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第55章 ギリシアの河神

Create:2025.10.30, Update:2025.10.30

1 Achelous川

古代ギリシア世界に、Asopusと呼ばれた川が少なくとも2つあった。

1) AcarnaniaのAchelous川

Acarnania地方のAchelous川は、Pindus山脈に発し、Ionian SeaのEchinades諸島近くへ注いでいる。[1]

このAchelous川は、Acarnania地方とAetolia地方の境界になっていた。[2]

2) ThessalyのAchelous川

Thessaly地方のAchelous川は、Lamiaの町の近くのParacheloitaeと呼ばれる土地を流れて、Spercheius川に合流する。[3]

 

1.1 Achelous河神の娘Peirene

Corinthの町の外港の名前は、LechesとCenchriasに因んで名付けられた。彼らはPoseidonとAchelous河神の娘Peireneとの息子たちであった。[4]

Peireneの父はOebalusであり、Achelous河神は、Oebalusであった。[5]

そのOebalusは、Spartaの町のOebalusとも思われるが、Spartaの町の近くにAchelous川は流れていない。

Spartaの町のOebalusの他に、Heracles率いるEphyra遠征隊に追われて、Acarnaia地方からItaly半島のNeapolis 近くのCapreaeへ移住したTelonの子Oebalusがいる。[6]

Ephyra遠征には、Corinthの町のJasonも同行した。[7]

Jasonは、SisyphusにCorinthの町を継承させるとともに、彼の娘Corcyraを妻に娶った。[8]

Jasonは、さらに、Sisyphusの子Ornytionを遠征に参加させたものと推定される。[9]

Ornytionは、その遠征で、Oebalusの娘Peireneを得て、妻にした。[10]

Telonの子Oebalusは、Acarnania地方のTaphos島に住んでいたが、その地方の代表的な川は、Achelous川であった。[10-1]

 

1.2 Achelous河神の娘Eurymedusa

Myrmidonの母は、Achelous河神の娘Eurymedusaであったと伝えられている。[11]

別な伝承によると、Myrmidonの母Eurymedusaは、Cletor (or Clitor)の娘であった。[12]

したがって、Eurymedusaの父Achelous河神は、Cletor (or Clitor)であった。

 

2 Alpheius川

Alpheius川は、Arcadia地方に発し、Ladon川やErymanthus川を受け入れて、Eleia地方のPisaの町やOlympiaの近くを流れて、Ionian Seaへ注いでいる。[13]

 

2.1 Alpheius河神の子Ortilochus

Dioclesの父Ortilochusの父は、Alpheius河神であった。[14]

Ortilochusは、祖父Pharisが創建したMessenia地方のPharaeの町に住んでいた。[15]

Ortilochusは、Messenia地方に住んでいたが、その地方にAlpheius川はなかった。

 

2.1.1 Ortilochusの母

Ortilochusの母は、Pharisの娘Telegoneであった。Pharisは、Danausの娘Phylodameiaの息子で、Messenia地方にPharaeの町を建設した。[16]

Pharisの兄弟Pharesは、Achaia地方にPharaeの町を創建した。[17]

系図を作成すると、Phylodameiaの夫は、Pharaeの町の近くにあるAroe (後のPatrae)の町に住んでいたAegyptusの子Eumelusと推定される。[18]

Ortilochusの母Telegoneは、Achaia地方の出身であったが、その地方にAlpheius川はなかった。

 

2.1.2 Alpheius川近くの有力者

Ortilochusの父が、Alpheius河神と呼ばれたのは、Ortilochusが生まれた頃、彼の父がAlpheius川の近くに住んでいて、その地方の有力者であったからと思われる。

Ortilochusが生まれた頃、Alpheius川の近くには、OlympiaとPisa、それにHarpinaの町があった。

Elisの町のEndymionがCardysの子Clymenusを追い出した後、Olympiaの町に有力者は住んでいなかった。[19]

Pisaの町には、Perieresの子Pisusが住み、Harpinaの町には、Alxionの子Oenomausが住んでいた。[20]

 

