名前。Inachus [AelianAnim.11.10, AescProm.i, Hyginus.155, Parthe.1]、Iasus [JeromeChro.1529, Paus.2.16.1]
BC1560年、Triopasの子Xanthusは、ArgosからLyciaに植民後、無人のLesbosに植民した。[Diod.5.81.2]
BC1560年、ArgosのCyrnusは、CariaのCherronesusにCyrnusを創建した。[Diod.5.60.4]
BC1560年、Triopasの子Pelasgusの娘Larisaは、ArgosからThessalyへ移住した。[Antiq.1.17]
BC1560年、Triopasの子Agenorの子Pelasgusは、ArcadiaのLycaeus山(現在のMt. Lykaion、標高1,421m)の麓へ移住した。[Paus.8.1.6]
BC1560年、Triopasの子Agenorの子Crotopusは、MegaraのGeraneia山麓へ移住して、Tripodiskionを創建した。[Photios.186.19]

BC1540年、Deucalionは、Thessaly地方のEnipeus川の源流付近に、Pyrrha (後のMelitaea)を創建した。[Paus.9.5.1, Paus.9.33.5, Suda.epsilon.647, Strabo.9.2.18, Strabo.9.5.6]
** Deucalionは、王になった。Athens王Cecrops治世中であった。[Parian.Marble.2]
BC1535年、Telegonusの子EpaphusはSaisからNileDeltaの南へ移住して、Memphisを創建した。[Apo.2.1.4, Cleme.Str.1.21, Herod.2.153]
BC1530年、Cecropsの子Erysichthonは、Temple of Apollo at Delosを建立した。[JeromeChro.1511]
BC1530年、Cecropsの子Erysichthonは、Delos島へ木像を送った。[Euseb.Pra.3.8]
BC1530年、Xanthusの娘Lyciaの子Patarusは、LyciaのXanthus河口近くにPataraを創建した。[FGrH.Nr1.F256, Strabo.14.3.6]
BC1530年、Cranausの娘Atthisが誕生した。[Apo.3.14.5]
** Athenaは、Tritonis湖近くで生まれた。[Herod.4.180]
** Cranausの娘Atthis(別名Athena[Apo.3.14.6, Tzetzes.1.170])は、Triton川の近くで育った。[Herod.4.180, Paus.1.14.6, Paus.9.33.7]
** Cranausの娘Atthisに因んでAtticaと呼ばれるようになった。[JeromeChro.1506, Just.2.6, Strabo.9.1.18]

BC1525年、Cecropsの子Erysichthonは、Delos島からの航海中に死に、Prasiaeに埋葬された。[Paus.1.2.6, Paus.1.31.2]
BC1525年、Pelasgusの子Lycaonは、Mount Lycaeusの近くにLycosuraを創建した。[Paus.8.2.1]
BC1520年、Italusの子Sicelusは、Italy半島中央部へ移住した。[Euseb.Chron.281から推定]
BC1520年、Italusの子Ausonusは、Acheron川の南側へ移住して、Tempsaを創建した。[Strabo.6.1.5]
BC1520年、Italusの子Morgesは、Italy半島南西部へ移住した。[Strabo.6.1.6]
BC1515年、Cranausは、EgyptからAtticaへ移住した。[Diod.1.29.1から推定]
** Athensの住人はPelasgiansであり、Cranaansと呼ばれていたことから、Cranausは、Ioの息子と推定される。[Herod.8.44, Ps-Scym.550]
** Cranausは、先祖Ogygusが昔住んでいたBoeotiaのTriton川のほとりに居住したと思われる。[Strabo.9.2.18]
** Cecropsが(Cranausに命じて)Triton川のほとりにAthensとEleusisを創建した。[Strabo.9.2.18]
** Homer(Il.4.8)は、Athenaの添え名にAlalcomenaeを使用しており、当時からその村がTriton川のほとりにあったと思われる。
** Atthisの息子Erichthoniusは、Egyptから来航しているので、AtthisもEgyptへ戻っていたと思われる。
BC1515年、Deucalionの子Hellenは、Enipeus川の対岸にHellasを創建した。[Strabo.9.5.6]
BC1511年、Deucalion時代の洪水
** Cecropsの治世中であった。[Euseb.Chron.183]
** Cranausの治世中であった。[Apo.3.14.5, Newton.143]
** 大地震が発生して、ThessalyのPeneius川が河口近くで堰き止められて、大洪水が発生した。[Apo.3.14.5, Euseb.183]
** Hellasが被災して、HellenはMelitaeaへ移住した。[Strabo.9.5.6]
BC1511年、Deucalionは、HellenやAmphictyonと共に、Athensに避難した。[Newton.143]
** Deucalionの墓がAthensにあった。[Newton.143, Paus.1.18.8, Strabo.9.4.2]
BC1511年、Cecropsが死に、CranausがAthens王に即位した。[Paus.1.2.6]
** CranausがDeucalionを味方に付けて、Cecropsから王位を簒奪したと推定される。
BC1511年、Cranausは、彼の娘Atthisと夫をEgyptへ追放した。[Cranausの死後、Cranausの子Rharusではなく、Cranausの娘の息子がAthens王を継承していることから推定]
** Atthisの夫は、Cecropsの子Erysichthonの息子であったと思われる。
BC1510年、Deucalionの子Amphictyonは、Cranausの娘と結婚した。[Paus.1.2.6, Euseb.Chron.183]
BC1510年、Atthisの子Erichthoniusが誕生した。[Apo.3.14.6]
BC1510年、Pelasgusの子Lycaonは、Lycaean gamesを開催した。[Paus.8.2.1]
** Lycaean gamesは、恐らく、ギリシア最古の競技会である。
BC1502年、Cranausは、Amphictyonに追放され、Lamptrae(AthensとSunium岬の間)で死んだ。[Apo.3.14.6, Euseb.183, Paus.1.31.3]

