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第44章 アテナイ人の系譜

Create:2025.10.30, Update:2026.2.16

1 はじめに

BC1750年、パルナッソス山の北を流れるケピソス川の上流で大洪水が発生した。オギュゴスに率いられたエクテネスは、ケピソス川の下流へ移住して、コパイス湖の南東に定住した。[1]

オギュゴスは、アテナイ人の先祖であった。[2]

BC1580年、エクテネスは、ヒュアンテスなどの他の部族によって圧迫されて、一部の人々を残して、テッサリア地方やエジプトへ移住した。

また、多くのエクテネスは、アッティカ地方へ移住したと思われる

BC1465年、テッサリア地方から逃れて来たヘレンの子クストスは、アッティカ地方北東部に散らばって居住していた人々を集めて、4つの町を建設した。[3]

 

2 アルゴスからエレウシスへの移住

BC1580年、アルゴスの町のヘラ神殿の巫女カリテュイアの息子で、密儀祭司のトロキロスが、アルゴスの町からエレウシスの町へ移住した。彼は、エレウシスにヘラ神殿で行われていた祭儀を持ち込んだ。[4]

 

3 エジプトからアッティカへの移住 (ケクロプス)

BC1562年、ケクロプスは、エクテネスを率いて、エジプトのサイスの町からアッティカ地方へ移住した。[5]

ケクロプスは、BC1580年にコパイス湖の近くからエジプトへ移住したエクテネスの指導者の息子であった。ケクロプスは、2つの言葉を話し、「ディファイエス」と呼ばれた。[6]

ケクロプスの移住は、津波によって居住地を失ったことが原因で、ケクロプスは、多くの人々と共に移住して来たと推定される。

 

3.1 アテナイの創建

BC1561年、ケクロプスは、ケクロピア (後のアテナイ)の町を創建し、初代アテナイ王になった。[7]

ケクロピアの前は、アクテ、あるいは、アクティカと呼ばれていた。[8]

しかし、次の伝承があることから、ケクロプスの時代から、アテナイという呼び名も存在していたと推定される。

1) ケクロプスは、アテナ女神にちなんでその都市をアテナイと名付けた。[9]

2) アテナは、エジプトでは、サイスと呼ばれていた。[10]

3) ケクロプスは、ボイオティア地方にアテナイの町を創建した。[11]

つまり、アテナイ人は、アッティカ地方のケクロピアで誕生した。

 

4 エジプトからアッティカへの移住 (クラナオス)

BC1515年、クラナオスはペラスゴイ人を率いて、エジプトからアッティカ地方へ移住した。[12]

BC1511年、クラナオスは、第2代アテナイ王になり、ペラスゴイ人は、クラナオイ人と呼ばれるようになった。[13]

 

4.1 テッサリアからアテナイへの移住

BC1510年、デウカリオーンの子アンピクテュオンは、テッサリア地方からアテナイの町へ移住して、クラナオスの娘と結婚した。[14]

アンピクテュオンは、クラナオスの跡を継いで、第3代アテナイ王に即位した。[15]

 

5 エジプトからアッティカへの移住 (エリクトニオス)

BC1492年、クラナオスの娘アッティスの子エリクトニオスは、ペラスゴイ人を率いて、エジプトからアテナイの町へ移住した。[16]

エリクトニオスは、アンピクテュオンの跡を継いで、第4代アテナイ王に即位した。[17]

 

6 テッサリアからアッティカへの移住

BC1470年、ヘレンの子クストスは、彼の兄弟たち、アイオロスやドロス、によって、テッサリアから追い出されて、アッティカ地方へ移住して来た。[18]

クストスは、アッティカ地方北東部にテトラポリス (オイノエ, マラトン, プロバリントス, トリコリュントス)を創建した。[19]

 

6.1 アイギアロスへの移住

BC1442年、クストスは、アッティカ地方からアイギアロス (後のアカイア)地方へ移住した。[20]

アイギアロス地方へ移住したアテナイ人は、アカイア人やイオニア人に名前を変えた。

アカイア人の系譜については、『アカイア人の系譜』で記述する。

イオニア人の系譜については、『イオニア人の系譜』で記述する。

 

7 エウモルポスの侵入

BC1415年、エウモルポスがアッティカ地方に攻め込み、アテナイ人はボイオティア地方のタナグラの町近くに住んでいたゲピュライオイのもとへ避難した。[21]

 

7.1 ボイオティアからアテナイへの移住

この出来事が縁で、第6代アテナイ王エレクテウスは、プラクシテアと結婚した。[22]

BC1392年、プラクシテアと共に、タナグラの町周辺に住んでいたゲピュライオイがアテナイの町へ移住して来た。[23]

 