2.1.3 推定

以上のことから、つぎのように推定される。

 

2.1.3.1 Telegoneの結婚

Elisの町の創建者Aethliusの兄弟Perieresの息子Pisusは、さらに南のAlpheius河畔にPisaの町を創建した。[21]

Pisusは、Messenia地方のPharaeの町からPharisの娘Telegoneを妻に迎えたと推定される。[22]

Pisusの父Perieresは、Thessaly地方のArneの町からPeloponnesus北西部へ移住して、Olenusの町に住んでいた。[23]

Pisusは、Pisaの町を創建する前、Achaia地方のOlenusの町に住んでいた。

一方、Telegoneは、彼女の父PharisがMessenia地方へ移住する前、Achaia地方のAroeの町に住んでいた。

Olenusの町は、Aroeの町から約13kmの距離にあり、PisusとTelegoneは、PisusがPisaの町を創建する前から縁があったと推定される。

 

2.1.3.2 Messeniaへの移住

Pisaの町に住むPisusとTelegoneには、息子Ortilochusが生まれた。[24]

その後、Pisaの町からAlpheius川を少し遡った所にあるHarpinaの町のOenomausは、Pisaの町を攻めた。Pisusは死に、TelegoneはOrtilochusを連れて、彼女の父Pharisが住むMessenia地方のPharaeの町へ移住した。[25]

以上のことから、Ortilochusの父Alpheius河神は、Perieresの子Pisusと推定される。

 

3 Asopus川

古代ギリシア世界に、Asopusと呼ばれた川が少なくとも5つあった。

1) SicyonのAsopus川

Phlius地方のCarneates山に源を発して、Aegialea (後のSicyon)の東側を南から北へ流れて、Corinth湾へ注いでいる。[26]

2) BoeotiaのAsopus川

Boeotia地方のAsopus川は、Thebesの町やPlataeaeの町の近くを流れ、Tanagraの近くで海へ注いでいる。[27]

3) LocrisのAsopus川

Locris地方のAsopus川は、Trachisの町の南を流れ、Pylaeの外側にある海へ注いでいる。[28]

4) AeginaのAsopus川

Aegina島に、the waters of the Asopusがある。[29]

5) ParosのAsopus川

Paros島内にAsopus川がある。[30]

 

3.1 SicyonのAsopus河神

3.1.1 Asopus河神の娘Ismene

Asopus河神の娘Ismene は、Argusとの間に、息子Iasusを産んだ。[31]

系図上、Argosの町のPhorbasの子Argusの妻Ismeneは、BC1615年頃の生まれである。

その頃、Asopus川の流れるAegialea (後のSicyon)を支配していた、Ismeneの父に見合う人物は、Aegydrus (or Aegyrus)の子Thurimachusである。Thurimachusは、伝承に残るSicyonの最古のAsopus河神であった。[32]

 

3.1.2 Asopus河神の娘Harpine

Asopus河神の娘Harpineは、Oenomausの母であった。[33]

Oenomausの娘Hippodameiaは、Pelopsの妻であることから、Harpineの父は、Pelopsの祖父と同時代であった。[34]

Oenomausの父Alxionは、Arcadia地方西部に創建したHeraeaの町に住んでいた。Heraeaの町は、Alxionの父Oenomausの父Heraeeusによって創建された。Heraeeusは、Pelasgusの子Lycaonの息子であった。[35]

Harpineの夫Oenomausが住むHeraeaの町から一番近いAsopus川は、Sicyonの町を流れるAsopus川である。当時、Sicyonの町を治めていたのは、Epopeusであった。

したがって、Harpineの父Asopus河神は、Epopeusであったと推定される。

Epopeusの妻Metopeの父は、Thebesの町のすぐ東側を流れる川に名前を与えたLadonであったと思われる。[36]

Harpineが嫁いだHeraeaの町の近くを流れるLadon川は、Harpineの母Metopeの父の名前に因んで名付けられたと推定される。[37]

 

