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第37章 残りのギリシアの青銅器時代の歴史

Create:2025.10.30, Update:2026.2.16

1 はじめに

この章では、エジプト (リビュア)、フェニキア、黒海周辺、イリュリア、テスプロティア、モロットイ、イベリアについて記述する。

マケドニア、パイオニア地方については、「トラキアの青銅器時代の歴史」に記述している。

 

2 エジプト (リビュア)

2.1 ボイオティアからの移住

BC1750年、パルナッソス山の北側を流れるケピソス川の上流で、大洪水が発生した。オギュゴスに率いられたエクテネスは、ボイオティア地方へ移住した。

BC1580年、エクテネスは、ヒュアンテスなどの他種族から圧迫を受けて、ボイオティア地方から各地へ移住した。[1]

エクテネスの一部は、オギュゴスに率いられて、ボイオティア地方からエジプトへ移住した。

 

2.1.1 テバイの創建

オギュゴスは、エジプトにテバイの町を創建した。[2]

町の名前は、オギュゴスの娘テーベに因んで名付けられた。[3]

このテバイの町は、上エジプトのテバイ (現在のルクソール)ではなく、ナイルデルタにあり、アゲノールの子カドモスが住んでいた町であった。[4]

テーベの父オギュゴスは、大洪水時代のオギュゴスの後裔であった。[5]

 

2.1.2 サイスの創建

オギュゴスと共にエジプトへ移住した、テレゴノスの父は、サイスの町を創建した。[6]

初代アテナイ王ケクロプスは、テレゴノスの兄弟であった。[7]

 

2.2 アテナイへの移住

BC1562年、ケクロプスは、サイスの町からアッティカ地方へ移住して、初代アテナイ王になった。[8]

ケクロプスは、ギリシア語の他に、移住先で覚えた言葉も話した。

ケクロプスに付けられたディファイエス (二つの形)という呼び名は、「2つの言葉を話す」という意味であった。[9]

 

2.3 アルゴスからの移住

BC1560年、トリオパスの子イアソスは、移民団を率いて、アルゴスの町からエジプトへ移住した。[10]

イアソスの娘イオは、サイスの町のテレゴノスと結婚して、エパポスが生まれた。[11]

 

2.4 アテナイへの移住

BC1515年、クラナオスは、サイスの町からアッティカ地方へ移住して、第2代アテナイ王になった。[12]

クラナオスは、イオの息子と推定される。[13]

古い時代のアテナイ人はペラスゴイ人であり、クラナオスの時代、アテナイ人はクラナオイ人という名前で呼ばれていた。[14]

イアソスの娘イオと共に、アルゴスの町からエジプトへ移住したペラスゴイ人が、イオの子クラナオスと共にアテナイの町へ移住した。[15]

 

2.5 メンフィスの創建

BC1535年、テレゴノスの子エパポスは、サイスの町から移住して、メンフィスの町を創建した。[16]

 

2.6 アテナイへの移住

BC1492年、クラナオスの娘アッティスの子エリクトニオスは、サイスの町からアテナイの町へ移住して、アンピクテュオンを追放して、第4代アテナイ王に即位した。[17]

エリクトニオスには、クラナオスの子ラロスも同行して、アテナイの町へ移住した。[18]

ラロスではなく、エリクトニオスがアテナイ王になったのは、エリクトニオスの父がケクロプスの子エリュシクトンの息子であったからと推定される。[19]

 

2.7 各地への移住

BC1430年、ナイルデルタに住んでいた人々は、エジプト第18王朝のファラオトトメス3世に対して反乱を起こして、エジプトから追放された。

ナイルデルタに住んでいた数十万人が、陸路あるいは海路で、エジプトから各地へ移住した。

 

2.7.1 ギリシアへの移住

ベロスの子ダナオスは、アルゴスの町へ移住した。[20]

ダナオスの兄弟アイギュプトスは、ペロポネソス半島北西部のアロエ (後のパトライ)の町へ移住した。[21]

ダナオスの兄弟オロスは、アルゴス地方へ移住して、オライア (後のトロイゼン)の町を創建した。[22]

