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第60章 イーリアスとオデュッセイアの原作者

Create:2025.10.30, Update:2026.2.16

1はじめに

ミュケナイ王アガメムノンを総大将とする大規模な遠征軍によるトロイ攻略については、多くの伝承がある。

ホメロスは、『イリアス』の中で、レムノス島に置き去りにされたピロクテテスが、後に、トロイに召喚されることを仄めかしている。[1]

ホメロスより後の時代の悲劇詩人ソフォクレスは、『ピロクテテス』の中で、ピロクテテスのトロイ召喚を具体的に伝えている。[2]

つまり、ホメロスより前の時代に、トロイ遠征物語があったことが分かる。

 

2 トロイ戦争時代の作者

つぎの作者たちは、イリオンでの戦いを、直接、見聞きして、作品を書いたと伝えられている。

 

2.1 イリオンのコリンノス

コリンノスは、パラメデスの弟子で、最初の『イリアス』を書いた。ホメロスは、自分の作品に、コリンノスの作品を取り入れたと伝えられている。[3]

 

2.2 コス島のシシュッポス

シシュッポスは、テウクロスのトロイ遠征にコス島から参加して、作品を書いた。ホメロスは、シシュッポスの作品の一部をもとに、『イリアス』を書いたと伝えられている。[4]

 

2.3 クレタ島のディクテュス

ディクテュスは、デウカリオーンの子イドメネオスと共に、クレタ島からトロイへ遠征して、自分が見聞きした事柄をフェニキアの アルファベットで書いたと述べている。また、ディクテュスは、アンテノールと彼の王国についての知識は、他の人からの調査で得たと記している。[5]

 

2.3.1 ディクテュスが生きていた時代

多くの伝承が、イドメネオスのトロイ遠征を記している。[6]

しかし、つぎのことから、イドメネオスは、トロイへ遠征していないと推定される。

1) イドメネオスは、クレタ島からカラブリアへ移住した。[7]

2) カラブリアは、メッサピア, イアピュギア, サレンティナとも呼ばれていた。[8]

3) ダイダロスの子イアピクスは、クレタ島からイタリア半島のメッサピア地方へ移住して、その地方は、イアピュギアと呼ばれるようになった。[9]

つまり、イドメネオスは、イアピクスと一緒に, クレタからイタリア半島へ移住したと思われる。

イアピクスには、ボットンやミノスの子クレオラオスも同行し、ボットンは、マケドニア地方へ、クレオラオスは、アプリア地方に定住した。[10]

イドメネオスの移住は、BC1235年と推定され、トロイ戦争より40年以上前であった。

したがって、ディクテュスは、イドメネオスと同時代の人物ではなく、ディクテュスの作品が発見されたAD1世紀頃の人物と推定される。

 

3 トロイ王家の系譜

ホメロスは、アイネアスがアキレスに語る内容として、トロイ王家の系譜を記している。 [11]

パラメデスの弟子コリンノスやテウクロスと共にトロイへ行ったシシュッポスは、実際に、イリオンでの戦いを書いたのかもしれない。

しかし、トロイ王家の系譜については、コリンノスやシシュッポスでは知り得ないことである。

『イリアス』の原作者は、トロイ王家の一員から直接情報収集できた人物であったと推定される。

 

4 『イリアス』の原作者

ホメロスの『オデュッセイア』に、アカイア人が木馬を使用した奇策でトロイを占領したと吟じた、吟遊詩人デモドコスが登場する。[12]

次のことから、このデモドコスが『イリアス』の原作者と推定される。

1) デモドコスは、ラコニア地方で生まれた。[13]

2) デモドコスは、アルゴスの町のアウトメデスやペリメデスに師事した。[14]

3) デモドコスは、ピュティアの 競技会で賞を獲得した優れた詩人であった。[15]

4) デモドコスは、ミュケナイの町のアガメムノンに雇われた。[16]

5) デモドコスは、コルキュラ島のアルキノオスに雇われた。[17]

6) コルキュラ島の近くのブトロトンの町には、プリアモスの子ヘレノスやヘクトールの妻アンドロマケが住んでいた。[18]

7) デモドコスは、『トロイの破壊』を書いた。[19]

8) デモドコスは、トロイ戦争時代の詩人であった。[20]

9) BC3世紀のパレロンのデメトリオスは、コルキュラ島の詩人の一人として、デモドコスの名前を記している。[21]

つまり、デモドコスは、イリオンの町での戦いをヘレノスやアンドロマケ、あるいは、祭司から聞いて、自分が昔仕えたアガメムノンを主人公にした物語を書いたと推定される。

 

5 物語の成立時期

BC1186年、プリアモスの子ヘレノスは、ネオプトレモスと共に、トロアス地方から逃れて、ドドナの北のヘロピア地方に定住した。[22]

BC1184年、ヘレノスは、ヘロピア地方からコルキュラ島の対岸へ移住して、ブトロトンの町を創建した。[23]

デモドコスは、『トロイの破壊』を書いた。[24]

デモドコスは、BC1170年のヘクトールの息子たちによるイリオンの町の占領を知っていたと思われる。

BC1156年、アンドロマケは、息子ペルガモスと共にブトロトンの町から小アジアへ移住した。[25]

したがって、デモドコスが『イリアス』の原型となる物語を書いたのは、BC1165年頃と推定される。

 

6 『オデュッセイア』の原作者

つぎのことから、デモドコスは、『オデュッセイア』の原型となる物語を書いたと推定される。

1) デモドコスは、コルキュラ島に住んでいて、『オデュッセイア』の舞台となった地域に精通していた。[26]

2) デモドコスは、オデュッセウスの子テレマコスの妻ナウシカアの父アルキノオスに雇われていた。[27]

デモドコスは、オデュッセウスと同世代であり、両者には面識があったと推定される。

 

おわり

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