3.1.3 Asopus河神の娘Sinope

3.1.3.1 伝承

Asopus河神の娘について、次の伝承がある。

1) Apolloの子SyrusとAsopus河神の娘Sinopeとの後裔は、黒海南岸のSinopeの町の住人だった。[38]

2) SicyonのAsopus河神の娘Sinopeは、ApolloにさらわれてSinopeの町に連れて来られて、息子Syrusが生まれた。[39]

3) Asopus河神の娘Sinopeは、不本意ながらも祖国から送り出されて、彼女の名前を付けた町に住んだ。[40]

 

3.1.3.2 Sinopeの創建

Sinopeの町の名前は、Amazonsの一人の名に因んで名付けられたとの説もある。[41]

しかし、Amazonsが住んでいたThermodon川の近くにAsopus河神の娘Sinopeに因んで名づけられたとする説の方が妥当と思われる。[42]

Sinopeの町の創建者はThessaly地方のTriccaの町のDeimachusの子Autolycusだと伝えられている。[43]

Autolycusが町を作る以前の住人は、Asopus河神の娘Sinopeの子孫であったと伝えられる。したがって、Asopus河神の娘Sinopeは、Autolycusより前の時代の人物である。[44]

 

3.1.3.3 Sinopeに関係したAsopus川

Sisyphusの子Aeetesは、Corinthの町から黒海東岸のColchis地方へ入植した。[45]

Sisyphusの子Aloeusの子Epopeusは、Sicyonの町に住んで、Corinthの町をも支配していた。[46]

Sicyonの町の近くをAsopus川が流れており、Sinopeの町は、Corinthの町からColchis地方へ行く途中にあった。

 

3.1.3.4 Sinopeの夫

Aeetesの娘Chalciope (or Iophossa, Euenia)は、Athamasの子Phrixusと結婚し、息子Cytissorus (or Cylindrus, Cytisorus, Cytorus)が生まれた。[47]

Cytissorusの兄弟Presbonは、ColchisからBoeotia地方へ移住して、彼の祖父Athamasの跡を継いだ。Presbonの子Clymenusは、Orchomenus王になった。[48]

Cytissorusは、Colchisから黒海南岸の中ほどにCytorusの町を創建した。[49]

Cytorusの町とSinopeの町とは関係が深かった。[50]

Cytissorusは、Corinthの町とSinopeの町の両方に関係が深く、彼はSinopeの夫であったと思われる。

 

3.1.3.5 Sinopeの父Asopus河神

Cytissorusは、Corinthの町の創建者Sisyphusの曾孫であり、彼の妻Sinopeの父と同世代のSicyonの町の支配者はEpopeusであった。

つまり、Sinopeの父Asopus河神はEpopeusであり、SinopeとCytissorusは、Sisyphusを共通の曽祖父とする又従兄妹同士であった。

 

3.1.4 Asopus河神の娘Aegina

ZeusがAsopus河神の娘AeginaをPhliusの町からOenoneと呼ばれる無人島へ連れてきて、その島は、娘に因んでAegina島と呼ばれるようになった。[51]

Aeginaの夫は、Myrmidonの子Actorであり、彼女に息子Aeacusが生まれた。[52]

Aeginaの子Aeacusの2人の息子たち、PeleusとTelamonは、Argonautsの物語に登場する。[53]

Phlius地方に発するAsopus川が流れ込むSicyonの町のPolybusの娘Lysianassaの夫TalausもArgonautsの物語に登場する。[54]

つまり、Polybusの母Chthonophyleは、Aeginaと同世代になる。[55]

したがって、Aeginaの父Asopus河神は、Chthonophyleの父Sicyonと推定される。

 

3.1.5 Asopus河神の娘Salamis

Salamisは、Asopus河神の12人の娘の一人であった。[56]

Cychreusが、自分の母でAsopus河神の娘Salamisに因んで、この島にはじめて名を定め、後にTelamonに同行したAegina人が入植した。[57]

Asopus河神の娘Salamisの子Cychreusは、Salamis島を娘Glauceの婿Telamonに与えた。[58]

Telamonは、妻Glauceが死ぬと、Pelopsの子Alcathousの娘Eriboeaと結婚した。[59]

