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第59章 アガメムノンのマスクを付けて埋葬された人物

Create:2025.10.30, Update:2025.10.30

1 はじめに

1876年、Mycenaeの遺跡で「AgamemnonのMask」を付けて埋葬された人物がHeinrich Schliemannによって発見された。

その人物は、BC2世紀の年代記作者CastorがSicyoniansの王のリストの9人目に名前を記しているMessapusと思われる。

 

2 Sicyon王の系譜

2.1 第9代Sicyon王Messapus

CastorとAD2世紀の紀行作家Pausaniasは、Sicyon王の系譜を伝えている。[1]

Pausaniasは、概ね、Castorが記したSicyon王の系譜を参照している。

しかし、第7代Thurimachusから第10代Peratus (or Eratus)までの系譜については、Pausaniasは別の史料を参照しながら記述している。

Pausaniasは、Thurimachusの子Leucippusに息子がいなかったので、彼の娘Calchiniaの息子PeratusがLeucippusの跡を継いだと記している。[2]

しかし、Castorが作成したSicyon王のリストでは、Leucippusの次にMessapus、Messapusの次にEratusになっている。[3]

このことから、Messapusは、Leucippusの娘Calchiniaの夫であり、Peratus (or Eratus)の父であったと推定される。

 

2.2 第7代Sicyon王Thurimachusの娘

AD2世紀の著述家Apollodorosは、All-seeingと呼ばれたAgenorの子Argusが、Asopus河神の娘Ismeneと結婚したと伝えている。[4]

ArgusとIsmeneが結婚した当時、Asopus川が流れるSicyonの町の王は、Aegydrus (or Aegyrus)の子Thurimachusであった。[5]

つまり、Ismeneの父Asopus河神とは、Thurimachusであり、IsmeneはThurimachusの娘であったと推定される。[6]

 

2.3 Messapusの父

第9代Messapusは、第8代Leucippusの娘Calchiniaの夫として、義父の跡を継いだ。

しかし、Messapus本人もSicyon王の血筋に連なる者であったと推定される。

つまり、Messapusは、第7代Thurimachusの娘Ismeneの息子であったと思われる。

したがって、Messapusの父は、Agenorの子Argusと推定される。

 

3 SicyonとArgos

3.1 王位簒奪

BC1750年、Inachusの2人の息子たち、PhoroneusとAegialeusは、Argosの町とSicyonの町を創建した。[7]

AD5世紀の歴史家Orosiusは、Argos王PhoroneusとParrhasiansが、TelchinesとCaryatiiを相手に戦ったと伝えている。[8]

このTelchinesは、Castorが記している第3代Sicyon王Telchin (or Telchis)を始祖とする種族と推定される。[9]

Pausaniasは、Telchinが第2代Sicyon王Europsの息子だと記しているが、それであれば、Telchinesという種族名にはならない。

Phoroneusの息子たちの中にも、Europsという名前の息子がいることから、次のように推定される。[10]

初代Sicyon王Aegialeusが死んだとき、彼の跡を継ぐ者がなく、Aegialeusの兄弟Phoroneusは、自分の息子Europsを第2代Sicyon王にした。

Sicyonの町の有力者Telchinは、その措置に反発して、Telchinesを率いて、Phoroneusと戦った。Telchinは、Phoroneusに勝利し、Telchin自身が第3代Sicyon王になった。[11]

 

3.2 ApisによるSicyonの支配

BC1690年、Phoroneusの跡を継いでArgos王になったApisは、Sicyonの町を攻めて、Sicyonの町をArgosの町の支配下に置いた。[12]

Castorのリストでは、Apisは、第3代Argos王であると同時に、第4代Sicyon王としても記されている。[13]

Apisは、第2代Sicyon王Europsの兄弟であった。

Sicyonの町は、Phoroneusの子Apisによって、25年間統治された後で、再び、Telchinesの統治になった。[14]

 

3.3 Creteへの移住

BC1690年、ApisとTelchinesとの戦いで、戦いに敗れたTelchinの子Cresは、Crete島へ移住した。[15]

Cresが率いたTelchinesは、Crete島では、Eteocretansと呼ばれ、Cresは、Eteocretansの王であった。[16]

Telchinesは、Crete島で鉄を発見してIdaean Dactylsとも呼ばれるようになった。[17]

Telchinesは、金属加工の知識を持った種族であった。[18]