BC1495年、HellenとOthreisの息子Meliteusは、Melitaeaを創建した。[Antoninus.13, FGrH.Nr4.F125]
** DeucalionやHellenの時代は、町をPyrrhaと呼んでいたが、Meliteusの時代にMelitaeaと呼ぶようになったと思われる。[Strabo.9.5.6]
BC1492年、大干ばつがGreeceを襲った。[Diod.1.29.1]
BC1492年、Cranausの娘Atthisの子Erichthoniusは、EgyptからAthensへ移住した。[Diod.1.29.1, Paus.1.2.6]
** Erichthoniusは、Amphictyonを追放してAthens王に即位した。[Diod.1.29.1, Paus.1.2.6]
** Erichthoniusは、Eleusisに住むCranausの子Rharusの子Celeusの従兄弟であった。[Newton.Chro.143]
** Rharusは、Erichthoniusと共にEgyptから渡来した。
BC1492年、Eleusisの近くのRharium平原に初めて大麦(barley)の種が蒔かれた。[Diod.1.29.2, Paus.1.38.6]
** Egyptから種を持ち込み、種をまいたのは、Rharusであったと推定される。
** Triptolemusが最初にDemeterの果実の種を授けたのはPeloponnesusであった。[Xeno.Hel.6.3.6]
** Lelexの子Mylesが、挽臼を発明し、粉挽きした。[Paus.3.20.2]
BC1490年、Lycaonの子Orchomenusは、ArcadiaにOrchomenusを創建した。[Paus.8.3.3]

BC1480年、Orchomenusは、Arcadia地方にMethydriumを創建した。[Paus.8.3.3, Paus.8.36.1]
BC1480年、Pelasgiansは、ThessalyのScotussaからDodonaに神託所を移した。[Strabo.7.7.10-12, Strabo.9.5.23]
** Haemonの子Thessalusは、Dodonaに神殿を建立した。[Hyginus.225]
** the sanctuary (of Dodona) also was from the beginning Pelasgian [Strabo.9.2.4]
** Dodonaの神域そのものがPelasgiansの創建と思われる。
BC1470年、Hellenの子Xuthusは、兄弟AeolusやDorusによって、Thessalyから追い出されてAthensへ移住した。[Paus.7.1.2]
** Xuthusは、第4代Athens王Erichthoniusの娘Creusaと結婚した。[Paus.7.1.2]
BC1470年、Lycaonの子Tegeatesは、Tegeaを創建した。[Paus.8.3.4]
BC1465年、Xuthusは、Attica北東部にTetrapolis(Oenoe, Marathon, Probalinthus, Tricorynthus)を創建した。[Strabo.8.7.1]
BC1460年、Hellenの子Dorusは、MelitaeaからThessaly北部のPeneius川流域へ移住した。[Herod.1.56]
** Dorusは、Doriansの始祖になった。[Apo.1.7.3]

BC1450年、Arcadiaで、飢饉が発生した。[Paus.8.53.3]
BC1450年、Tegeatesの息子たち、Cydon、Gortys、Archediusは、TegeaからCreteへ移住した。[Diod.5.80.1, Paus.8.53.4]
** Tegeatesの息子たちは、Cydonia、Gortyna、Catreusを創建した。
** Diodorusは、Eteocretansに続く、Creteの住人としてPelasgiansを挙げている。[Diod.5.80.1]
BC1450年、Lycaonの子Heraeeusは、ArcadiaのAlpheius 川の右岸にHeraeaを創建した。[Paus.8.26.1]
BC1450年、Lycaonの子Hyperetusは、Achaia地方へ移住して、Hyperesiaを創建した。[StephByz.Y650.17]
BC1450年、Lycaonの子Cauconは、Arcadia地方からEleia地方南部へ移住して、Lepreumを創建した。[Strabo.8.3.16]

BC1450年、Cnossusに住んでいたCyrbasは、島の南東岸へ移住して、Hierapytnaを創建した。[Cleme.Exho.2, Nonnus.14.23, Strabo.8.6.13]
BC1450年、Hierapytnaは、Prasus (or Priansos)を破却した。[Strabo.10.4.12]
** HierapytnaによるPrasusの破却は、もっと後の時代かもしれない。
BC1450年、Erysichthonは、CreteのPrasusからRhodesへ移住した。[FGrH.Nr4.F122とStrabo.10.3.19から推定]
** Prasusからの移住は、Hierapytnaによる攻撃ではなく、Tegeatesの子GortysのGortynaへの入植が原因と思われる。
BC1450年、Erysichthonは、TelchinesのHaliaの娘Rhodosと結婚し、7人の息子たちが誕生した。[Diod.5.55.4, Diod.5.56.5]

