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第2章 アルゴスからの大移動(BC1560) 

Create:2025.10.30, Update:2025.10.30

1 はじめに

BC1560年、Triopasの子Iasusの時代に、Argosの町に住んでいたPelasgiansの大移動があった。Triopasは、Inachusの子Phoroneusの娘Niobeの子Argusの子Criasusの子Phorbasの息子であった。

大移動の原因は、Mycenaeの町との戦いの結果であった。

Niobeの子Argusには、息子たち、Criasus、Peirasus、Ecbasusがいた。[1]

BC1601年、Criasusの子Phorbasは、Peirasusの子TriopsからArgosの王位を簒奪した。

Triopsに味方したEcbasusの子Agenorの子Argusは、Argosの町からMycenaeの町へ逃れて、町の名前をArgionに変えた。[2]

Argusは、第7代Sicyon王Thurimachusの娘Ismeneと結婚して、息子Messapusが生まれた。Messapusは、第8代Sicyon王Leucippusの娘Calchiniaを妻にした。[3]

Mycenae王Messapusは、第9代Sicyon王になり、Sicyonの町を支配下に置いて、Mycenaeの町は、急激に勢力を増した。[4]

Messapusは、彼の父Argusを追放したArgosの町を攻めて、Phorbasの子Triopasの後裔たちを追放した。

この戦いの後、Mycenaeの町は、黄金期を迎えた。

戦いに敗れたArgosの町のPelasgiansは、各地へ移住した。

 

2 LyciaやEgyptへの移住

Triopasの子Iasusは、彼の兄弟Xanthusと共に、Peloponnesusから船出した。途中、Xanthus は、Iasusから分かれてLycia地方に植民した。Iasusは、彼の娘Ioと共に、さらに航海を続けて、Egyptへ移住した。 [5]

 

2.1 XanthusのLycia移住

Xanthusは移住者の一部をLycia地方のXanthus川の近くに植民した後で、彼自身は、さらに北へ向かって船出した。

Xanthusに同行していたCyrnusは、Rhodes島対岸にCyrnusの町を創建し、Xanthus自身はIssa島と呼ばれていた無人島に植民した。[6]

Issa島は、Xanthusが率いていたPelasgiansに因んで、Pelasgia島と呼ばれた。220年後、Thessaly地方のLapithesの子Lesbosが島に入植して、島はLesbosと呼ばれるようになった。[7]

 

2.2 Iasusと娘IoのEgypt移住

Iasusの娘Ioは、EgyptのSaisの町に住んでいたTelegonusと結婚した。[8]

Ioの息子Epaphusは勢力を拡大し、Memphisの町を創建した。 [9]

また、第2代Athens王CranausもIoの息子であった。[10]

HeracleidaeのPeloponnesus帰還以前のAtheniansは、Pelasgiansであったと伝えられている。それはCranausが、IasusやIoと共にEgyptへ移住したPelasgiansを連れてAthensの町へ再移住したからであった。[11]

 

3 Arcadiaへの移住

Iasusの兄弟Agenorの子Pelasgusは、Argosの町の西南西のLycaeus山(現在のMt. Lykaion、 標高1,421m)の麓へ移住した。Pelasgusは食用にできる樫の実を見つけて、人々に教えた。[12]

Lycaeus山頂からはPeloponnesus半島の殆どを見渡すことができた。山頂には祭壇があり、人身御供が行われていた。[13]

Pelasgusの子Lycaonは、Lycaeus山の麓にLycosuraの町を創建した。[14]

Pelasgusの子Temenusは、Arcadia地方北部に聳えるCyllene山の麓の土地 (後のStymphalusの町)に定住した。[15]

Lycaonの多くの息子たちは、それぞれArcadia地方内の各地に町を創建した。[16]

 

4 Thessalyへの移住

Triopasの子Pelasgusの娘Larisa一家は、Thessaly地方北部へ移住した。[17]

 

4.1 Arcadia経由

次のことから、Larisaは、Agenorの子Pelasgusと共に、Argosの町からArcadia地方へ移住して、その後、Arcadia地方からThessaly地方へ移住したと推定される。

1) Dodonaでは、1本の樫樹が神木として大切にされていた。それは、人類に最初の食料を供給した樹だと考えられたことによる。[18]

2) Thessaly地方からDodonaへ、神託所と共に樫樹1本が移された。[19]

3) Arcadia地方へ移住したAgenorの子Pelasgusは食用にできる樫の実を見つけて人々に教えた。[20]

つまり、Pelasgusと共にArcadia地方へ移住したLarisaは、Pelasgusが食用にできる樫の実を見つけた後で、樫の樹と共にThessaly地方へ移住したと推定される。

 

4.2 Larisaの創建

Pelasgiansは、Peneius川近くに人々を集めて町を作った。[21]

最初、町はArgosの町と呼ばれていたが、Larisaの子Pelasgusが母の名前に因んで、Larisaの町と呼ぶようになった。[22]

Larisaの町は、Thessaly地方最古の町であった。

また、Pagasetic Gulf南西のOthrys山近くにあるLarisa Cremasteも同じ頃の創建と思われる。

このLarisaも、Pelasgusの娘Larisaの名前に因んで名付けられたという。[23]

Larisaの3人の息子たち、Achaeus、Phthius、Pelasgusが定住した地方は、Achaia、Phthiotis、Pelasgiotisと呼ばれるようになった。[24]

 

5 Megaraへの移住

Triopasの子Agenorの子Crotopusは、Megara地方のGeraneia山麓に移住して、Tripodiskionの町を創建した。[25]

それ以前、Megara地方へは、BC1725年にPhoroneusの子Carが、Argosの町から移住していた。[26]

 

おわり

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