7.2 テッサリアからエレウシスへの移住

戦いの後、エウモルポスは、エレウシスの町に定住した。[24]

エウモルポスと共にエレウシスの町へ移住して来た人々は、テッサリア地方に住んでいたペラスゴイ人であったと思われる。

 

7.3 アイギアロスからアッティカへの移住

アテナイ人に加勢して、アテナイ人と戦ったクストスの子イオンは、イオニア人を率いて、アイギアロス地方からアッティカ地方のポタモイの町へ移住して来た。

 

7.4 アッティカからアイギナへの移住

アッティカ地方のオイノエの町の住人は、アイギナ島へ移住した。[25]

 

8 トラキアへの移住

BC1390年、アテナイの町から、ボレアスが移民団を率いて、サモトラケ島向かいのトラキア地方へ移住した。[26]

ボレアスは、ヘブロス川を遡上し、支流のレギニア川を遡った所に定住した。[27]

また、エウモルポスの子ケリュクスは、エレウシスの町からタソス島の向かい側のトラキア地方へ移住した。[28]

 

8.1 トラキアから黒海西岸への移住

BC1365年、ボレアスの息子たち、ゼテスとカライスは、トラキア地方から黒海西岸へ移住した。[29]

そこは、後に、アレクサンドロス大王がトラキア地方へ遠征したときに、トリバッロイ人が逃げ込んだ川の中に浮かぶ島であった。その島は、黒海西岸に注ぐイステル (現在のドナウ)川の7つの河口のうち、一番大きい聖なる口と呼ばれる河口から22km遡上した所にあった。その島は、周囲が崖になっていて、ペウケという名前で呼ばれていた。[30]

ボレアスの後裔は、アテナイ人からヒュペルボレオス人に名前を変えた。

 

8.2 トラキアからエレウシスへの移住

BC1350年、エウモルポスの子ケリュクスは、トラキア地方からエレウシスの町へ移住した。[31]

BC1315年、キオネの子エウモルポスは、祭儀を継承するため、トラキア地方からエレウシスの町へ移住した。[32]

 

9 ケクロプスとパンディオン時代の内紛

第6代アテナイ王エレクテウスの息子たちの間で、争いが生じて、アテナイの町から各地への移住があった。

BC1360年、エレクテウスの子パンドロスは、エウボイア島へ移住して、カルキスの町を創建した。[33]

BC1320年、エレクテウスの子ケクロプスは、エウボイア島へ移住した。[34]

BC1320年、ケクロプスの子キュクレウスは、サラミス島へ移住した。[35]

BC1320年、ケクロプスの子スキュリオス (または、キロン, ケイロン)は、スキュロス島へ移住した。

スキュリオスは、アイゲウスの実父であり、スキュロス島には、アイゲウスの領地があった。[36]

BC1318年、パンディオンは、メガラの町のクレソンの子ピュラスのもとへ移住して、彼の娘ピュリアと結婚した。[37]

BC1312年、パンディオンは、妻ピュリアの父ピュラスの助力を得てアテナイの町へ帰還して、第8代アテナイ王に即位した。

BC1295年、パンディオンは、メティオンの息子たちによってアテナイの町を追われて、メガラの町へ亡命した。[38]

BC1285年、アイゲウスは、メガラの町からアテナイの町へ帰還して、エレクテウスの子メティオンの息子たちを追放した。[39]

 

10 アイゲウス時代の内紛

アイゲウスと、義兄弟たちとの間の争いが起こり、パンディオンの息子たちは、つぎのように各地へ移住した。

BC1277年、パンディオンの子リュコスは、リュキア地方へ移住した。[40]

BC1277年、パンディオンの子オルネウスは、アルゴス地方のプリウスの町の近くへ移住して、オルネアイの町を創建した。[41]

BC1277年、パンディオンの子オイネウスの子ペテウスは、アッティカ地方のスティリアの町からポキス地方へ移住してスティリスの町を創建した。[42]

BC1277年、ペテウスの兄弟と思われるレバドスは、ボイオティア地方のミデイアの町へ移住し、町はレバデイアと呼ばれるようになった。[43]

BC1277年、パンディオンの子テウトラントスは、ボイオティア地方へ移住してテスピアイの町を創建した。[44]

また、アルカディア地方へ移住して、カピュアイの町に住み着いた人々もいた。[45]

BC1277年、パンディオンの娘プロクリスの夫ケパロスは、ケパレニア島へ移住した。[46]

ケパロスと共に移住したアテナイ人は、ケパレニア人に名前を変えた。

BC1262年、パンディオンの子カルマノールと彼の息子エウブロスは、クレタ島西南部のタッラの町へ移住した。[47]

BC1230年、エウブロスとアカカリスの息子オアクソスは、タッラの町からイダ山の近くへ移住して、オアクソスの町を創建した。[48]