ダナオスの叔父レレクスは、ラコニア地方へ移住した。[23]

その後、レレクスは、メガラ地方へ移住した。[24]

 

2.7.2 フェニキアへの移住

リビュアの子アゲノールは、フェニキア地方のシドンの町へ移住した。[25]

その後、アゲノールの子カドモスは、ボイオティア地方へ移住して、カドメイア (後のテバイ)の町を創建した。[26]

アゲノールの子ポイニクスは、フェニキア地方のテュロスの町へ移住した。[27]

 

2.7.3 コルキスへの移住

黒海東岸のコルキス地方へ移住した人々もいた。[28]

40年後、シシュッポスの子アイイテスがコルキス地方へ移住したのは、彼らと繋がりがあったからと推定される。

 

2.8 ロドスからの移住

BC1415年、ロドスの子アクティス (または、アウゲス, アトラス)は、ロドス島からエジプトへ移住して、ヘリオポリスの町を創建した。[29]

アクティスは、カノープスのマケリス (エジプト人 ヘラクレス、または、フェニキアの ヘラクレス)に星の知識を伝授した。[30]

 

2.8.1 リビュアやイベリアへの移住

航海術に優れ、世界の果てまでを知り尽くしたマケリスは、海洋民族フェニキア人にとっては、神のような存在であった。イベリア半島のタルテッソスの町やフェニキア地方のテュロスの町の他に、エジプトのカノープスの町やタソス島にもヘラクレスの神域があった。[31]

マケリスは、アゲノールの息子であり、カドモスの兄弟であったと推定される。

BC1410年、マケリスは、後のカルタゴの近くに、カプサの町を創建した。[31-1]

BC1400年、マケリスは、イベリア半島最南端へ移住して、ヘラクレイア (後のカルペ)の町を創建した。[31-2]

マケリスは、タルテッソスの川から産出される錫を目当てに移住したとも思われる。[31-3]

 

2.9 アルゴスからの移住

BC1402年、アカイオスの子アルカンドロスは、アルゴスの町からエジプトのナイルデルタへ移住して、アルカンドロポリスの町を創建した。[32]

アルカンドロポリスの町の近くに、アルカンドロスの妻であるダナオスの娘スカイアが幼少期を過ごしたケンミスの町があった。[33]

アルカンドロスには、テッサリア地方で結婚したキュレネと息子アリスタイオスも同行した。[34]

 

2.10 エーゲ海の大津波

BC1390年、クレタ島の北に浮かぶテラ (現在のサントリニ)島で大噴火があり、エーゲ海に大津波が発生した。[35]

大津波は、エジプトのナイルデルタを襲い、被災した人々は、各地へ移住した。

 

2.10.1 アナトリアへの移住

BC1390年、大津波で被災したナイルデルタのアルカンドロポリスの町の住人を率いてアルカンドロスの子ベロスは、アナトリア半島北西部のアイセポス川の河口付近へ移住した。[36]

ベロスの入植地はエチオピア、そこに住む人々はエチオピア人と呼ばれた。[37]

ベロスの移民団には、コリントスの町からコルキス地方へ移住したアイイテス、アテナイの町からトラキア地方へ移住したボレアス、エレウシスの町からトラキア地方へ移住したケリュクスの移民団も同行していた。

ベロスと共にエジプトを出発した人々の一部は、コルキス地方へも入植しており、ベロスとアイイテスが行動を共にしていたことを証明している。[38]

 

2.10.2 サルドへの移住

BC1390年、大津波で被災したナイルデルタのカノープスの町の住人を率いてマケリスの子サルドスは、サルド島へ移住した。[39]

サルド島の南西部に「父なるサルドスの神殿」があり、その付近がサルドスの移住先であったと思われる。[40]

 

2.11 アルゴスからの移住

BC1387年、リュンケウスの子アバスの死後、アバスの子プロイトスは、双子の兄弟アクリシオスをアルゴスの町から追放した。[41]