その後、Telchinesは、Rhodes島へも進出した。[19]

 

3.4 Sicyonの交易活動

BC1665年、Sicyonの町は、Argosの町の支配から独立した。[20]

その後、Sicyonの町とCrete島やRhodes島との間に交易が始まった。

Mycenaeの町は、Argolis湾とSicyonの町とを結ぶ要衝の地にあった。

BC1750年、Argosの町とSicyonの町が創建されたときに、Mycenaeの町も創建されていたと推定される。[21]

 

4 Argosの併合

4.1 Argosの内紛

BC1600年、Argosの町に住んでいたNiobeの子Argusの後裔の間で、争いが生じた。

Argusの子Criasusの子Phorbasは、Argusの子Peirasusの子Triopsから王位を簒奪した。[22]

Triopsに味方したArgusの子Ecbasusの子Agenorの子Argusは、Mycenaeの町へ移住して、町はArgionと呼ばれるようになった。[23]

Argusは、many-eyed、あるいは、All-seeingとも呼ばれ、先見の明がある優れた人物であった。[24]

 

4.2 MycenaeとSicyonの姻戚関係

Argusは、第7代Sicyon王Thurimachusの娘Ismeneを妻に迎えた。[25]

Argusの子Messapusは、第8代Sicyon王Leucippusの娘Calchiniaを妻に迎えた。[26]

Leucippusが死ぬと、Messapusは、第9代Sicyon王になり、Mycenae の町に住みながら、Sicyonの町をも統治した。[27]

 

4.3 Argosとの戦い

BC1560年、Argusの子Messapusは、Argosの町を攻め、Sicyonの町に住むTelchinesも攻撃に参加した。

Argosの町に住んでいたPelasgiansは、各地へ移住した。[28]

この戦いの後で、Messapusは、Arcadia地方に住むPelasgiansを除いて、Peloponnesus半島に住む人々の大半を支配することになった。

 

5 Mycenaeの黄金時代

BC12世紀初頭のAgamemnonの時代をMycenaeの町の黄金時代とするならば、Argusの子Messapusの時代は、第1回目の黄金時代であった。

Mycenaeの町は、それまで、Sicyonの町と交易があったCrete島やRhodes島の他に、Italy半島とも交易していたと推定される。

Italy半島へは、Niobeの子Pelasgusの子Lycaonの2人の息子たち、OenotrusとPeucetiusがArgosの町の内紛が原因で、BC1635年、人々を率いて、移住していた。[29]

OenotrusとPeucetiusの移住は、Tirynsの町を創建したArgusの子Tirynsや、Epidaurusの町を創建したArgusの子Epidaurusの移住と同時期であった。[30]

Tirynsの町やEpidaurusの町も、Italy半島と交易があったと推定される。

OenotrusとPeucetiusは、Messapusの父Argusの父Agenorの又従兄弟であった。

 

6 AgamemnonのMask

6.1 Maskを付けて埋葬された人物

Mycenae王Messapusは、Sicyon王でもあり、Argos王をも従える大王になった。

Mycenaeの遺跡から発掘された「AgamemnonのMask」を付けて埋葬された人物は、Argusの子Messapusと推定される。

 

6.2 Maskの製作者

Maskを作ったのは、鉱山技師であり、金属加工技術者でもあったIdaean Dactylsという名前を持つTelchinesであった。[31]

Telchinesは、Rhodes島の古い名前、Telchiniaに名前を与えた種族であり、海の子と呼ばれ、航海術に優れた種族であった。[32]

Telchinesは、Cadmusの移民団の中にいて、Pangaeus山で金を発見した。[33]

 

6.3 Mycenaeの金

Agamemnonの時代のMycenaeの金は、Phrygia地方やSipylus山の鉱床から生れた。[34]

しかし、その地方の金は、Agamemnonの先祖Tantalusの時代に発見されたが、Messapusは、Tantalusより200年前の人物である。

Messapusの時代、Telchinesは、Troad地方、Thracia地方、Paeonia地方、Macedonia地方、それにThasus島で、まだ金の採掘をしていなかったと思われる。

Telchinesが金を採掘していたとすれば、最も可能性があるのは、金銀の鉱山があったSiphnos島である。[35]

Telchinesの島と呼ばれたRhodes島からArgolis地方のScyllaion岬を目指して航行すると、Siphnos島の近くを通る。[36]

 

おわり

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