BC1230年、エウブロスとアカカリスの息子アンピュテミスは、クレタ島からリビュアへ移住した。[49]

 

11 エウボイアへの移住

BC1280年、スキュリオスの子カリュストスは、スキュロス島からエウボイア島南東部へ移住して、カリュストスの町を創建した。[50]

スキュリオスは、第9代アテナイ王アイゲウスの実父であり、第7代アテナイ王ケクロプスの息子と推定される。[51]

 

11.1 エウボイアからデロスへの移住

BC1245年、カリュストスの子ペトラエウスの子ザレクスは、カリュストスの町からデロス島へ移住した。[52]

デロス島のアポロ神殿の建立者は、初代アテナイ王ケクロプスの息子エリュシクトンであった。[53]

ザレクスは、アテナイ王の血筋にあり、ザレクスは、デロス島のアポロ神殿の神官であったと推定される。

 

12 クレタへの移住

BC1265年、メティオンの子エウパラモスの子ダイダロスは、アイゲウスに追われて、アテナイの町からクレタ島へ移住した。[54]

 

12.1 クレタからイタリアへの移住

BC1235年、ダイダロスの子イアピクス率いる移民団は、クレタ島からイタリア半島東南部へ移住した。[55]

イアピクスが入植した地方はイアピュギア、住民はイアピュギア人 (または、イアピュゲス)と呼ばれた。[56]

 

12.2 クレタからマケドニアへの移住

BC1235年、ダイダロスの息子と思われるボットン率いる移民団は、クレタ島からマケドニア地方へ移住して、ボッティアイア人に名前を変えた。[57]

ボットンの移民団の中には、アテナイの町から貢物として、ミノスのもとへ送られた若者たちの子孫が含まれていた。[58]

 

13 トロイゼンからの移住

BC1262年、アイゲウスは、トロイゼンの町からアテナイの町へ帰還した。アイゲウスの帰還には、ピッテウスの兄トロイゼンの2人の息子たち、アナプリュストスとスペットスが協力した。彼らの名前に因んだ2つの町がアッティカ地方に創建された。[59]

 

14 クレタからの移住

BC1241年、テセウスは、ミノスの娘パイドラを妻に迎えた。[60]

パイドラと共に、彼女の姉アリアドネの子ケラモス率いるクレタ人がアテナイの町へ移住した。ケラモスは、ケラメイコス区の名祖となった。[61]

クレタ島の陶器作りの技術がアテナイの町に持ち込まれ、ケラメイコス区は、陶工たちの街と呼ばれるようになった。[62]

 

15 トラキスからの移住

BC1218年、ヘラクレイダイは、トラキスの町からアッティカ地方のトリコリュトスの町へ移住した。[63]

 

15.1 アッティカからドーリスへの移住

BC1211年、ヘラクレイダイは、トリコリュトスの町からドーリス地方へ移住した。[64]

 

16 サルドへの移住

BC1216年、イピクレスの子イオラオスに率いられたアテナイ人は、サルド島へ移住して、オグリュレの町を創建した。[65]

 

17 トロイ戦争時代

17.1 メロスへの移住

BC1188年、アテナイ人は、アカイア人によるトロイ遠征に参加した。

BC1186年、エウボイア島のカルキスの町へ亡命していたテセウスの息子たち、デモポンとアカマスがアテナイの町へ帰還して、アテナイ人を掌握した。

第11代アテナイ王メネステオスは、メロス島へ逃れて、その島で死んだ。[66]

 

17.2 ボイオティアからの移住

BC1188年、トラキア人に追われたオルコメノス人は、ボイオティア地方のオルコメノスの町からアテナイの町へ逃れて来た。[67]

BC1126年、オルコメノス人は、アテナイの町からボイオティア地方のオルコメノスの町へ帰還した。[68]

 

17.3 テッサリアからの移住

BC1186年、テッサリア地方へテスプロティア人が侵入した。彼らに追い出されたギュルトンの町のイクシオンの子ペリトウスの後裔が率いるラピタイは、アテナイの町へ移住して来た。[69]

 

17.4 トロイへ遠征したアテナイ人

BC1186年、トロイへ遠征したアテナイ人は、戦いに敗れて、各地へ移住した。

アテナイ人の一部は、イタリア半島南部のスキュレティオンの町へ移住した。[70]

また、アイオリス地方のキュメの町近くのエライアの町へ移住したアテナイ人もいた。[71]

テラモンの子アイアスに率いられて、メガラの町から遠征に参加した人々は、テストールの子カルカスに率いられて、パンピュリア地方へ移住して、セルゲの町を創建した。[72]