BC1446年、Orchomenusの娘Sterope (or Asterie, Asterope)は、ArcadiaのHeraeaに住むLycaonの子Heraeeusに嫁いだ。[Paus.8.20.1-4とPaus.8.26.1から推定]
BC1445年、Aeolusの子Hypseusは、MelitaeaからPelion山の近くへ移住した。[Diod.4.81.1]
BC1442年、Hellenの子Xuthusは、AtticaからAegialus(後のAchaia)地方へ移住した。[Paus.7.1.3]
** 義父王Erechtheus死去し、Atticaで養いきれない人々を率いて新天地を求めた移住と思われる。[Paus.7.1.2]
** AeolisのPeloponnesus進出は、Hellenの子Xuthusが最初であった。
BC1440年、Xuthusの子Ionは、Aegialiansの王Selinusの娘Heliceと結婚し、Selinusの跡を継いだ。[Paus.7.1.4]
** Selinusは、Hyperesiaの創建者Hyperetusの息子と推定される。
BC1438年、CreteのIda山で山火事が発生して、偶然に鉄が発見された。[Cleme.Str.1.21]
** Teutamusの子Asterius(BC1442年生まれ)の時代[Newton.183]
** Telchinesがはじめて鉄と銅を加工した。[Strabo.14.2.7]
** CyprusのAmathusは、銅を産出した。[Ovid.10.520]
** CreteのBerecynthusにあるApteraのIdaean Dactylsが最初に鉄の活用手段を発明した。[Diod.5.64.5]
** CreteのIdaean Dactylsが最初の鍛鉄法を発明した。[Pliny.7.197]
** Idaean Dactylsが最初の鉄の製造者であった。[FGrH.Nr333.F47]
** Celmis (and Damnameneus) of the Idaean Dactylsが、AthensのPandionの治世に、CreteのIdaで鉄を発見した。[Parian.Marble.11]
** Telchinesは、CreteからCyprus、Rhodesへと移住した。[Strabo.14.2.7]
** Idaean Dactylsと呼ばれる人々がCreteで鉄の製錬と焼き入れを教えたと述べている。[Hesiod.ID.F1]
** 最初のIdaean DactylsであるCelmisとDamnameneusはCyprusで鉄を発見した。[Hesiod.ID.F2]
** Kelmis and Damnaneus, Idaean Dactyls, first discovered iron in Cyprus. [Hesiodの断片を Cleme.Str.1.16, Euseb.Pra.10.6が引用]
** Damnameneus、Scelmisは、Telchinesであった。[Nonnus.14.36]
** Corybantes, Cabeiri, Idaean Dactyls, and Telchines as identical with Curetesは、同じ氏族であった。[Strabo.10.3.7]

BC1435年、Xuthusの子Achaeusは、Athensから味方を得てAegialus地方からThessalyのMelitaeaへ帰還した。[Paus.7.1.3]
BC1435年、Hellenの子Aeolusの子Mimasは、Melitaeaから北西へ移住してArneを創建した。[Paus.7.1.3から推定、Achaeusに追放されて]
** Mimasの兄弟Athamas, SisyphusもMelitaeaからArneへ移住したと思われる。
BC1435年、Teucrusは、CreteのApteraを出航し、TroadのHamaxitus付近に上陸した。[Strabo.13.1.48]
** 少し前のIdaean Dactylsの鉄の発見が関連し、CadmusがSamothraceに立ち寄るより前と思われる。
** Ida山の名前は、TeucriansがCreteにある山と同じ名前を付けた。[Strabo.13.1.48]
** Teucrusは、Hellespontus海峡近くにTeucris(後のDardanus)を創建した。[Antiq.1.61.4, StephByz.D218.1]
** Teukrosは、Gergisの王であった。[Herod.5.122, 7.43]
BC1433年、Teucrusに同行したIdaean Dactylsは、Ida山周辺に有望な鉱脈を見つけ、鉄の加工を始めた。[Strabo.10.3.22]
** Idaean Dactylsは、Cyzicus近くのIda山で鉄を作った。[Diod.17.7.5]
BC1432年、Aeolusは、Mimasの子HippotesとMelanippeの息子として、ThessalyのArneで誕生した。[Diod.4.67.3, Home.Od.10.2] 
BC1431年、Idaean Dactylsは、Cabeiriと共にLemnos島、Imbros島、Samothraceへ渡った。[Strabo.10.3.22から推定]
BC1430年、Xuthusの子Ionは、妻Heliceの名前に因んだHeliceを創建した。[Paus.7.1.4]
BC1430年、Agenorは、EgyptのThebesからPhoeniciaのSidonへ移住した。[Diod.1.23.4, Pliny.5.76]
BC1430年、DanausはEgyptのChemmisから出航して、RhodesのLindusに上陸した。[Apo.2.1.4, Diod.5.58.1, Herod.2.91]
** Egyptから追い出された多くの異邦人たちの指導者たちの中で最も有名なのは、DanausとCadmusであった。[Diod.40.3]
** Lindusは、BC1390年の洪水後にできた町。
BC1430年、DanausはRhodesのLindusで娘3人を亡くして、Athena神殿を建立した。[Diod.5.58.1]
** Rhodesに残ったDanausの娘たちが造営した。[Strabo.14.2.13]
** 籤にあたった(Danausの娘たち)Helike and ArchedikeがLindian Athena神殿を建立した。[Parian.Marble.9]
** Athenaの座像は、木製であった。[Euseb.Pra.3.8]
** Danausには、50人の娘たちがいた。[Apo.2.1.4, Hyginus.168, LucianDial.6, PindN.10.1, Plut.Mor.837e, Strabo.5.2.4, Tze.7.360]
BC1430年、Danausは、ArgosとLacedaemonの境であるThyreaのPyramia近くに上陸した。[Plut.Pyrrhus.32]
** Danausの最終上陸地点は、Lernaの近くのApobathmiであった。[Paus.2.38.4]
** Cadmus[Dictys.5.17, Diod.3.67.1, Herod.5.58, Hyginus.277]とDanaus[Dictys.5.17, FGrH.Nr1.F20]がPhoenician alphabetを伝えた。
** Egyptiansがalphabetを発明し、PhoeniciansがGreeksに伝えた。[Tacit.Ann.11.14]
** Cadmusと共へ移住してきたPhoeniciansが持ち込み、彼らの言語がGreekになったときに、the Greek alphabetとなった。[Herod.5.58]
BC1430年、Danausは、Sthenelas (or Stheneleus、Sthenelus、Sthelenus)の子GelanorからArgosの支配権を奪取した。[Paus.2.16.1, Plut.Pyrrhus.32, JeromeChro.1475]
** Gelanorは、同族が住んでいたSicyonに亡命した。[Paus.2.6.5から推定]
** DanausとGelanorの間に戦いがあった。[Jerome.1475] GelanorがDanausに譲った。[Apo.2.1.4]
** Gelanorは内乱で町を追われ、Danausは町を攻撃して勝利した。[Plut.Pyrr.32]
** DanausはGelanorに王権を要求して、そして奪った。[Paus.2.19.3, Paus.2.16.1]
BC1430年、Danausの兄弟Aegyptusは、Peloponnesus半島北西部Aroe(後のPatrae)に定住した。AroeにAegyptusの墓があった。[Paus.7.21.13]
BC1430年、Danausの弟と思われるOrusは、Oraea(後のTroezen)を創建した。[Paus.2.30.5]
BC1430年、Danausの叔父Lelexは、後にLacedaemonとなる地に入植した。[Apo.3.10.3, Paus.1.39.6, Paus.1.44.3]
** その地方はLelegia、その地方の住人は、Lelegesと呼ばれるようになった。[Paus.4.1.1, Paus.1.44.3]
BC1430年、Lelexは、彼の息子MylesにLacedaemonを託して、Megaraへ移住した。[Apo.3.10.3, Paus.1.39.6, Paus.1.44.3]
** その地方の人々は、Lelegesと呼ばれるようになった。[Paus.1.39.6]
BC1430年、Lelexの娘Therapneの夫は、Lacedaemon近くにTherapneを創建した。[Paus.3.19.9, Strabo.7.7.2]
BC1430年、Dardanusは、ArcadiaのMethydriumからSamothraceへ移住した。[Antiq.1.61.3, Paus.8.36.1]
** Dardanusの母の姉妹Alcyoneも、彼女の夫Megassaresや2人の息子たち、HyperenorやHyrieus、それに娘Pharnaceと共に、Dardanusの移民団に参加した。[Apo.3.10.1, Paus.9.22.5]
BC1430年、Lycaonの子Parrhasiusの子Parusは、ArcadiaのParrhasiaからParos島へ移住した。[StephByz.P507.5, Dic:Parrhasius]
BC1430年、CelmisとDamnameneusは、Cyprusで鉄を発見した。[Hesiod.ID.F2]
BC1430年、Orchomenusの娘Meropeは、ArcadiaのOrchomenusからAchaia地方のHyperesiaへ逃れた。[SisyphusとMeropeの結婚(Apo.3.10.1)から推定]