アクリシオスとプロイトスは、当時、13歳と推定され、自らの意志による行動ではなく、彼らの支持者による争いであった。

アクリシオスは、アルゴスの町からエジプトへ移住した。

エジプトには、アクリシオスの父アバスの後見人であったアカイオスの子アルカンドロスが15年前に移住していた。

アルカンドロスが建設したアルカンドロポリスの町は、大津波で被災していた。アクリシオスは、ケンミスの町に住んだ。[42]

アクリシオスは、アルカンドロスとダナオスの娘スカイアとの間の娘と推定されるアガニッペと結婚して、娘ダナエが生まれた。[43]

 

2.12 サルドへの移住

BC1372年、キュレネの子アリスタイオスは、エジプトからサルド島へ移民団を率いて、移住した。[44]

アリスタイオスは、サルド島の南部にカラリスの町を創建した。[45]

カラリスの町は、少し前に、エジプトから入植したサルドスの居住地の近くにあった。

 

2.13 アルゴスへの移住

BC1370年、アバスの子アクリシオスは、エジプトからアルゴスの町へ帰って、彼の兄弟プロイトスを追放した。[46]

アクリシオスの妻アガニッペと、彼らの娘ダナエは、エジプトのケンミスの町に残された。ダナエには、息子ペルセウスが生まれた。[47]

 

2.14 アルゴスへの移住

BC1349年、後継ぎのないアクリシオスは、エジプトに残して来た彼の娘ダナエのもとから、彼女の息子ペルセウスを自身の後継者とするためにアルゴスの町へ呼び寄せた。ペルセウスは、母ダナエのもとから無理やり連れ去られたという伝承もある。しかし、ダナエには、ペルセウスの他に、ダウノスという名前の息子もいた。[48]

 

2.15 イタリアへの移住

BC1341年、アクリシオスの娘ダナエは、エジプトから植民団を率いてサルド島へ向かった。ダナエは、航海途中で暴風に遭遇して、イタリア半島西海岸に漂着し、アルデアの町を建設した。[49]

ダナエの子ダウノスは、アルデアの町を継承した。[50]

BC1182年、アイネアスと戦って死んだルトゥリの首領トゥルヌスは、ダウノスの後裔であった。[51]

 

2.16 クレタからの移住

BC1230年、ミノスの娘アカカリスの子アンピュテミスは、クレタ島からリビュアへ移住した。[52]

 

2.17 テラからの移住

BC630年、ポリュムネストスの子バットスは、テラ島から植民団を率いてリビュアへ移住して、キュレネの町を創建した。[53]

 

2.17.1 移住先の決定

バットスは、神託によって、リビュアにキュレネを創建したと伝えられている。[54]

しかし、アカカリスの子アンピュテミスがリビュアへ移住した後で、クレタ島のオアクソスの町とリビュアの間に交流があったと推定される。

オアクソスの町は、アンピュテミスの兄弟オアクソスによって創建された。[55]

バットスの母プロニメの父エテアルコスは、オアクソスの町の支配者であった。[56]

プロニメの結婚に際して、オアクソスの町からテラ島へ移住した人々の中に、リビュアの良さを知り、バットスに移住先として、リビュアを勧めた者がいたと思われる。

 

2.17.2 キュレネ建設の参加者

キュレネの町の建設には、スパルタの町からも参加者があった。その中には、オリュンピアードの優勝者キオニスも含まれていた。[57]

また、ロドス島のリンドスの町からパンキスの息子たちもキュレネの町の建設に参加した。[58]

 

3 フェニキア

3.1 エジプトからの嫁入り

BC1562年、ケクロプスの娘ヘルセは、エジプトからアテナイの町へ行く途中、あるいは、それ以前に、フェニキア地方のテュロスの町に嫁いだ。[59]

 

3.2 エジプトからの移住

BC1430年、ナイルデルタに住んでいた人々は、第18王朝のファラオトトメス3世に対して反乱を起こして、エジプトから追放された。

ナイルデルタに住んでいた数十万人が、陸路あるいは海路で、エジプトから各地へ移住した。

 

3.2.1 テュロスへの移住

BC1430年、アゲノールの子ポイニクスは、フェニキア地方のテュロスの町へ移住した。[60]

ポイニクスは、移住より前に、オイネウスの娘ペリメデを妻に迎えていた。[61]

