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第2章 アルゴスからの大移動(BC1560) 

Create:2025.10.30, Update:2026.2.16

1 はじめに

BC1560年、トリオパスの子イアソスの時代に、アルゴスの町に住んでいたペラスゴイ人の大移動があった。トリオパスは、イナコスの子ポロネオスの娘ニオベの子アルゴスの子クリアソスの子ポルバスの息子であった。

大移動の原因は、ミュケナイの町との戦いの結果であった。

ニオベの子アルゴスには、息子たち、クリアソス、ペイラソス、エクバソスがいた。[1]

BC1601年、クリアソスの子ポルバスは、ペイラソスの子トリオプスからアルゴスの王位を簒奪した。

トリオプスに味方したエクバソスの子アゲノールの子アルゴスは、アルゴスの町からミュケナイの町へ逃れて、町の名前をアルギオンに変えた。[2]

アルゴスは、第7代シキュオン王トゥリマコスの娘イスメネと結婚して、息子メッサポスが生まれた。メッサポスは、第8代シキュオン王レウキッポスの娘カルキニアを妻にした。[3]

ミュケナイ王メッサポスは、第9代シキュオン王になり、シキュオンの町を支配下に置いて、ミュケナイの町は、急激に勢力を増した。[4]

メッサポスは、彼の父アルゴスを追放したアルゴスの町を攻めて、ポルバスの子トリオパスの後裔たちを追放した。

この戦いの後、ミュケナイの町は、黄金期を迎えた。

戦いに敗れたアルゴスの町のペラスゴイ人は、各地へ移住した。

 

2 リュキアやエジプトへの移住

トリオパスの子イアソスは、彼の兄弟クサントスと共に、ペロポネソスから船出した。途中、クサントス は、イアソスから分かれてリュキア地方に植民した。イアソスは、彼の娘イオと共に、さらに航海を続けて、エジプトへ移住した。 [5]

 

2.1 クサントスのリュキア移住

クサントスは移住者の一部をリュキア地方のクサントス川の近くに植民した後で、彼自身は、さらに北へ向かって船出した。

クサントスに同行していたキュルノスは、ロドス島対岸にキュルノスの町を創建し、クサントス自身はイッサ島と呼ばれていた無人島に植民した。[6]

イッサ島は、クサントスが率いていたペラスゴイ人に因んで、ペラスギア島と呼ばれた。220年後、テッサリア地方のラピテスの子レスボスが島に入植して、島はレスボスと呼ばれるようになった。[7]

 

2.2 イアソスと娘イオのエジプト移住

イアソスの娘イオは、エジプトのサイスの町に住んでいたテレゴノスと結婚した。[8]

イオの息子エパポスは勢力を拡大し、メンフィスの町を創建した。 [9]

また、第2代アテナイ王クラナオスもイオの息子であった。[10]

ヘラクレイダイのペロポネソス帰還以前のアテナイ人は、ペラスゴイ人であったと伝えられている。それはクラナオスが、イアソスやイオと共にエジプトへ移住したペラスゴイ人を連れてアテナイの町へ再移住したからであった。[11]

 

3 アルカディアへの移住

イアソスの兄弟アゲノールの子ペラスゴスは、アルゴスの町の西南西のリュカイオス山(現在のリュカイオン山、 標高1,421m)の麓へ移住した。ペラスゴスは食用にできる樫の実を見つけて、人々に教えた。[12]

リュカイオス山頂からはペロポネソス半島の殆どを見渡すことができた。山頂には祭壇があり、人身御供が行われていた。[13]

ペラスゴスの子リュカオンは、リュカイオス山の麓にリュコスラの町を創建した。[14]

ペラスゴスの子テメノスは、アルカディア地方北部に聳えるキュレネ山の麓の土地 (後のステュンパロスの町)に定住した。[15]

リュカオンの多くの息子たちは、それぞれアルカディア地方内の各地に町を創建した。[16]

 

4 テッサリアへの移住

トリオパスの子ペラスゴスの娘ラリッサ一家は、テッサリア地方北部へ移住した。[17]

 

4.1 アルカディア経由

次のことから、ラリッサは、アゲノールの子ペラスゴスと共に、アルゴスの町からアルカディア地方へ移住して、その後、アルカディア地方からテッサリア地方へ移住したと推定される。

1) ドドナでは、1本の樫樹が神木として大切にされていた。それは、人類に最初の食料を供給した樹だと考えられたことによる。[18]

2) テッサリア地方からドドナへ、神託所と共に樫樹1本が移された。[19]

3) アルカディア地方へ移住したアゲノールの子ペラスゴスは食用にできる樫の実を見つけて人々に教えた。[20]

つまり、ペラスゴスと共にアルカディア地方へ移住したラリッサは、ペラスゴスが食用にできる樫の実を見つけた後で、樫の樹と共にテッサリア地方へ移住したと推定される。

 

4.2 ラリッサの創建

ペラスゴイ人は、ペネイオス川近くに人々を集めて町を作った。[21]

最初、町はアルゴスの町と呼ばれていたが、ラリッサの子ペラスゴスが母の名前に因んで、ラリッサの町と呼ぶようになった。[22]

ラリッサの町は、テッサリア地方最古の町であった。

また、パガサイ湾南西のオトリュス山近くにあるラリッサ クレマステも同じ頃の創建と思われる。

このラリッサも、ペラスゴスの娘ラリッサの名前に因んで名付けられたという。[23]

ラリッサの3人の息子たち、アカイオス、プティオス、ペラスゴスが定住した地方は、アカイア、プティオティス、ペラスギオティスと呼ばれるようになった。[24]

 

5 メガラへの移住

トリオパスの子アゲノールの子クロトポスは、メガラ地方のゲラネイア山麓に移住して、トリポディスキオンの町を創建した。[25]

それ以前、メガラ地方へは、BC1725年にポロネオスの子カアが、アルゴスの町から移住していた。[26]

 

おわり

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