BC1429年、Idaean Dactylsと共にSamothraceへ渡ったCabeiriのひとりCybeleは、Dardanusの兄弟Iasionと結婚した。[Diod.5.49.2]
BC1426年、Agenorの子Cadmusは、移民団を率いてSidonを出航した。[Diod.4.2.1, Isocrates.Helen.68, Ovid.Meta.3.120, Pliny.5.76]
** Cadmus, who was a citizen of Egyptian Thebes. [Diod.1.23.4]
** Phoenix and Cadmus, having set out from Egyptian Thebes into Syria, reigned in Tyre and Sidon. [JeromeChro.1454]
BC1426年、Cadmusは、RhodesのLindusに上陸した。[Diod.5.58.2]
BC1426年、Meropeは、Aeolusの子Sisyphusと結婚した。[Apo.3.10.1]
BC1425年、Cadmusの移民団の中にいたPhoenixの娘Astypalaeaは、ApteraのIdaean Heraclesと結婚した。[Paus.7.4.1から推定]
BC1425年、Cadmusの移民団の中にいたPhoenixの娘Europaは、Cydoniaの創建者Tegeatesの子Cydonと結婚した。[推定]
BC1425年、Cadmusは、Calliste島(後のThera島)に立ち寄り、Poecilesの子Membliarusが率いる一部の人々が島に定住した。[Herod.4.147]
BC1425年、Cadmusは、Samothraceに立ち寄り、秘儀に入会して、Harmoniaと結婚した。[Diod.5.48.5]
BC1425年、Cadmusは、SamothraceからThraciaへ渡った。[Cadmusの母TelephassaのThraciaでの死と、Pangaeus山での金鉱発見から推定]
BC1425年、Rhodosの息子たち(Heliadae)は、TelchinesをRhodesから追放した。[Diod.5.56.1, Nonnus.14.36]
BC1425年、TelchinesのLycusは、RhodesからLyciaのXanthus川近くへ移住して、Apollo Lyciusの神殿を奉納した。[Diod.5.56.1]
BC1425年、Aegyptusの子Lynceusは、Danausの長女Hypermnestraと結婚した。[Apo.2.2.1, Pindaros.622]
** Hypermnestraは、ArgosのHera神殿のPriestessであった。[JeromeChro.1434, Newton.Chro.139]
BC1425年、Agenorの子CilixはIda山近くのCiliciaへ移住して、Thebeを創建した。[Apo.3.1.1]
** Cilixの娘Thebeは、Ida山のCorybasに嫁いだことから、Cilixが町に娘の名前を付けたと思われる。[Diod.5.49.3]
BC1425年、Achaeusの子Archanderは、Hypseusの娘Cyreneと結婚した。[Diod.4.81.2, Hyginus.161, Nonnus.13.286]

BC1424年、Aristaeusは、Achaeusの子ArchanderとHypseusの娘Cyreneとの間に、ThessalyのMelitaeaで誕生した。[Diod.4.81.2]
BC1423年、Abasは、LynceusとHypermnestraとの息子として、Argosで誕生した。[Apo.2.2.1, Paus.2.16.2]
BC1422年、Cadmusは、Chalcidice半島北方のPangaeus山付近で金鉱を発見した。[Cleme.Str.1.16, Euseb.Pra.10.6, Strabo.14.5.28, Plin.7.197, Newton.146]
** Cadmusに同行した職人集団は、Idaean Dactylsとも呼ばれるTelchinesであった。[Newton.146]
** Cadmus found out gold in the mountain Pangæus in Thracia, and copper at Thebes. [Newton.146]
BC1422年、Cadmusの母Telephassaは、Thraciaで死んだ。[Apo.3.4.1]