オイネウスは、テュロスの町に嫁いだケクロプスの娘ヘルセの曾孫と思われる。[62]

 

3.2.2 シドンへの移住

BC1430年、リビュアの子アゲノールは、フェニキア地方のシドンの町へ移住した。[63]

アゲノールが移住先としてシドンの町を選んだのは、彼の息子ポイニクスがその地方から妻ペリメデを迎えていたからであった。[64]

 

3.3 トラキアへの移住

BC1426年、アゲノールの子カドモスは、シドンの町から移民団を率いて出航した。[65]

カドモスの移民団に船を供出したのは、テュロスの町に住むヘルセの子ケパロスの子ティトノスの子パイトンの子アステュノオスであった。アステュノオスは、息子サンドコスと共にカドモス率いる移民団をサモトラケ島経由で、トラキア地方に送り届け、テュロスの町に戻った。[66]

BC1425年、カドモスは、トラキア地方のカルキディケ半島北側へ移住した。[67]

 

3.4 カリステへの移住

BC1425年、カドモスの移民団の中にいたポイキレスの子メンブリアロスは、一部の人々と共にカリステ (後のテラ)島に上陸して、その島に定住した。[68]

BC1099年、アウテシオンの子テラスはラケダイモンから移民団を率いて、カリステ島へ移住した。[69]

カドモスの時代からテラスの時代までの間に、少なくとも2度、島の火山が噴火した。しかし、メンブリアロスと共に島に入植した人々の子孫は、生き延びていた。[70]

 

3.5 クレタへの嫁入り

3.5.1 ポイニクスの娘エウロパ

BC1425年、カドモスの移民団の中にいたポイニクスの娘エウロパは、キュドニアの町に住むテゲアテスの子キュドンと結婚した。キュドンは、BC1450年、アルカディア地方のテゲアの町からクレタ島北西部へ移住し、キュドニアの町を創建していた。[71]

 

3.5.2 ポイニクスの娘アステュパライア

BC1425年、カドモスの移民団の中にいたポイニクスの娘アステュパライアは、アプテラの町に住むアクモン (または、ケルミス、ダムナメネオス、イダ山のヘラクレス)と結婚した。[72]

アステュパライアは、アクモンと共にオリュンピアへ移住し、その後、ロドス島の近くのカリア地方へ移住した。[73]

アステュパライアの子アンカイオスは、レレゲスの王となった。[74]

 

3.6 キリキアへの移住

BC1425年、アゲノールの子キリクスは、イダ山近くのキリキア地方へ移住して、テーベの町を創建した。[74-1]

BC1402年、キリクスの娘テーベは、イダ山近くに住むキュベレの子コリュバスへ嫁いだ。[74-2]

 

3.7 山地キリキアへの移住

BC1410年、アステュノオスの子サンドコスは、テュロスの町から山地キリキアへ移住して、ケレンデリスの町を創建した。[74-3]

アステュノオスは、初代アテナイ王ケクロプスの娘ヘルセの子ケパロスの子ティトノスの子パイトンの息子であった。[74-4]

 

3.8 キュプロスへの移住

BC1410年、ピュグマリオンは、キュプロス島北東部へ移住して、カルパシアの町を創建した。[74-5]

ピュグマリオンの娘メタルメとサンドコスの子キニュラスが結婚していることから、ピュグマリオンは、サンドコスと一緒に、テュロスの町から移住したと推定される。[74-6]

 

4 黒海周辺の歴史

4.1 ペロポネソスからの移住

BC1390年、シシュッポスの子アイイテスは、大津波で被災したエピュライア (後のコリントス)の町の住人を率いて、黒海東岸のコルキス地方へ移住した。[75]

アイイテスは、エジプトから移民団を率いたベロスと行動を共にしていた。

ベロスの移民団の中には、BC1430年に、エジプトからコルキス地方へ移住した人々も含まれていて、コルキスまでの航路を知っていたと思われる。[76]

アイイテスの町は、キュタという名前であった。[76-1]

 

4.2 トロアスへの嫁入り

BC1375年、アイイテスの娘カルキオペ (または、イオポッサ, エウエニア)の娘は、コルキス地方からトロアス地方に住むミノスの子アステリオスのもとへ嫁入りした。[77]

