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序文

Create:2025.10.30, Update:2025.10.30

1 執筆の動機

古代ギリシアの伝承に登場する人名をもとに、夫婦関係や親子関係を繋いで、人物相関図を作成した。相関図を作成していると、疑問が生まれ、それを解消するために、より詳しく調べることになった。

Amyntorの子Phoenixは、何故、亡命先にPeleusを選んだのか。[1]

Crete島のMinosは、何故、遠く離れた黒海近くに住むPasiphaeと結婚できたのか。[2]

Heracleidaeに追放されたMelanthusは、何故、移住先をAthensにしたのか。[3]

多くの疑問について調べ、考察し、その疑問が解消したとき、それらを書き留めて置こうとして、執筆を始めた。

 

2 人物相関図の作成動機

青銅器時代の人物相関図の作成を始める前、Alexander the Greatを中心としたヘレニズム世界の人物相関図を作成した。その時、Thebesの始祖Cadmusや、Alexander the Greatの父方の先祖Heracles、母方の先祖Aeacusについては、神話の中の登場人物であろうと考えていた。実際、伝承には父の名前として、ギリシア神話の神々やギリシア各地の母なる川の河神の名前が多く登場する。

人物相関図の作成に着手したのは、Alexander the Greatの先祖Heraclesが、実際は、いつ頃の人物で、実在したのかどうかを知りたいと思ったからであった。

 

3 人物相関図作成中の感想

古代の伝承には、「ある人物から何世代前」とか、「Troy占領から60年後」などという表現が出てくるが、相関図を作成していて、それらが正確なのに驚かされた。

私が作成に着手する前、伝承に登場する系譜は、出鱈目で、繋がることはないと思っていた。

しかし、最終的には、3,000人以上の人物が、矛盾なく繋がった。

作成開始当初は、関係が不明で、推測でしかなかったものが、徐々に確信になったものも少なくない。また、推測が外れて予想外の人物に繋がったものも多い。

例えば、Pisaの町のOenomausは、多くの伝承に登場するが、その出自については、深い霧の中であった。当初、Oenomausは、Thessaly地方から勢力を伸ばして来たAeolianで、Pisaの町を創建したPerieresの子Pisusの親族であろうと推測していた。しかし、登場人物を矛盾しないように繋げていくと、Oenomausの祖父と思われる同名のOenomausがいることが分かった。Oenomausは、Argosの町からArcadia地方を経て、Pisaの町に居を定めたPelasgianであったことが判明した。

また、古代ギリシア人の系図に登場する殆どの支配階級の男性は、支配階級の娘を妻に迎えている。逆に見れば、伝承に登場する人物は、系図中のいずれかの人物に結び付くことが多い。

 

4 人物相関図の作成にあたっての留意点

4.1 同一人物であるかを判断

古代ギリシアに関する著書、例えば、AD2世紀の地理学者Pausaniasが著した『Description of Greece』には多くの人名が登場するが、神の名前になっていることもある。また、名前に父の名前が付けられている場合は、ある程度の異同識別が可能である。しかし、同一人物かを判断するためには、その人の出身地や事績などを比較する必要がある。

年代が異なる人物が、名前が同じという理由で、混同されている場合がある。

 

4.1.1 同じ種族で同名のための混同

Trojan Warより前に、4人の有名なAeolusがいて、混同されて伝えられている。

1) Aeolisの始祖になったHellenの子Aeolus [4]

2) Arneの町に住み、多くの子供たちを各地に送り出したHippotesの子Aeolus [5]

3) Lipara島へ移住したMelanippeの子Aeolus [6]

4) Thessaly地方のOrmenionの町を創建したOrmenusの祖父Aeolus [7]

 

4.1.2 同じ家系で同名のための混同

1) Daphne伝説に登場するLeucippusの父Oenomaus [8]

2) Pisaの町に住み、Pelopsと同時代のOenomaus [9]

前者は、後者の祖父であり、Arcadia地方に住んでいた。

 

4.1.3 父の名前も同名のための混同

本人だけでなく、父の名前も同じために混同されている場合がある。

Deucalionの子Amphictyonがその例である。

1) Athens王Cranausの娘婿となったDeucalionの子Amphictyon [10]

2) Thessaly地方からPelasgiansを追い出したDeucalionの子Amphictyon [11]

また、Pelasgusの子Lycaonの例もある。

1) Pelasgiansの始祖Pelasgusの息子Lycaon [12]

2) Argosの町からArcadia地方へ移住したPelasgusの息子Lycaon [13]