BC1420年、----- 1回目のAegean Seaの大津波 ------
** Diodorusは、Deucalionの洪水の後で、CadmusがCadmeiaを創建したと伝えている。[Diod.19.53]
BC1420年、Rhodesに大津波が襲来した。[Diod.5.56.2]
BC1420年、SamothraceのDardanusの妻Chryseと弟Iasusは津波で死んだ。[推定]
BC1420年、Dardanusは、SamothraceからのTroadへ移住した。[Apo.3.12.1, Diod.5.49.2, Hesiod.CW.F102]
** DardanusはIda山の麓にDardanusを創建した。[Apo.3.12.1]
** Teucrisに住んでいたTeucriansと共住した。[Antiq.1.61.4]
BC1420年、Cadmusと共にThraciaの海岸部に定住した人々が津波で被災した。[推定]

BC1420年、Danausが死んで、彼の娘婿LynceusがArgosの支配権を継承した。[Paus.2.16.1, Cleme.Str.1.21]
BC1420年、Cadmusは、ThraciaからBoeotia へ移住して、Cadmeia(後のThebes)を創建した。[Herod.1.56, Strabo.9.2.3]
** CadmusがCadmeiaを選んだのは、地上に露出した銅鉱石があったからと推定される。[Pliny.34.117]
** その鉱石は、cadmeaと呼ばれるようになった。[Pliny.34.2]
** Cadmusに従っていたCuretes (Idaean Dactyli)は、Cadmeiaで銅を見つけた。[Newton.146]
** Cadmusに従っていたCuretesは、EuboeaのChalcisで銅鉱床を見つけた。[Newton.146, Strabo.10.1.9, Strabo.10.3.19]
** Cadmusの移民団の中に、Cadmusに次ぐ実力を持つSparti(or Spartos)と呼ばれる者たちがいた。[Apo.3.4.2, Paus.9.5.3]
** Spartiは、会戦前に戦列を跪かせ、敵と十分な間合いとなったときに、雄叫びを上げて立ち上がり、敵を驚かせて委縮させる戦法を編み出した指導者のことであった。[Photios.186.37]
** Chthonius, Udaeus, Hyperenor, Pelorus, Echion [Apo.3.4.1]
** Chthonius, Udaeus, Hyperenor, Pelorus, Echion [Hyginus.178]
** Chthonius, Udaeus, Hyperenor, Pelorus, Echion [Paus.9.5.3]
** Chthonius, Udaeus, Hyperenor, Pelor, Echion [Tze.10.430]
** CadmusとDanausがPhoenician alphabetをGreeceに伝えた。[Dictys.5.17, Euseb.Pra.1.6]
** Cadmusの移民団の中には、Arabiansも含まれていて、Euboeaに定住した。[Strabo.10.1.8]
** Sunium岬からBoeotia へ移住して来たTemmices(Temmicians)もいた。[Strabo.9.2.3]
** Temmix(Temmikes)は、最初にBoeotiaに定住した部族。[StephByz.T615.3, TzeAdLyco.644]
BC1420年、Boeotiaに住んでいたHyantesは、Cadmusに敗れて、西へ追いやられた。[Paus.9.5.1, Paus.10.35.5]
** Hyantesは、Thebesに住んでいた。[Paus.10.35.5, TzeAdLyco.433]
** Hyantesは、Onchestusを中心に住んでいた。[Apollo.3.1240]
** Hyantesの一部は、Aetoliaへ移住した。[Strabo.10.3.4]
** 後に、AetolusがElisから移住したときに、Curetesの地(Pleuronの古名[Strabo.10.2.5])にいたのは、名前を変えたHyantesと思われる。
** Hyantesは、barbariansであった。[Strabo.9.2.3]
** BC1126年にBoeotiansとOrchomeniansによって追われたThraciansとは、Hyampolisに住むHyantesと思われる。[Strabo.9.2.3-4]
BC1420年、Cadmusとの戦いに敗れたAoniansは、Glissasに住むことを許された。[Nonnus.5.35, Paus.9.5.1]
BC1420年、Cadmusと共にPhoeniciaから来たGephyraeansは、Tanagra周辺に定住した。[Herod.5.57, Strabo.9.2.10]
** Gephyraeansの指導者は、Cephisusと思われる。[Plut.QuestGr.40] Tanagraは、Gephyraと呼ばれていた。[FGrH.Nr1.F118]
BC1420年、Atlasの娘Alcyoneの子Anthasは、Anthedonを創建した。[Paus.9.22.5, StephByz.A96.11]
BC1420年、Dorusの子Tectamusは移民団を率いて、PeloponnesusからCreteへ移住した。[Diod.4.60.2, 5.80.2]
BC1420年、Achaeusは、ThessalyのMelitaeaからPeloponnesusへ移住した。[Paus.7.1.6, Strabo.8.7.1]
** Achaeusの移住先は、Thessalyへ行く前の居住地であるAegialus地方と思われる
** Pausaniasは、Achaeusの子でArchanderとArchitelesの2人が、PhthiotisからArgosへ移住したと記している。[Paus.7.1.6]
** Straboは、Achaeusが「過失殺人の罪を犯して」Lacedaemonへ亡命したと記している。[Strabo.8.7.1]
**[推定] Achaeusと息子たちは、Aegialus地方へ戻り、ArchanderとArchitelesは、Danausの娘たちを娶った。
** Sicyonとの戦いでArgosに加勢し、Archanderは、Argosに住んで、Abasの後見をした。
** この時点で、Aegialus地方からArgosの範囲の住人をAchaeansと呼んでいた。その後Lacedaemonの子Lelexの子Polycaonに嫁いだMesseneと共にArgosから多くのAchaeansがMesseniaのAndaniaへ移住した。ArgolisからMesseniaの一部まで範囲の住人がAchaeansと呼ばれた。
** Sisyphusは、従兄弟Achaeusに同行して、ThessalyからAegialusへ移住した。[Paus.7.1.6とStrabo.8.7.1から推定]
** Aegialusの近くのHyperesiaには、Orchomenusの娘Meropeが住んでいて、MeropeとSisyphusは結婚した。
BC1420年、Tereusは、ThraciaからPhocisのDaulis付近へ移住した。[Strabo.7.7.1]
** TereusはThracianで、兄弟Dryasがいた。[Hyginus.45]
** Cadmusの娘Agaveの子Pentheusの時代、Strymon川流域のEdoniの王は、Dryasの子Lycurgusであった。[Apo.3.5.1-4]
** TereusはCadmusの大移動と共に南下したと思われる。
BC1420年、Hellenの子Dorusは、Olympus山の近くからOeta山とParnassus山の間のPindusへ移住した。[Herod.1.56]
** Dorusは、Cadmusに追われて、移住した。[Herod.1.56]
** Dorusは、ThessalyのDorisに住んでいた。[Strabo.9.5.17]
** Pindusの住人は、Macedniと呼ばれていた。[Herod.1.56, StephByz.D251.6]
** DorusはParnassus山周辺のDoriansを集めて、Pindusを創建した。[Ps-Scym.587, Strabo.8.7.1]
BC1420年、Ida山のHeraclesは、津波で被災した人々を率いてEleiaへ移住した。[Paus.5.7.9から推定]
** Idaean Heraclesが住むApteraの隣にCydoniaを創建したCydonから聞いて移住先を決めたと思われる。
BC1419年、Ida山のHeraclesは、兄弟5人で、Olympiaで競技会を初めて開催した。[Paus.5.7.9]
** Idaean Heracles(Acmon)は、BC1445生まれと推定され、最年長であったことから、この頃の出来事と思われる。
** 兄弟で徒競走をして、勝者にオリーブの冠を与えた。[Paus.5.7.7]
** Olympia祭競技会と名付け、5年目ごとに開催した。[Paus.5.7.9]
** Idaean Heraclesの兄弟たちは、Paeonaeus、Epimedes、Iasius、それに、Idasであった。[Paus.5.7.6]
BC1419年、Dardanusは、Teucrusの娘Bateiaと再婚し、Teucrusの死後、Dardanusがその地方を継承した。[Apo.3.12.1, Diod.4.75.1]