BC1390年、大津波で被災したアステリオスは、父ミノスと共に、クレタ島からトロアス地方へ移住した。[78]

アステリオスの結婚は、ヘレスポントスを通過する交易を通じて、成立したと思われる。

 

4.3 トロアスからの移住

BC1370年、エウロパの子ミノスの子アステリオスは、トロアス地方からコルキス地方へ移住した。[79]

アステリオスの移住には、イダ山近くに住んでいたイダ山のダクテュロスも同行した。彼らは、トロアス地方のアビュドスの町近くのアステュラで金の採掘をしていた。[80]

コルキス地方は金銀の産出量が多かった。[81]

アステリオスの移住によって、プリクソスの3人の息子たち、プレスボン、メラス、キュティッソロスは、コルキス地方を去って、各地へ移住した。

後に、シシュッポスの子アイイテスの後裔メディアがコリントスの町に迎えられているので、アステリオスとアイイテスの孫たちとの間に戦いはなかったと思われる。[82]

恐らく、プリクソスの息子たちと周辺異民族との戦いに、彼らの義兄弟アステリオスがトロアス地方から応援に駆け付けたと推定される。

 

4.3.1 ボイオティアへの移住

BC1370年、プリクソスの子プレスボンは、兄弟メラスと共にコルキス地方からボイオティア地方の祖父アタマスのもとへ移住した。[83]

プレスボンの子クリュメノスは、ミニュアスの子オルコメノスの跡を継いでミニュアス人の王になった。[84]

 

4.3.2 黒海南岸への移住

BC1370年、プリクソスの子キュティッソロス (または、キュリンドロス, キュティソロス, キュトロス)は、コルキス地方から黒海南岸へ移住してキュトロスの町を創建した。[85]

プリクソスは、ボイオティア地方のアタマスの息子であったが、妻カルキオペと共に、妻の父アイイテスの移民団に参加して、コルキス地方へ移住した。

 

4.4 トラキアからの移住

BC1365年、ボレアスの息子たち、ゼテスとカライスは、トラキア地方からヒュペルボレオス人の地へ移住した。[86]

ヒュペルボレオス人の地とは、後に、アレクサンドロス大王がトラキア地方へ遠征したときに、トリバッロイ人が逃げ込んだ川の中に浮かぶ島であった。その島は、黒海西岸に注ぐイステル (現在のドナウ)川の7つの河口のうち、一番大きい聖なる口と呼ばれる河口から22km遡上した所にあった。その島は、周囲が崖になっていて、ペウケ島という名前で呼ばれていた。[87]

トリバッロイ人は、アレクサンドロス大王と友好関係を結んだ後も、島への上陸を許さなかった。[88]

 

4.5 タウリケ・ケルソネセ (現在のクリミア半島)への移住

BC1345年、ピネオスの2人の息子たち、ポリュメデスとクリュティウス (または、プレキッポスとパンディオン)は、サルミュデッソスの町から黒海北部のタウリケ・ケルソネセへ移住した。[89]

 

4.6 タウリケ・ケルソネセへの嫁入り

BC1336年、アステリオスの孫娘ペルセイスは、コルキス地方からタウリケ・ケルソネセに住むピネオスの息子のもとへ嫁入りした。[90]

ペルセイスの夫は、ポリュメデス、あるいは、クリュティウスのいずれかと思われる。

 

4.7 コルキスへの移住

BC1300年、ペルセイスの子アイイテスは、タウリケ・ケルソネセからコルキス地方へ移住して、コルキス地方を継承した。[91]

 

4.8 トロアスへの嫁入り

BC1297年、ペルセイスの娘パシパエは、タウリケ・ケルソネセからトロアス地方に住んでいたリュカストスの子ミノスのもとへ嫁いだ。[92]

ペルセイスの祖父アステリオスの父は、エウロパの子ミノスであった。

つまり、パシパエとミノスは、エウロパの子ミノスを共通の先祖としていた。

 