アイアスが率いた人々は、第8代アテナイ王パンディオンの時代からメガラの町に住んでいたアテナイ人であった。メガラの町は、パンディオンから彼の息子ニソスへ、ニソスからペロプスの子アルカトオスへ、アルカトオスからアイアスに継承された。

 

18 トロイ戦争より後の時代

18.1 メガラからの移住

BC1173年、アイアスの息子たち、ピライオスとエウリュサケスは、メガラの町からアッティカ地方のブラウロンの町とメリテの町へ移住した。[73]

 

18.2 ボイオティアからの移住

BC1126年、ボイオティア人に追い出されたペラスゴイ人は、ボイオティア地方からアテナイの町へ逃れて来た。[74]

BC1115年、ペラスゴイ人は、アテナイ人に追い出されて、レムノス島へ移住した。[75]

 

18.3 メッセニアからの移住

BC1111年、ヘラクレイダイに追い出されたアイオリス人は、アンドロポンポスの子メラントスに率いられて、メッセニア地方からアテナイの町へ移住して来た。[76]

 

18.4 アカイアからの移住

BC1102年、アカイア地方に住んでいたイオニア人は、アカイア人によって追い出されて、アテナイの町へ移住した。[78]

 

18.5 エウボイアへの移住

BC1085年、クストス (または、イオン)の息子たち、コトス、アイクロス、エロプスは、アテナイ人を率いて、アテナイの町からエウボイア島へ移住した。

コトスは、カルキスの町へ移住して、新しいカルキスの町を創建した。[79]

アイクロスは、エレトリアの町を創建した。[80]

エレトリアの町への移住者の中には、ゲピュライオイ (フェニキア人)も含まれていた。[81]

ゲピュライオイは、後にアッティカ地方のアピドナの町へ再移住した。[82]

エロプスは、アテナイの町からエウボイア島北部へ移住して、エロピアの町を創建した。[83]

 

18.5.1 エウボイアからキオスへの移住

BC1075年、クストス (または、イオン)の息子と思われるアンピクロスは、ヘスティアイアの町からキオス島へ移住した。[84]

 

18.6 メガラからの移住

BC1074年、メガラの町に住んでいたアテナイ人は、ドーリス人に追い出されて、アッティカ地方へ移住した。[85]

 

19 アテナイ人の居住地の広がり

BC1561年、アテナイ人は、アッティカ地方で誕生した。

BC1415年、アッティカ地方に住んでいたアテナイ人は、アイギナ島へ移住した。

BC1390年、アッティカ地方に住んでいたアテナイ人は、トラキア地方へ移住し、一部は、そこから、黒海西岸へ移住して、ヒュペルボレオス人に名前を変えた。

BC1360年、アッティカ地方に住んでいたアテナイ人は、エウボイア島へ移住した。

BC1320年、アッティカ地方に住んでいたアテナイ人は、サラミス島、スキュロス島、メガラの町へ移住した。

BC1277年、アッティカ地方に住んでいたアテナイ人は、アルゴス地方、ボイオティア、ポキス、アルカディア、リュキア地方、クレタ島へ移住した。

BC1277年、アッティカ地方に住んでいたアテナイ人は、ケパレニア島へ移住して、ケパレニア人に名前を変えた。

BC1245年、エウボイア島に住んでいたアテナイ人は、デロス島へ移住した。

BC1235年、クレタ島に住んでいたアテナイ人は、イタリア半島、マケドニア地方へ移住した。

BC1230年、クレタ島に住んでいたアテナイ人は、リビュアへ移住した。

BC1186年、アッティカ地方に住んでいたアテナイ人は、アイオリス地方、メロス島、イタリア半島へ移住した。

BC1186年、メガラの町に住んでいたアテナイ人は、パンピュリア地方へ移住した。

BC1173年、メガラの町に住んでいたアテナイ人は、アッティカ地方へ移住した。

BC1074年、メガラの町に住んでいたアテナイ人は、アッティカ地方へ移住した。

 

20 ギリシア暗黒時代

20.1 アテナイの住民構成

ギリシア暗黒時代のアテナイの町の住人の60パーセントは、エクテネスに起源を持つアイオリス人やイオニア人、30パーセントのペラスゴイ人、その他の種族(ゲピュライオイやクレタ人など)は、10パーセントであったと推定される。

 

20.2 アテナイ人の居住地

アテナイ人の大部分は、アッティカ地方に住んでいた。

アテナイ人は、ボイオティア地方、エウボイア島、デロス島、クレタ島、サルド島、イタリア半島、トラキア地方、黒海西岸、アイオリス地方、パンピュリア地方、リビュアにも住んでいた。

アテナイ人から名前を変えたボッティアイア人が、マケドニア地方に住んでいた。

アテナイ人から名前を変えたケパレニア人が、ケパレニア島に住んでいた。

 

おわり

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