BC1418年、Tereusは、PhocisからMegara地方のPagaeへ移住した。[Paus.1.41.8]
** Tereusは、Athens王Pandionの娘Procneを妻に迎えた。[Apo.3.14.8, Paus.1.5.4, Hyginus.45]
** Tereusの墓は、Megaraにあった。[Paus.1.41.8]
BC1418年、Polydorusは、CadmusとHarmoniaの息子として誕生した。[Apo.3.4.2]

BC1416年、Creteの5人のCuretesは、Rhodes対岸のCherronesusにいたCariansを追い出して、5つの町を創建した。[Diod.5.60.1]
** Olympiaで競技会を初めて開催したIdaean Heraclesを含む兄弟5人と推定される。[Paus.5.7.9]
BC1415年、Eumolpusは、Atticaに侵入した。[Strabo.7.7.1]
** Straboは、Ionと戦ったEumolpusは、Thracianであったと記しているが、Chioneの子Eumolpusと混同している。[Strabo.8.7.1]
** Eumolpusは、つぎの理由で、ArgosからThessalyへ移住したPelasgusの娘Larisaの後裔と思われる。
** Eumolpusの子Immaradusが、AthensのErechtheusと戦ったとき、DodonaからScirusが応援に駆け付けた。[Paus.1.36.4]
** 当時、Dodonaには、Thessalyへ移住したPelasgusの娘Larisaの後裔が住んでいた。[Hyginus.225, Strabo.7.7.10]
** また、Eleusisには、Argosから移住した密儀祭司Trochilusの後裔が住んでいた。[Paus.1.14.2]
** Trochilusは、BC1580頃、Larisaの父Pelasgusの兄弟Agenorとの争いで、ArgosからEleusisに亡命した。[Paus.1.14.2]
** Eumolpusの侵入は、BC1415年ではなく、BC1390年にThessalyを追われたときとも考えられるが次の理由により否定される。
** XuthusのIon(45)がかなりの高齢(70)になる。
** 第5代Pandion(55)ではなく、第6代Erechtheus(40)の治世となり、Ionがpolemarchosになる必要がなくなる。
BC1415年、Atheniansは一時、Gephyraeansが住んでいたBoeotiaのTanagraまで避難した。[Suda.delta.1395]
** この時の避難がErechtheusとPraxitheaとの結婚を可能にした。[Apo.3.15.1, Tzetzes.1.170]
BC1415年、Xuthusの子Ionは、Atheniansの推挙を受けてpolemarchosとなり、Eumolpusと戦って休戦した。[Herod.8.44, Paus.2.14.2, FGrH.333.176]
** 戦いの後、EumolpusがEleusisに定住しているので、Eumolpusが優勢でIonが休戦に持ち込んだと思われる。[Paus.2.14.2]
** Atheniansを救ったIonを讃えて、Boedromiaという祭りがAthensで催されるようになった。[FGrH.Nr333.F176, Suda.beta.357]
** Ionの母は、第4代Athens王Erechtheusの娘Creusaであり、当時のAthens王PandionはIonの叔父であった。[Paus.7.1.2]
** Eumolpusの侵入時、IonはPotamiに住んでおらず、AchaiaのHeliceから駆け付けたと思われる。[Paus.7.1.3-4]