つまり、Glauceの父Cychreusの母Salamisは、Eriboeaの父Alcathousの父Pelopsと同世代であった。

Pelopsは、Thebesの町のOedipusの父Laiusと同世代であった。[60]

Oedipusは、Polybusの養子であったことから、Polybusは、LaiusやPelopsと同世代であった。[61]

したがって、Salamisの父は、Polybusの母Chthonophyleと同世代であった。Salamisが結婚した頃のAsopus川の流れるSicyonの支配者は、Chthonophyleの父Sicyonであり、Marathonの子SicyonがAsopus河神であったと推定される。[62]

 

3.1.6 Asopus河神の娘Corcyra

Asopus河神の娘Corcyraは、Poseidonによって、後に彼女の名に因んで名づけられたCorcyra島へ連れ去られ、Phaeaxを産んだ。[63]

Asopus河神の娘Corcyraは、Scheriaと呼ばれていた島の名前をCorcyra島に変えた。[64]

Jasonは、Corcyra島へ移住した。[65]

以上のことから、Corcyraの夫で、Phaeaxの父は、Jasonと推定される。Corcyraの父は、JasonがCorinthを託したAeolusの子Sisyphusで、Corcyraの父Asopus河神はSisyphusと推定される。Asopus川は、Corinthの町を流れてはいないが、PausaniasのCorinthの町の記述には、Asopus川しか登場せず、その地方で一番有名な川であった。[66]

 

3.1.7 Asopus河神の娘Nemea

Asopus河神の娘Nemeaは、Phliusの町とMycenaeの町の間にある町に、名前を与えた。[67]

Nemeaの町の支配者として、史料に最初に登場するのは、Lycurgusである。[68]

しかし、彼の父PronaxがArgosの町からその地へ移住して来て、Nemeaの町を創建したと推定される。[69]

Pronaxの移住は、彼の兄弟AdrastusがSicyonの町へ亡命した時期が同じであり、Argosの町の内紛が原因と推定される。[70]

そして、Pronaxの妻であり、彼の兄弟Adrastusの妻Amphitheaの母は、Pronaxが創建した町に名前を与えたNemeaであったと思われる。[71]

系図を作成すると、年代的にNemeaの父に最も相応しいのは、Corcyraと同じくCorinthの町の、Aeolusの子Sisyphusであった。

したがって、Nemeaの父Asopus河神は、Sisyphusと推定される。

 

3.1.8 その他

この他、SicyonのAsopus河神の娘と伝えられるのは、Cleone、Peirene、Asopis、Ornia、Chalcisがいるが、彼女たちの系譜については不明である。[72]

 

3.2 BoeotiaのAsopus河神

3.2.1 Asopus河神の娘Antiope

Asopus河神の娘Antiopeには、2人の息子たち、AmphionとZethusがいた。[73]

しかし、AmphionとZethusは、Nycteusの娘Antiopeの息子たちであったと伝えられている。[74]

したがって、Antiopeの父Asopus河神は、Hyrieus(or Chthonius)の子Nycteusであった。[75]

 

3.2.2 Asopus河神の娘Tanagra

Tanagraは、Asopus河神の娘であった。[76]

Tanagraの夫はPoemanderであり、Tanagraの父はAeolusであった。[77]

Poemanderは、Aethusaの子Eleutherの子Iasiusの子Chaeresilausの息子であった。[78]

Aethusaは、Amphion の母Antiopeの父Nycteusの父Hyrieusの兄弟であった。[79]

つまり、Poemanderの妻Tanagraは、Amphionの娘Chlorisと同時代であった。

したがって、Tanagraの父Aeolusは、Chlorisの母Niobeの弟Pelopsと同時代の人物である。

Corinthの町を去るJasonが後継者にしたSisyphusの父もAeolusであった。[80]