4.9 コルキスへの嫁入り

BC1296年、ペルセスの娘ヘカテ (または、イデュイア)は、タウリケ・ケルソネセからコルキス地方に住んでいたペルセイスの子アイイテスのもとへ嫁いだ。[93]

アイイテスは、ヘカテの父の兄弟であった。

 

4.10 サウロマタイへの嫁入り

BC1276年、ペルセイスの子アイイテスの娘キルケは、コルキス地方からサウロマタイに住んでいたサウロマタイ人の王のもとへ嫁いだ。[94]

 

4.11 テッサリアからの遠征

BC1268年、アイソンの子イアソンは、テッサリア地方のイオルコスの町に住んでいたミニュアス人と共にコルキス地方へ遠征した。[95]

イアソンの叔父ペリアスがオルコメノスの町からアンピオンの娘ピュロマケを妻に迎えたときに、多くのミニュアス人がイオルコスの町に移り住んでいた。[96]

プリクソスの子プレスボンがコルキス地方からボイオティア地方へ帰った後も、コルキス地方との交流があったと思われる。イアソンの遠征は、コルキス地方への航路を知っていたミニュアス人が可能にした。

 

4.12 テッサリアへの嫁入り

この遠征で、イアソンは、アイイテスの娘メディアと結婚した。[97]

アルゴ船の遠征よりも20年前の出来事であった。

AD2世紀、ローマ帝国のカッパドキア総督アッリアノスは、コルキス地方でアルゴ船の錨を見せられたが、それ以外にイアソンの航海の痕跡はなかったと伝えている。[98]

 

4.13 シノペへの移住

BC1260年、テッサリア地方のトリッカの町のデイマコスの子アウトリュコスは、黒海南岸のシノペの町へ移住した。[99]

アウトリュコスは、BC1268年にイアソンの遠征に参加して、その方面を知っていたと思われる。[100]

アウトリュコスは、ペネイオスの娘トリッカの子孫で、トリッカの町の最初の住人は、ドーリス人であった。[101]

アウトリュコスは、トリッカの町の近くのオイカリアの町から勢力を伸ばしたラピタイのエラトス (または、エイラトス)の子イスキュスに追い出されたと推定される。[102]

 

4.14 サウロマタイへの移住

BC1186年、トロイへ遠征したアカイア人は、アンテノールの息子たちに敗れて、各地へ逃れた。

オルコメノスの町のアステュオケ (または、ペルニス)の子イアルメノスは、故郷へ帰らずに、サウロマタイへ移住した。[103]

サウロマタイ人は、マイオティス湖の周辺に住んでいた。[104]

イアルメノスは、オルコメノス人やアスプレドン人を率いていた。[105]

アステュオケは、アタマスの子プリクソスの子プレスボンの子クリュメノスの子アゼウスの子アクトールの娘であった。

プレスボンは、コルキス地方で生まれ、祖父の跡を継ぐためにボイオティア地方へ移住して来たが、その後、両地方の間で交流があったと思われる。[106]

プリクソスの後裔ペルセイス (または、ペルセ)の子アイイテスの娘キルケの夫は、サウロマタイ人の王であった。[107]

プリクソスの後裔イアルメノスが、サウロマタイへ移住したのは、決して偶然ではなかった。

 

5 イリュリア

5.1 ボイオティアからの移住

BC1390年、エンケレイス人は、ボイオティア地方のコパイス湖付近からイリュリア地方へ移住した。[108]

アゲノールの子カドモスは、カドメイアの町を創建した後で、エンケレイス人からの求めに応じて、イリュリア地方へ移住したと伝えられている。[109]

しかし、カドモスは、カドメイアの町から追放されて、イリュリア地方へ移住したとも伝えられている。[110]

カドモスの子ポリュドロスやポリュドロスの子ラブダコスの時代に、カドメイアの町で内紛があったことを考慮すると、カドモスは、内紛によって、カドメイアの町から追放されたと思われる。

カドモスとエンケレイス人の定住地は、エピダモスの町から北北西へ陸路で3日行程のリゾオス川の近くであった。[111]

カドモスは、イリュリア地方のブトイ (または、ブトイ, 現在のブドヴァ)で死に、彼の妻ハルモニアと共にリゾオス川の近くに葬られた。[112]