BC1415年、Celeusの弟Dysaulesは、EleusisからPhliusの近くのCeleaeへ移住した。[Paus.2.14.4]
BC1415年、Celeusの子Triptolemusの子Croconは、Eleusiniansとして初めて、Athensとの境のRheiti川の東側に居住した。[Paus. 1.38.2]

BC1415年、Rhodosの子Triopasは、他の兄弟の助けを借りて、兄弟のTenagesを殺害してCariaへ逃亡した。[Diod.5.57.2]
** Erysichthonの子TriopasはRhodes対岸のCnidus半島にTriopium(or Triopion)を創建した。[Diod.5.61.1, StephByz.T636.1]
** Triopasは、Cherronesusの王Melisseusによって、兄弟殺しの罪を浄められた。[Diod.5.61.1]
BC1415年、Rhodosの子Macarは、Lesbosへ逃亡した。[Diod.5.57.2]
BC1415年、Rhodosの子Candalusは、Cos島へ逃亡した。[Diod.5.57.2]
BC1415年、Rhodosの子Auges(Actis, Actics, Atlas)は、RhodesからEgyptへ移住しHeliopolisを創建した。[Diod.5.57.2]
BC1415年、Aeolusの子Athamasは、Pagasetic Gulf西岸にHalusを創建した。[Strabo.9.5.8]
BC1415年、Dorusの子Deucalionは、PindusからLocrisのOpus近くへ移住した。[Strabo.9.4.2]
** Ozolian Locrisは、Euboeaの対岸のLocrisから入植した。[Ps-Scym.475]
** Ozolian Locrisへの最初の入植者は、Deucalionの子Orestheusと思われる。[Athen.35b, Paus.10.38.1]
BC1415年、Triptolemusは、AchaiaのEumelusを訪問し、穀物栽培や町作りを教授した。[Paus.7.18.2]
** Triptolemusは、Ioの子Cranausの子Rharusの子Celeusの息子。
** Eumelusは、Ioの子Epaphusの娘Libyaの子Belusの子Aegyptusの息子。
BC1415年、Eumelusは、AchaiaにAroe(後のPatrae)を創建した。[Paus.7.18.2]
** Eumelusは、Aroeに墓があるDanausの兄弟Aegyptusの息子と思われる
BC1415年、EumelusとTriptolemusは、Aroe近くに、共同でAntheiaを創建した。[Paus.7.18.3]
BC1413年、Deucalionの娘Protogeniaは、LocrisからThessalyのArneに住むHippotesの子Aeolusに嫁いだ。[Apo.1.7.2, Paus.5.8.2]
BC1413年、Lynceusが死に、彼の息子AbasがArgosの支配権を継承した。[Apo.2.2.1, Paus.2.16.2]
BC1413年、Hypseusの娘Themistoは、Pagasetic Gulfの西岸のHalusのAthamasのもとへ嫁いだ。[Apo.1.9.2, Hyginus.1, Paus.9.34.7]
BC1411年、Danausの娘Polydoreは、Peneius川近くに住むIphthimeの息子と結婚した。[FGrH.Nr333.F8から推定]
** Polydoreの結婚を可能にしたのは、彼女の姉妹ScaeaとAutomateと、Achaeusの息子たちとの結婚であったと思われる。[Paus.7.1.6]
BC1410年、Deucalionの子Orestheusは、Epicnemidian LocrisからOzolian Locrisへ移住して、Amphissaを創建した。[Athen.35b, Paus.10.38.1, Ps-Scym.475]
BC1410年、Pygmalionは、Cyprusの北東部にCarpasiaを創建した。[StephByz.K361.13]
BC1410年、Astynousの子Sandocusは、PhoeniciaのTyreからCiliciaへ移住して、Celenderisを創建した。[Apo.3.14.3, MarceReg.30]
** Astynousは、Cecropsの娘Herseの子Cephalusの子Tithonusの子Phaethonの息子であった。[Apo.3.14.3]
** Pygmalionの娘MetharmeとSandocusの子Cinyrasは結婚から、PygmalionとSandocusは、同時に移住したと思われる。[Apo.3.14.3]
BC1410年、Deucalionの子Amphictyonは、Thermopylae付近にAntheia(or Anthela)を創建した。[Herod.7.200]
BC1410年、Danausの娘Anaxiteaの子Olenusは、AchaiaにOlenusを創建した。[FGrH.Nr334.F41]
BC1410年、Macerisは、LibyaにCapsaを創建した。[Newton.114, Orosius.5.15]