このSisyphusの父Aeolusは、年代から見て、Tanagraの父Aeolusと同一人物と思われる。

それでは、このAeolusの父は誰であろうか。

彼の息子SisyphusがCorinthの町の支配者となっていることから、AeolusはCorinthの創建者Sisyphusの子孫と思われる。

Tanagraの夫Poemanderは、Eleutheraeの町に住んでいた。[81]

Eleutheraeの町は、Boeotia地方のAsopus川から南にCithaeron山を越えた所にある。

Tanagraの父Aeolusを推定するのに、次の手掛かりがある。

1) Aeolusは、Thessaly地方のAeolisに多い名前である。

2) Aeolusは、Pelopsと同時代にBoeotia地方に住んでいた。

3) Aeolusは、Corinthの町のSisyphusの後裔である。

以上のことを考慮すると、Tanagraの父Aeolusは、Sisyphusの子Aloeusの子Aloeusの子Otus兄弟と共にAscraの町を創建したAscraの子Oeoclusの息子と推定される。[82]

Ascraの町を創建後、町には、Ascraの子Oeoclusが住み、町の近くからAsopus川は東へ流れ出ていた。[83]

以上のことから、Tanagraの父Asopus河神は、Oeoclusの子Aeolusと推定される。

 

3.2.3 Asopus河神の娘Plataea

Plataeaは、Asopus河神の娘であった。[84]

Plataeaの姉妹Tanagraの夫Poemanderの父Chaeresilausの父Iasiusの父Eleutherは、Antiopeの夫と推定される。[85]

Antiopeの姉妹Nycteisの子Labdacusの子Laiusは、Plataeaの町のDamasistratusと同時代人であった。[86]

Damasistratusは、Plataeaの町の最初の住人として登場するが、恐らく、彼はPlataeaの町の創建者であったと思われる。

DamasistratusとLaiusとは関係があり、Laiusの父Labdacusは、Plataeaの町の近くのEutresisの町に住むAmphionとZethusの従兄弟であった。

Damasistratusは、Eleutherの子Iasiusの息子であったと思われる。[87]

Damasistratusの兄弟AmphionとZethusは、Eleutheraeの町からMt. Cithaeronを北に越えて、Thebesの町の西南西約14kmの所にEutresisの町を創建した。[88]

Damasistratusは、Eleutheraeの町からEutresisの町へ半分くらいの所へ移住して、彼の妻Plataeaの名前に因んだ町を創建したと思われる。[89]

したがって、Plataeaの父Asopus河神は、Tanagraと同じOeoclusの子Aeolusと推定される。

 

3.2.4 Asopus河神の娘Thespia (or Thespeia)

Asopus河神の娘Thespiaは、Boeotia地方のThespiaeの町に彼女の名前を与えた。

また、その町の名前はAthensの町から移住したErechtheusの後裔Thespiusに因むとも伝えられている。[90]

Erechtheusは、Athens王Pandionの別名であり、Thespiusは、Pandionの子Teuthrasの息子であった。[91]

これまでの推定により、Thespiaの姉妹Plataeaの夫Damasistratusは、Thebesの町のLaiusの同時代人であった。

Laiusの子Oedipusは、Heraclesと同時代のThespiusの同時代人であった。

つまり、Thespiusの父Teuthrasは、Laiusと同時代のThespiaの同時代人であった。

したがって、Teuthrasは、Thespiaの夫と推定される。

以上のことから、Thespiaの父Asopus河神は、Tanagraと同じOeoclusの子Aeolusと推定される。

 

3.2.5 その他

OeroeもBoeotia地方のAsopus河神の娘と伝えられているが、彼女の系譜については不明である。[92]

 

3.3 LocrisのAsopus河神

3.3.1 Asopus河神の娘Thebe

Thebesの町のAmphionの兄弟Zethusの妻Thebeは、Asopus河神の娘であった。[93]

Zethusの妻Thebeの人間としての父の名前を伝えている史料は、見つからない。

しかし、つぎのことから、Thermopylae近くのAntheiaの町に住むAmphictyonの子Physciusと推定される。

1) Physciusの子Locrusは、AmphionとZethusに協力した。

Locrusは、Antiopeの2人の息子たち、AmphionとZethusと共にThebesの町を築いたと伝えられる。[94]