 

5.2 ボイオティアへの移住

BC1380年、ポリュドロスは、成人した息子たちと共に、イリュリア地方からカドメイアの町へ帰還した。[113]

ポリュドロスと共にエンケレイス人の一部が、イリュリア地方から移住して、カドメイアの町の近くに定住した。彼らの町は、エンケリアと呼ばれ、後に、カドメイアの町と併せてテバイの町になった。[114]

 

5.3 テバイからの移住

BC1205年、エテオクレスの子ラオダマスは、テバイの町からイリュリア地方のエンケレイス人のもとへ移住した。[115]

ラオダマスは、エピゴノイ率いるアルゴス人との戦いに敗れて、ポリュネイケスの子テルサンドロスにテバイの町を明け渡した。[116]

エテオクレスは、カドモスの子ポリュドロスの子ラブダコスの子ライオスの子オイディプスの息子であった。

 

6 テスプロティア

6.1 テッサリアからの移住

BC1480年、ペラスゴイ人は、テッサリア地方のスコトッサの町の近くにあったゼウスの神託所をテスプロティア地方へ移した。[117]

ハイモンの子テッサロスは、ドドナにゼウスの神託所や神殿を造営した。[118]

神託所の引越しには、スコトッサの町の女人たちが同行した。ドドナの神託所で予言を担当する巫女は、彼女たちの子孫であった。[119]

テッサロスの父ハイモンの父ペラスゴスの母は、アルゴスの町からテッサリア地方へ移住したトリオパスの子ペラスゴスの娘ラリッサであった。[120]

 

6.2 テッサリアからの移住

BC1390年、テッサリア地方に住んでいたペラスゴイ人は、デウカリオーンの息子たちに追われて各地へ移住した。ペラスゴイ人の大部分は、ドドナ周辺に住み着いた。[121]

ドドナ周辺に住んでいた人々は、テッサリア地方から逃れて来たペラスゴイ人を同族として受け入れた。[122]

 

6.3 エピュラの創建

テッサリア地方からドドナ周辺へ移住した人々の中に、テッサリア地方のエピュラ (後のクランノン)の町の創建者クランノンの後裔リュカオンの子テスプロトスがいた。

BC1390年、テスプロトスは、ドドナの南西にエピュラの町を創建した。テスプロトスの一族は、テスプロティア人と呼ばれた。[123]

 

6.4 アンブラキアの創建

BC1385年、テスプロトスの子アンブラクスは、エピュラの町からアンブラキア湾の北側へ移住して、アンブラキアの町を創建した。[124]

 

6.5 エレウシスへの援軍

BC1352年、エレウシスの町のエウモルポスの子インマラドスとアテナイ王エレクテウスとの戦いが起きた。[125]

その戦いに、スキロスは、ドドナからエレウシスの町の応援に駆け付けて、戦死した。[126]

スキロスは、テッサリア地方からドドナ周辺へ移住したペラスゴイ人と推定される。[127]

 

6.6 テッサリアからの移住

BC1246年、アイニアネスは、イクシオンの子ペイリトウス率いるラピタイに追われて、テッサリア地方のドティオンから各地へ移住した。[128]

アイニアネスの一部は、ペネイオス川の源流近くのピンドス山地のアイティキアに住み着いた。

その後、彼らは、モロットイ地方のアウアス川付近へ移住して、パラウアイアと呼ばれるようになった。[129]

BC5世紀末、パラウアイアの王は、オロイドスであった。[129-1]

その後、パラウアイアは、マケドニア地方に属するようになった。[129-2]

ラピタイに追われたケンタウロスの一部は、ペネイオス川源流のアイティケスの地方へ移住したとも伝えられることから、ケンタウロスはアイニアネスの支族であったと推定される。[130]

 

6.7 ヘラクレスのエピュラ遠征

BC1237年、ヘラクレスは、テスプロティア地方へ遠征して、エピュラの町を占領した。[131]

ヘラクレスの遠征に参加したイアソンの子フェレスは、エピュラの町に住んだ。[132]

ラエルテスの子オデュッセウスがエピュラの町を訪問したとき、フェレスの子メルメロスの子イロスが町を治めていた。[133]