 

4.1.4 その他の混同

1) Tectamusの子Asteriusと再婚したEuropaの息子Minos [14]

2) Athens王Aegeusと同時代のCrete島のMinos [15]

後者は、前者の子孫であるが、Europaの子Minosとして、多くの伝承に登場する。

 

4.2 複数の候補から最も妥当なものを選択

妻や母の名前に関しては、複数の伝承に異なる名前で伝えられていることがある。

 

4.2.1 別名がある場合

同じ人物が違う名前で呼ばれている例として、Hippotesの子Aeolusの娘で、Boeotusの母の場合がある。

1) Aeolusの娘Melanippe [16]

2) Aeolusの娘Arne [17]

3) Aeolusの娘Antiopa [18]

 

4.2.2 誤っている場合

しかし、誤った伝承をもとにしているか、作者の勘違いが原因で、他と異なる場合も多い。

例えば、Cretheusの子Neleusの妻Chlorisの父Amphionについては、2通りの伝承がある。

1) Thebesの町のAntiopeの息子 [19]

2) Orchomenusの町のIasiusの息子 [20]

Thebesの町のAmphionについては、多くの伝承が残っている有名人であるが、Iasiusの子Amphionについては系譜だけしか伝えられていない。間違って伝えられても不思議ではない。

両方の説を検討すると、Neleusの妻の父はOrchomenusの町のAmphionであることが分かる。

 

5 人物相関図の描き方

夫と妻は、横に並べて、二重線で結び、その子供たちを一段下に配置する。

つまり、縦軸の上は時代が古く、下に行くにつれて時代が新しくなる。

したがって、同じ高さにある者同士は、原則として同時代人である。

 

5.1 相関図の縦軸(年代)の基準

5.1.1 Athens王の在位期間一覧

AD4世紀初頭の歴史家Eusebiusが、その著「Chronicle」の中で、BC2世紀のRhodes島の年代記作者Castorの著書からAtheniansの王たちの名前や在位年数を引用している。

その中で年代の特定可能なものは、29番目のAgamestorの子Aeschylusである。彼の治世の第12年目に最初のOlympiadが開催された。第1回Olympiadは、BC776年とされているので、在位23年のAeschylusの在位期間は、BC787年からBC764年であった。[21]

このAeschylusの在位期間を基準にして、Athensの最初の王Cecropsまでの在位期間一覧が完成する。

 

5.1.2 統治期間合計の21年の差

Castorは、初代Cecropsに始まり、第15代のOxyntesの子Thymoetesまでの統治期間の合計は、450年間であったと伝えている。[22]

しかし、CecropsからThymoetesまでの在位年数の合計は429年であり、21年少ない。この差は、Thymoetesの在位年数が8年ではなく、29年であったからであろうと推定される。

つまり、第16代Athens王Melanthusの即位は、BC1132年ではなく、21年遅くて、BC1111年のことであったとすれば、納得が可能である。

BC1111年、Melanthusは、Heracleidae率いるDoriansに追われて、Messenia地方からAthensの町へ移住した。[23]

CastorやBC2世紀の文法学者ApollodorusやBC5世紀の歴史家Thucydidesは、Heracleidaeの最終的な帰還を、Troy陥落から80年後であったと伝えている。[24]

人物相関図を作成して得られるTroy陥落年、BC1186年から計算すれば、「Troy陥落から80年後」は、BC1106年となり、5年の差はあるが、概ね合致する。

恐らく、BC1132年は、Melanthusが初めて王となった年であり、それは、Messeniansの王になった年であり、Atheniansの王になった年は、BC1111年と推定される。

また、5年の誤差は、「Troy陥落から80年後」のHeracleidaeの帰還年の決定の仕方で生じたと思われる。

HeracleidaeがPeloponnesusへ渡ったのは、BC1112年であった。[25]

Orestesの子TisamenusがSpartaの町からAchaia地方へ移住したのは、BC1104年であった。[26]

帰還年を、いずれにするかで、誤差が生じたと思われる。

 

5.2 相関図の縦軸(年代)の決め方

5.2.1 1世代の年数

Herodotusは、3世代を100年で計算しているが、私は、1世代を男性25年、女性20年にした。[27]

 

5.2.2 父と子の年齢差

概ね、17歳から70歳とした。

高齢で父となった例では、Alexander the Greatの武将Lysimachus、Heraclesと戦って負けたOrchomenus王Erginus、Troad地方からSicily島へ移住したCapysの子Anchisesがある。[28]