LocrusがThebeの兄弟であったので、Locrusは、AmphionとZethusに協力したと思われる。

2) Thermopylae近くをAsopus川が流れていた。

Thebeは、SicyonのAsopus河神の娘たちと一緒に伝えられているが、Locris地方のAsopus河神の娘と思われる。[95]

3) Thebesの町のProetidian gateは、Proetusの名前に因んで名付けられた。

Physciusの妻Maeraの父は、Corinthの創建者Sisyphusの子Thersandorusの子Proetusであった。[96]

つまり、Proetusは、Zethusの妻Thebeの祖父であった。

以上のことから、Thebeの父Asopus河神は、Physciusと推定される。

 

4 Axius川

Axius川は、Paeonia地方に流れを発し、Chalastraの町とThermaの町の間を流れて、Thermaic Gulfに注いでいる。[97]

Axius川の河畔に、Amydon (後のAbydon)の町があったが、Macedoniansによって破壊された。[98]

 

4.1 Axius河神の子Pelegon

Asteropaeusの父Pelegonは、Axius河神とAcessamenusの長女Periboeaとの息子であった。[99]

Pelegon (or Pelegonus)の子Asteropaeusは、Paeoniansを率いてTroyに遠征した。[100]

また、Paeoniansを率いてTroyに遠征したPyraechmesは、Axiusの息子だと伝えられており、Pelegonの父Axius河神の人間としての名前も、Axiusであったと思われる。[101]

Pyraechmesは、Axius川近くのAmydonの町を支配していた。[102]

Asteropaeusは、Pyraechmesの甥であった。

 

5 Cephisus川

古代ギリシア世界で、Cephisusと名付けられた川が一番多く、少なくとも8つあった。

最初のCephisus川は、Greeks発祥の地Phocis地方からBoeotia地方へ流れ込んでいる。

そこから移住した人々が名づけたCephisus川が、Eleusis、Athens、Sicyon、Argosにあった。さらに、Athensの町からの移住者が名づけたCephisus川が、Scyros島、Salamis島にあった。また、Corinthの町やCorcyra島からの移住者が名づけたCephisus川が、Illyria地方のApolloniaの町にあった。[103]

 

5.1 Cephisus河神の子Eteocles

AndreusとAthamasの子Leuconの娘Euippe との間の息子Eteoclesは、Cephisus河神の息子であった。[104]

つまり、Eteoclesの父Cephisus河神は、Orchomenusの創建者Andreusであった。

 

5.2 Cephisus河神の娘Lilaea

Phocis地方西部のCephisus川源流付近の町に名前を与えたのは、Cephisus河神の娘Lilaeaであった。[105]

Lilaeaは、Cephisus河神の子Eteoclesの兄妹であり、Andreusの娘と推定される。

 

5.3 Cephisus河神の娘Daulis

Phocis地方東部の町に名前を与えたのは、Cephisus河神の娘Daulisであった。[106]

Daulisは、Cephisus河神の子Eteoclesの兄妹であり、Andreusの娘と推定される。

 

6 Enipeus川

古代ギリシア世界に、Enipeusと呼ばれた川が少なくとも2つあった。

1) ThessalyのEnipeus川

Thessaly地方のEnipeus川はOthrys山から発してPharsalusの町のそばを流れた後、向きを変えてApidanus川へ合流する。Apidanus川はPeneius川へ合流する。[107]

2) EleiaのEnipeus川

Eleia地方のEnipeus川は、Salmoneの町にある泉に発し、Olympiaの近くを流れるAlpheius川へ合流する。[108]

 

6.1 Enipeus河神の妻Tyro

Salmoneusの娘Tyroは、Enipeus河神に恋をした。[109]

Tyroの最初の夫は、Thessaly地方のPyllusの町に住むHippocoonであった。[110]

Salmoneusは、Enipeus川を挟んでPylusの町の対岸に住んでいたと思われ、TyroがHippocoonに嫁いだ後で、Eleia地方へ移住し、Salmoneの町を創建した。[111]

