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第60章 イーリアスとオデュッセイアの原作者

Create:2025.10.30, Update:2025.10.30

1はじめに

Mycenae王Agamemnonを総大将とする大規模な遠征軍によるTroy攻略については、多くの伝承がある。

Homerは、『Iliad』の中で、Lemnos島に置き去りにされたPhiloctetesが、後に、Troyに召喚されることを仄めかしている。[1]

Homerより後の時代の悲劇詩人Sophoclesは、『Philoctetes』の中で、PhiloctetesのTroy召喚を具体的に伝えている。[2]

つまり、Homerより前の時代に、Troy遠征物語があったことが分かる。

 

2 Trojan War時代の作者

つぎの作者たちは、Iliumでの戦いを、直接、見聞きして、作品を書いたと伝えられている。

 

2.1 Corinnus of Ilium

Corinnusは、Palamedesの弟子で、最初の『Iliad』を書いた。Homerは、自分の作品に、Corinnusの作品を取り入れたと伝えられている。[3]

 

2.2 Sisyphus of Cos

Sisyphusは、TeucrusのTroy遠征にCos島から参加して、作品を書いた。Homerは、Sisyphusの作品の一部をもとに、『Iliad』を書いたと伝えられている。[4]

 

2.3 Dictys of Crete

Dictysは、Deucalionの子Idomeneusと共に、Crete島からTroyへ遠征して、自分が見聞きした事柄をPhoenician alphabetで書いたと述べている。また、Dictysは、Antenorと彼の王国についての知識は、他の人からの調査で得たと記している。[5]

 

2.3.1 Dictysが生きていた時代

多くの伝承が、IdomeneusのTroy遠征を記している。[6]

しかし、つぎのことから、Idomeneusは、Troyへ遠征していないと推定される。

1) Idomeneusは、Crete島からCalabriaへ移住した。[7]

2) Calabriaは、Messapia, Iapygia, Salentinaとも呼ばれていた。[8]

3) Daedalusの子Iapyxは、Crete島からItaly半島のMessapia地方へ移住して、その地方は、Iapygiaと呼ばれるようになった。[9]

つまり、Idomeneusは、Iapyxと一緒に, CreteからItaly半島へ移住したと思われる。

Iapyxには、BottonやMinosの子Cleolausも同行し、Bottonは、Macedonia地方へ、Cleolausは、Apulia地方に定住した。[10]

Idomeneusの移住は、BC1235年と推定され、Trojan Warより40年以上前であった。

したがって、Dictysは、Idomeneusと同時代の人物ではなく、Dictysの作品が発見されたAD1世紀頃の人物と推定される。

 

3 Troy王家の系譜

Homerは、AeneasがAchillesに語る内容として、Troy王家の系譜を記している。 [11]

Palamedesの弟子CorinnusやTeucrusと共にTroyへ行ったSisyphusは、実際に、Iliumでの戦いを書いたのかもしれない。

しかし、Troy王家の系譜については、CorinnusやSisyphusでは知り得ないことである。

『Iliad』の原作者は、Troy王家の一員から直接情報収集できた人物であったと推定される。

 

4 『Iliad』の原作者

Homerの『Odyssey』に、Achaeansが木馬を使用した奇策でTroyを占領したと吟じた、吟遊詩人Demodocusが登場する。[12]

次のことから、このDemodocusが『Iliad』の原作者と推定される。

1) Demodocusは、Laconia地方で生まれた。[13]

2) Demodocusは、Argosの町のAutomedesやPerimedesに師事した。[14]

3) Demodocusは、Pythian 競技会で賞を獲得した優れた詩人であった。[15]

4) Demodocusは、Mycenaeの町のAgamemnonに雇われた。[16]

5) Demodocusは、Corcyra島のAlcinousに雇われた。[17]

6) Corcyra島の近くのButhrotumの町には、Priamの子HelenusやHectorの妻Andromacheが住んでいた。[18]

7) Demodocusは、『Troyの破壊』を書いた。[19]

8) Demodocusは、Trojan War時代の詩人であった。[20]

9) BC3世紀のDemetrius of Phalerumは、Corcyra島の詩人の一人として、Demodocusの名前を記している。[21]

つまり、Demodocusは、Iliumの町での戦いをHelenusやAndromache、あるいは、祭司から聞いて、自分が昔仕えたAgamemnonを主人公にした物語を書いたと推定される。

 

5 物語の成立時期

BC1186年、Priamの子Helenusは、Neoptolemusと共に、Troad地方から逃れて、Dodonaの北のHellopia地方に定住した。[22]

BC1184年、Helenusは、Hellopia地方からCorcyra島の対岸へ移住して、Buthrotumの町を創建した。[23]

Demodocusは、『Troyの破壊』を書いた。[24]

Demodocusは、BC1170年のHectorの息子たちによるIliumの町の占領を知っていたと思われる。

BC1156年、Andromacheは、息子Pergamusと共にButhrotumの町からAsia Minorへ移住した。[25]

したがって、Demodocusが『Iliad』の原型となる物語を書いたのは、BC1165年頃と推定される。

 

6 『Odyssey』の原作者

つぎのことから、Demodocusは、『Odyssey』の原型となる物語を書いたと推定される。

1) Demodocusは、Corcyra島に住んでいて、『Odyssey』の舞台となった地域に精通していた。[26]

2) Demodocusは、Odysseusの子Telemachusの妻Nausicaaの父Alcinousに雇われていた。[27]

Demodocusは、Odysseusと同世代であり、両者には面識があったと推定される。

 

おわり

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