 

5.2.3 母と子の年齢差

概ね、16歳から45歳とした。

したがって、子供たちの間に30歳以上の年齢差がある場合は、母が異なると推定した。

例えば、Tyndareusの双子の息子たち、Dioscuriの母Ledaと、娘Helenの母は、異なる。

伝承では、Helenの母は、Ledaであると伝えられている。しかし、系図を作成すると、DioscuriとHelenの年齢差は、30歳以上ある。

Dioscuriの母は、Ledaであるが、Helenの母は、別な女性と思われる。[29]

 

5.2.4 夫婦間の年齢差

概ね、夫は、妻より年上にした。

しかし、まだ年少であったにもかかわらず相当年上の女性と結婚した例もある。

例えば、Antipaterの娘Philaと結婚したAntigonusの子Demetriusの場合である。[30]

 

5.3 相関図の横軸(同時代の繋がり)の決め方

夫婦や兄弟以外では、つぎのように特定の出来事へ参加した者を同時代と認定した。

 

5.3.1 同一出来事への参加による同時代認定

多くの参加者があった次のような出来事への参加者は、同時代であると認定した。

1) Argonautsの遠征 (BC1248)

2) Calydonian boar hunt (BC1246)

3) 7将によるThebes攻め (BC1215)

4) EpigoniのThebes攻め (BC1205)

5) AchaeansによるTroy遠征 (BC1188~1186)

6) HeracleidaeのPeloponnesusへの最終帰還 (BC1112~1104)

但し、詳しく精査すると、その出来事への参加が疑われる人物もある。

例えば、Poeasの子Philoctetesは、Argonautsの遠征とTroy遠征の物語に登場する。[31]

Philoctetesが参加したTroy遠征は、Agamemnon時代の遠征ではなく、BC1244年のTroy遠征であった。

 

5.3.2 その他の出来事による同時代認定

「同時代であった」[32]とされる場合のほかに、「その治世にDeucalionの洪水があった」[33]、「追放された」[34]、「亡命した」[35]や「戦った」[36]などの出来事は、両者が同じ時代の人物であると認定した。

但し、つぎの例のように、伝承の誤りと思われるものもある。

1) Athensの町のErichthoniusの子PandionとThebesの町のLabdacusとが国境をめぐって戦った。[37]

系図を作成すると、第5代Athens王Pandion(在位BC1442~1402)が死んだ後でLabdacus(BC1375~1337)が生まれている。Pandionが正しく、Labdacusが誤っているとすれば、Cadmusの時代である。しかし、その頃、Athensの町とThebesの町の間に境界の問題が存在したとは思えない。

2) Sicyonの町のLamedonとAchaeusの息子たちとが戦った。[38]

系図を作成すると、Sicyon王の系譜に登場するLamedonとAchaeusの息子たちとの生年差は70年以上ある。戦いが事実とすれば、Lamedonは別人と思われる。

 

6 相関図作成の参考にした主な著作

BC8世紀の吟遊詩人Homerの『Iliad』『Odyssey』

BC5世紀の歴史家Herodotusの『Histories』

BC1世紀の著述家Hyginusの『Fabulae』

BC1世紀の歴史家Dionysius of Halicarnassusの『Roman Antiquities』

BC1世紀の歴史家Diodorus Siculusの『Bibliotheca historica』

AD1世紀の地理学者Straboの『Geographica』

AD2世紀の地理学者Pausaniasの『Description of Greece』

AD2世紀の著述家Pseudo-Apollodorusの『Bibliotheca』

AD2世紀の文法家Athenaeusの『Deipnosophistae』

AD2世紀の著述家Plutarchの『Parallel Lives』『Moralia』

AD4世紀の歴史家Eusebiusの『Chronography』

 

7 執筆を終えた感想

BC18世紀の中頃からBC12世紀の中頃まで、600年間、古代ギリシア人の指導者たちを中心にした3,000人以上の系譜が現在に伝えられている。そして、その系譜をもとに伝承に記された出来事を年単位で特定して、年表を作成することができる。

世界には、多くの古代文明があったが、このような系譜や年表を作成することができるのは、古代ギリシアだけである。

それを可能にしたのは、古代ギリシアの一人の天才、あるいは、系譜の収集に情熱を燃やした人物ではないかと思われる。

私は、その人物は、『系譜論』を書いたOrpheusだと思っている。

そして、彼が記録した系譜を多くの詩人たちが後世に語り継いだ結果だと思われる。

 

おわり

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