BC1408年、Danausによって追放されたGelanorの子LamedonがSicyonからArgosに攻め込んで占拠した。[MalaChro.4.68]
** Lynceusの跡を継いだAbas、別名Triopasの治世5年目に、ArgosはSicyonに占領された。[MalaChro.4.68]
BC1408年、Abasは、Phocisへ移住してAbaeを創建した。[Paus.10.35.1]
** Danausと共に渡来したOrusがTroezen、LelexがLacedaemonやMegaraにいたのに、何故、AbasがPhocisへ移住したのかは不明。
BC1408年、Aegyptusの子AntimachusとDanausの娘Mideaとの息子Amphianaxは、Ptolis(後のMantineia)へ移住した。[Strabo.8.3.2, Paus.8.12.7から推定]
** AmphianaxもAbasと同様に、Gelanorの子Lamedonによって、追放されたと思われる。
BC1408年、Achaeusの子Archanderは、Danausの娘Scaeaと結婚した。[Paus.7.1.6]
BC1408年、Achaeusの子Architelesは、Danausの娘Automateと結婚した。[Paus.7.1.6]
BC1407年、Dorusの娘Iphthimeの息子とDanausの娘Polydoreが結婚した。[FGrH.Nr333.F8とNonnus.14.105から推定]
BC1407年、Achaeusの息子たちArchanderとArchitelesは、Lamedonと戦った。[Paus.2.6.5]
** Pausaniasは、ArchanderとSicyonのCoronusの子Lamedonとが戦ったと記しているが、時代が異なる。[Paus.2.6.5]
** このLamedonは、Danausによって、Argosを追われたGelanorの息子と思われる。
BC1407年、SicyonのOrthopolisは娘をDeucalionの子Marathoniusに嫁がせて、Sicyonを譲ることで和睦した。[Euseb.Chron.175から推定]
** LocrisのDeucalionも同族としてAchaeusの息子たちに加勢したと思われる。
** この時から、Sicyonの王家は、Inachusの後裔からThessalyのDeucalionの後裔へ移った。
BC1407年、Aeolusの子Sisyphusは、Sicyonの近くへ移住して、Ephyra(後のCorinth)を創建した。[Apo.1.9.3]
** Sisyphusも従兄弟Achaeusの息子たちに加勢したものと思われる
** この後、SicyonやCorinthなど、Argolis各地にThessalyの住民が移住してきて、Achaeansの呼び名が定着したものと思われる。
BC1407年、AbasはAbaeからArgosへ帰還し、義理の叔父ArchanderがAbasを後見した。[Paus.2.6.5から推定]
BC1407年、Aristaeusは、Cadmusの娘Autonoeと結婚した。[Apo.3.4.2, Diod.4.81.3, Paus.10.17.4]
BC1406年、AristaeusとAutonoeの間に、Actaeon誕生した。[Diod.4.81.3]
** Diodorusは、このAristaeusをCyreneの息子としているが、別人または、創作と思われる。
** AristaeusがCyreneの息子とすれば、Aristaeusは、父Archanderと一緒にEgyptへ行けなくなる。

BC1405年、LacedaemonのLelexの子Polycaonは、MesseniaにAndaniaを創建した。[Paus.4.1.2]
** Andaniaの創建には、Polycaonの妻Messeneの出身地Argosから大勢のAchaeansが参加した。[Paus.4.1.2]
** Polycaonの後裔が絶えたとき、Thessalyから継承者を迎えている。[Paus.4.2.2]
** Andaniaの住民は、Achaeusの息子たちと共にThessalyからArgos周辺へ移住したAchaeansと思われる。
** Lacedaemonの分家ではあったが、Polycaonの妻Messeneに因んで、地方はLacedaemonではなく、Messeneと呼ばれた。[Paus.4.1.2]
BC1405年、Danausの娘Amymoneの子Naupliusは、Tiryns近くにNaupliaを創建した。[Paus.4.35.2, Paus.2.38.2]
BC1405年、Callistoの子Arcasは、ArcadiaにTrapezusを創建した。[Hyginus.176, 275]
** Arcasの名前に因んで、Arcadiaに住むPelasgiansは、Arcadiansと呼ばれるようになった。[Paus.8.4.1]
BC1405年、Celeusの子Triptolemusは、ArcadiaのArcasに栽培穀物の種子を与えた。[Paus. 8.4.1]
BC1404年、Acmonの子Ancaeusは、Maeander川の近くへ移住して、Lelegeis(後のMiletus)を創建した。[Pliny.5.31.1]

BC1402年、Achaeusの子Archanderは、EgyptのNileDeltaへ移住して、Archandropolisを創建した。[Herod.2.98, Paus.7.1.6]
** Archanderには、Thessalyで結婚したCyreneも同行した。[Diod.4.81.1]
** ArchanderとCyreneの息子Aristaeusも、Archanderに同行した。[Diod.4.82.4から推定]
BC1402年、Callistoの子Arcas、Triptolemusの子Croconの娘Meganiraと結婚した。[Apo.3.9.1]
** Meganiraの祖父Triptolemusが、Arcadiaを訪問したことが縁と思われる。
BC1402年、Cilixの娘Thebeは、Ida山近くに住むCybeleの子Corybasへ嫁いだ。[Diod.5.49.3, PsPlut.NRM.13]
BC1401年、Abasは、ArcadiaのPtolis(later Mantineia)のMantineusの娘Aglaiaと結婚した。[Apo.2.2.1]
BC1400年、ProetusとAcrisiusは、AbasとAglaiaとの間の双子の息子として、Argosで誕生した。[Pindaros.418]
BC1400年、Agenorの子Cilixの子Thasusは、Ida山近くのThebeから移住してThasus島に入植した。[Apo.3.1.1, Herod.2.44]
** Tudhaliya年代記に記されているAssuwansの反乱に、Cilixの子Thasusも加わっていたと思われる。
BC1400年、Madduwattaは、AhhiyawaのAttarsiyaに攻撃されて、Tudhaliya Iのもとへ亡命した。[wiki: Madduwatta]
** Madduwattaは、Tudhaliya IからZippaslaとSiyanda River Landの支配者の地位を与えられた。[wiki: Madduwatta]
BC1400年、Macerisは、EgyptのCanopusから地中海の西の外れへ移住して、Heracleia(後のCalpe)を創建した。[Strabo.3.1.7]
BC1400年、Ausonの子Liparusは、兄弟によって、Italy半島から追われて、Sicily島の北東のLipara島へ移住した。[Diod.5.7.5]
** それまで、Lipara島は、Meligunisと呼ばれていた。[Calli.Hym.3.46, Strabo.6.2.10, Pliny.3.93]



 

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