つまり、Tyroの夫Enipeus河神は、Pyllusの町のHippocoonであった。

Eleia地方のEnipeus川の名前は、Salmoneusと共に移住した人々が故郷の川の名を付けたものと思われる。[112]

 

7 Ladon川

古代ギリシア世界に、Ladonと呼ばれた川が少なくとも3つあった。

1) BoeotiaのLadon川

Phlius地方のAsopus河神の息子Ismenusは、Phlius地方からBoeotia地方へ移住した。Ladon川は、彼の名前に因んで、Ismenusと呼ばれるようになった。[112-1]

Ladonは、Ismenusの母Metope (or Melia)の父の名前であった。[112-2]

Ismenusと名前を変えたLadon川は、Thebesの町の近くを流れていた。[112-3]

2) EleiaのLadon川

Eleia地方のLadon川は、Heraclesに破壊されたPylusの町を通って、Peneius川に注いでいる。[112-4]

その川に名前を付けたのは、Boeotia地方からThessaly地方を経由して、Pylusの町へ移住したAmythaonの妻Aglaiaであった。Aglaiaは、Ladonの娘Metopeの子Tenerusの娘であった。[112-5]

3) ArcadiaのLadon川

Arcadia地方のLadon川は、Arcadia地方北部のClitorにその流れを発し、Heraeaの町の近くでAlpheius川に合流する。[112-6]

Heraeaの町に住むAlxionは、Sicyonの町からEpopeusの娘Harpina (or Harpine)を妻に迎えた。[112-7]

Ladonは、Harpinaの母Metopeの父の名前であった。[112-8]

 

7.1 Ladon河神の娘の子Evander

Evanderは、Arcadia地方のPallantiumの町から移民団を率いて、Italy半島中部のTiber川の近くへ移住した。[112-9]

Evanderの母は、Carmentaであった。[112-10]

Carmentaが住んでいたPallantiumの町の近くから流れを発するAlpheius川にEleia地方とArcadia地方の境界付近で、北から流れて来たLadon川が合流する。

Carmentaが結婚した当時、Ladon川近くのOnceium一帯は、Oncusが支配していた。[112-11]

Oncusは、Elisの町を攻めようとするHeraclesに雄馬一頭を提供した人物であった。[112-12]

Carmentaは、Heraclesと同世代であり、Oncusは、Carmentaの父、つまり、Ladon河神と推定される。

 

7.2 Ladon河神の娘Thelpusa

Arcadia地方西部のThelpusaの町は、Ladon河神の娘Thelpusaの名前に因んで名付けられた。[112-13]

Thelpusaの町は、Oncusが住んでいたOnceiumの町のすぐ近くにあった。[112-14]

Thelpusaも、Oncusの娘であり、Carmentaの姉妹であったと推定される。

 

8 Peneius (Peneus)川

古代ギリシア世界に、Peneiusと呼ばれた川が少なくとも2つあった。

1) ThessalyのPeneius川

Peneius川はPindus山脈にその流れを発し、東進してTempe渓谷を通って、Agean Seaへ注いでいる。[113]

Peneius川に名前を与えたPeneiusはCreusaとの間にHypseusとStilbeを生み、StilbeはApolloとの間にLapithesとCentaurusを生んだと伝えられている。[114]

2) EleiaのPeneius川

Peneius川はElisの町を流れ、Chelonatas岬近くで海へ注いでいる。[115]

この川の近くに初めて町を作ったのは、Thessaly地方のArneの町のAeolusの子Aethliusであった。[116]

Aethliusと共に移住した人々が、新天地の川に故郷の川の名前を付けたものと思われる。

 

8.1 Peneus河神の娘Menippe

Phrastorは、Argosの町からThessaly地方へ移住したLarissaの子PelasgusとPeneus河神の娘Menippeの息子であった。BC5世紀の歴史家LesbosのHellanicusが、『Phoronis』の中で伝えている系譜である。[117]

Diodorusが伝えているPeneius川の名祖より前の時代の系譜であり、Menippeの系譜は不明である。

 