 

6.8 イタリアからの移住

BC1200年、イタリア半島北東部のラウェンナの町に住んでいたペラスゴイ人は、テュレニア人に追われて、テスプロティア地方へ移住した。[134]

彼らは、BC1390年にテッサリア地方からラウェンナの町へ移住した人々の後裔であった。[135]

 

6.9 テッサリアへの移住

BC1186年、ヘラクレスの後裔に率いられたテスプロティア人がテッサリア地方に攻め込んだ。[136]

アカイア人、ペッライボイ人、マグネシア人は、テスプロティア人と戦ったが敗れた。[137]

ペッライボイ人、マグネシア人は、ペネスタイ(農奴)としてテスプロティア人に従属して住み続けた。[138]

ポキス人は、テスプロティア人がテッサリア地方から侵入するのを防ぐために城壁を造った。[139]

 

7 モロットイ (エペイロス)

7.1 テッサリアやトロアスからの移住

BC1186年、アキレスの子ネオプトレモスはトロイからテッサリア地方へ帰らず、モロッソス人の地へ移住した。[140]

ネオプトレモスには、プリアモスの子ヘレノス、ヘクトールの妻アンドロマケ、それにヘクトールの息子たちがトロアス地方から同行した。[141]

ネオプトレモスの居住地は、ドドナ北東の湖 (現在のパンブォティス湖)近くのイオアッニナ平原であった。[142]

ネオプトレモスと共にプリアモスの子カオンもトロイ人を率いてモロッソス人の地へ移住した。カオンの部族は、カオニア人と呼ばれた。[143]

カオニア人は、エペイロス人の14種族の一つで、モロッソス人と共に大勢力であった。[144]

ミュルミドン族の後裔が住む町は、BC167年、ローマ軍によって略奪され、住民は奴隷として売られた。[145]

 

7.2 トロアスへの移住

BC1170年、ヘクトールの息子たちが成人すると、プリアモスの子ヘレノスは彼らに軍勢を与えて、イリオンの町を攻撃させた。ヘクトールの息子たちは、アンテノールの息子たちが占拠していたイリオンの町を奪還した。[146]

この時、多くのトロイ人が小アジアへ移住した結果、カオニア人がモロッソス人より勢力が弱くなった。ストラボンは、最初、カオニア人がモロッソス人より勢力が強かったが、後に、モロッソス人の勢力が強くなったと述べている。[147]

 

7.3 小アジアへの移住

BC1156年、ネオプトレモスの子ペルガモスは、母アンドロマケを連れて、エペイロスから小アジアへ移住してペルガモンの町を創建した。[148]

ペルガモンの町は、アンドロマケが生まれたテーベの町のすぐ近くにあった。

 

8 イベリア

8.1 ヘラクレイアの創建

BC1400年、マケリスは、エジプトのカノープスの町から地中海の西の外れへ移住して、ヘラクレイア (後のカルペ、現在のアルヘシラス付近)の町を創建した。[149]

ヘラクレイアの町の近くにあるカルペ山は、ヘラクレスの柱の北側の柱であった。[150]

マケリスは、エジプト人 ヘラクレス、または、フェニキアの ヘラクレスと呼ばれ、ヘラクレイアの町で死んだ。[151]

 

8.2 サルドへの移住

BC1240年、ゲリュオネス (または、ゲリュオン)の娘エリュテイアの子ノラクスは、サルド島へ移住して、島の南端に最古の町ノラ (現在のプラ岬付近)を創建した。[152]

ノラクスは、マケリスの後裔であったと推定される。[153]

ノラクスの出身は、ヘラクレイアの町の北西のバエティス (古くはタルテッソス、現在のグアダルキビル)川を中心としたタルテッソス地方であった。[154]

バエティス川の河口付近のガデイラ (現在のカディス)の町および向かい合う島はまとめてエリュテイアと呼ばれていた。ノラクスの祖父ゲリュオネスは、エリュテイアで牛を飼っていた。[155]

ノラの町は、マケリスの子サルドスの入植地のすぐ近くにあった。[156]

 

おわり

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