8.2 Peneius河神の子Andreus

Peneius河神の子Andreusは、Andreis (後のOrchomenus)の町を創建した。[118]

BC3世紀の叙事詩人Apollonius of Rhodesは、『Argonautica』の中で、Orchomenusの建設者をAeolusの子Minyasと伝えている。[119]

Andreusの妻は、Hellenの子Aeolusの子Athamasの子Leuconの娘Euippeであった。

したがって、Andreusの父Aeolusは、Hellenの子Aeolusの子Mimasの子Hippotesの息子と推定される。[120]

つまり、Andreusの父Peneius河神は、Hippotesの子Aeolusであった。

 

8.3 Peneius河神の子Dryops

Dryopsは、Peneius河神とDanausの娘Polydoreとの間の子であり、彼らの子孫は、Dryopsと呼ばれ、Spercheius川の近くに住んだ。[121]

Aristotleは、DryopiansがSpercheius川の近くに住んでいたと伝えている。[122]

Danausの娘Polydoraが適齢期になった頃、Thessaly地方のPeneius川近くに住んでいたのは、Hellenの子Dorusを始祖とするDoriansであった。

Doriansの大部分は、Cadmus率いる大集団の移動に圧迫されて、Dorusに率いられて、Parnassus山とOeta山の間の地方へ移住した。

しかし、Peneius川近くに残っていた人々もいた。彼らの中には、Dorusの娘Iphthime一家もいた。Iphthimeには、3人の息子たち、Pherespondos、Lycos、Pronomosがいたが、その中の一人がDanausの娘Polydoreの夫となり、息子Dryopsが生まれた。[123]

Thessaly地方の北部に住むIphthimeの息子と、Argosの町に住むPolydoreの遠距離婚を可能にしたのは、Polydoreの姉妹ScaeaとAutomateと、Thessaly地方からArgosの町に移住して来たAchaeusの息子たちとの結婚であったと推定される。[124]

BC1435年、Xuthusの子Achaeusは、Aegialusの町からThessaly地方のPhthiotis地方のMelitaeaの町へ帰還した。[125]

BC1420年、Cadmus率いる大集団の移動に圧迫されて、Achaeusの2人の息子たち、ArchanderとArchiteles はAegialusの町へ移住して、Danausの娘たちと結婚した。[126]

彼らの結婚が、PolydoreとIphthimeの息子を結び付けたものと思われる。

つまり、Dryopsの父Peneius河神は、Iphthimeの3人の息子たち、Pherespondos、Lycos、Pronomosのうちのいずれかと推定される。

 

9 Spercheius川

Spercheius川は、Dryopia地方のTyphrestus山に流れを発し、Thermopylae近くでMaliac Gulfに注いでいる。[127]

 

9.1 Spercheius河神の子Menesthius

Menesthiusは、Spercheius河神の子だと伝えられている。[128]

Menesthiusの母は、Peleusの娘Polydoraであった。[129]

Polydoraの夫は、Perieresの子Borusであった。[130]

Menesthiusは、Perieresの子Borusの息子であった。[131]

つまり、Menesthiusの父Spercheius河神は、Perieresの子Borusであった。

 

10 Strymon川

Strymon川は、Paeonia地方に流れを発し、OdomantiとBisaltaeの居住地の中間を通って、Strymon湾に注いでいる。[132]

 

10.1 Strymon河神の子Rhesus

Troyへ遠征したRhesusは、Strymon河神とEuterpeの息子であった。[133]

Rhesusは、Strymon川下流に住むOdomanti、Edoni、Bisaltaeを支配していた。[134]

Rhesusの父Strymon河神の人間としての名前は、Eion (or Eioneus)であった。[135]

Eionは、Mygdonの子Bisaltesの息子と推定される。[136]

Mygdonは、TroyのLaomedonの時代に、Anatolia半島のMysia of OlympeneからStrymon川近くへ移住した。[137]

Mygdonが定住したMygdoniaは、後にEdoniが住んでいたが、Macedoniansによって居住地を追われた。[138]

 

おわり

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